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サッカー漫画に学ぶ、自責。
考えてから動くのでは遅い。
サッカー漫画にハマっている。
アオアシとブルーロック。サッカーをもとにした題材の漫画が特に好きだ。
なぜならサッカーが
・勝ちを目標にしている
・チームでプレーする
・頭を使う
を満たしているからだと思う。
もちろん、他にもそういった競技はあるし、同時にそれらの競技が漫画であれば、ハマってしまうんだろうけど。
サッカーは特にだ。さらに歴史と人気があるからか、思考体系がある程度確立していて、先人から学ぶことも多い。
頭を使う、の本当の意味
まず最初に、参考になるのは、考える、ということ。
僕はよく幼い頃から父親に
「頭を使え」
と言って育てられた。
昔からずる賢い動き自体に憧れがあって、
好きな武将は楠木正成(室町時代の悪党)だったし、好きなポケモンはツボツボだったし、
手段を選ばずに、頭を使って勝っていくキャラクターが好きだったのは、その影響なのだろうか。
だからこそ、頭を使っている自覚はあった。
大好きな小説家の伊坂幸太郎さんの小説の中に出てくるテレビ番組のヒーローで使われていたセリフ、
「考えろ、考えろ、マグガイバー」を1人口癖にしていたこともある。
でも、それは今思えば、思考停止で長いものに巻かれ、これをやっていればいい、というものに縋り付いていた動きなのかもしれない、と思うのだ。
例えば、クラスでまずは先生を抑えること。
小学生時代のあだ名は副担、中高はお父さん、パパと呼ばれていた僕は、クラスに1人は置かれる、委員長的ポジションだった。
先生から見て心配な(今から思えば、勝手でくだらない話だ。学校時代の素行や成績など、社会人の時のそれぞれの輝きにはあまり関係がない。)友人たちが同じクラスに集められ、「頼んだぞ」という、無言の圧が先生からはあった。
僕は、将来のために人をまとめることは経験がしたかったし、勉強も頑張っていたけど、素行が良かったわけではないし、反骨心は人一倍あったから、「いや、俺もみんなとふざけたいんですけど」みたいな思いでいた。
でも、やっぱり楽だったのだ。自分を持たずに、権力を与えられた存在に従っていればいい、そんな状況が。ある意味そこは思考停止していれば、部活や勉強には集中できる。でも、それは、たしかにメリットではあったけど、ちゃんとデメリットもあった。
自分の感情を頓着しなくなった。そして、考えなくなった。大勢は、教師が決める。僕は、その達成のために動く。軍隊のような、会社のようなそんな社会だと思っていた自分は、そこでの動きにいち早く慣れていた方が楽だと、そう判断した。
でも、今になって思う。大事なのは、考えることだ。自分の感情に耳を傾けて、考えて、自分を主張して動くことだ。
なぜなら、僕らの人生の舵を取るのは自分で、責任を負うのも自分だからだ。全体の利をとること、それは必要だ。だけど、個人が個人のことを精一杯考えていない集まりで、達成した目標で誰が幸せになれると言うんだ。その組織で幸せなのは誰だ?
個々が自分の利を取って考えて動く。だからこそ、それぞれのエゴがぶつかり合って全体としての利が形成される。自分の利がどこにあるかも主張しないで、考慮される全体ってなんだ?誰が集まっての全体なんだ?
1人1人が考えて、動いて、主張する個人戦術を持つこと。それが、チームで勝つための力。それに気付かされた。
勝っても、負けても、それは俺の責任だ
アオアシの中で、主人公アシトの先輩、阿久津渚が、スター選手達が代表戦に出て行き、自分がチームを背負って戦った試合で、「勝っても、負けても、それは俺の責任だ」と口にします。
組織の強さは、層の厚さでミスや負担をカバーできること。でもその一方で負けるリスク、責任がいい意味でも悪い意味でも分散している。でも、組織自体を自分ごととしてとらえ、すべて自分の責任であると思うことができたら、そこで起こる全てが自分の糧になる。まるで自分の片腕を庇うような本気さとスピードで、組織のための行動ができる。
全ては自分の責任で、自分も他もない、こう言った感覚には惹きつけられてきた。
「トリッシュは、俺なんだ」
ジョジョの奇妙な冒険 parte5 『黄金の風』で主人公と共に旅をするナランチャが物語の中で口にする。
トリッシュは本作に登場するヒロイン。敵であるマフィアのボスに、実の娘でありながら、命を狙われるという憂き目に合う。
ナランチャは、そんな姿を自分の不遇な少年時代に重ねて、彼女を守り抜くことが自分を救うことだと、自分の旅の目的を再定義する。
「俺が、俺たちが、ガンダムだ。」
機動戦士ガンダム00の主人公、刹那・F・セイエイ。テレビシリーズ序盤から訳の分からない言葉を口にする。ただ、ストーリーが続いていくに従い、ガンダムとその操縦者のシンクロ率が上がっていくテーマになっていく。ガンダムは操縦する兵器ではなくて、自分自身。本作では、パイロットのことを「ガンダム・マイスター」と呼んでいたことに、改めて気づいたが、今思うと納得である。
他者貢献を、通じて、自分自身の存在や意思の伝わる範囲をどこまで広げられるか、チームの個であるのか、チーム全体まで影響を広げる自分であるのか。全体を見た上で、個としてどう動くのか。
まだまだ学べることは多い。
サッカーは、