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自己紹介② 僕はどんな少年だった?
こんばんは。せいたです。
なかなか本編を書き始めないな、自分。と僕も思い始めたところです。
前回の振り返り、岡村靖幸さんが岸本佐知子さんに向けて聞いた「どんな少女でしたか?」
という質問から、インスピレーションを受け、僕がどんな少年だったか書いていきます。
僕は少年の頃、食いしん坊で、想像力豊かで、目立ちたがりな少年でした。
(採用面接で習得した弱みを強みに置き換えるスキルを最大限使って表現しています。悪しからず。)
手前味噌ですけど、でも誇張なくそうだったと思うし、家族や親戚、友人に聞いても同じ答えが返ってくるのは間違いがないと思います。
自助論を書いたあのスマイルズも
「真の謙虚さとは、自分の長所を正当に評価することであり、長所を全て否定することではない」といっています。
これは、方便でなしに、子どもはみんな天才だと思うのです。
誤解を恐れずにいうならば、人間は皆天才なはずで、子どもの頃はみんな天才。
でも、成長する過程で周りと比べたり、挫折を味わったり、緊張にさらされたりする中で、年を追うごとにその才能を忘れたり、発揮しないようにする癖がついてしまうだけなのではないでしょうか。
脱線してしまいましたが、つまりそんな少年時代、言い換えるなら天才時代の僕は、どんな子どもだったのか。
僕の食いしん坊さは、生まれる前から。
母のお腹の中にいる頃から、料理の匂いに反応してお腹をけっていたんだとか。
そんな僕がお腹の中にいるからか、母も食欲旺盛になり、僕が生まれる数日前に、お店で寿司を2人前食べていたんだそう。
保育園では給食のおかわりが当たり前。保育園の先生が空になった鍋の底を見せて「もうないよ」と言うまで納得しなかったといいます。
想像力が豊かだった僕を表すエピソードにはこんなものがあります。
父はサラリーマン、母は保育士、と言う家庭に育った僕は、保育園が終わった後は、よく親戚の家で面倒を見てもらっていました。
ある日、大叔母が指で庭に何かを埋めている僕の姿を見かけます。
「何か見つけた?」近付いてみると幼い頃の僕が埋めていたのは、あの有名な乳酸飲料のふたでした。
「ヤクルトの芽が出ないかな」
幼い頃の僕はそう言ったのだとか。
想像力が豊かと言うのか、大人が喜ぶ回答が分かっているというのか。
なるほど、周りから求められる正解に合わせる癖は、今に始まったものではなく、生まれつきだったようです。少し気が楽になります。
目立ちたがりだった、というと僕のことを知る人によっては、「そうなの?」と感じることがあるかもしれません。
正確にいうと、「大人数相手に話す方が緊張しない」という方が近いのです。話している間に相手の態度や表情を気にしすぎるところがあり、大人数になるとそれが気にならなくなる、と言うかそれどころでなくなる、らしい。と言うのが今の所の僕の見解です。
大人数の時の方が、逆に集中して話すことができ、落ち着いて伝えたいことが話せ、周りからもその時の姿が評価され、気分が良くなって結果的に前に出ることにポジティブになる、と言うことのようです。
そんな僕にも、ピュアに目立ちたがっていた時期があるそうで。
保育園の運動会、選手入場でお兄さんお姉さんや同じクラスの子、年下のクラスの子たちも含め、全児童がグラウンドを1周して、裏にはけていきます。ですが、そこはせいた少年。一回では終わりませんでした。全員が順番にクラスに入っていく中、グラウンド上に自分1人残って2周目の行進をしていたのでした。
三つ子の魂百まで、といいますが20数年経っても変わらない自分の性格ってありますよね。
変わらないために、変わり続けること。
変わらないままで、変わっていくこと。
僕が本当に変えずにいたいのは、
目の前の生活の心地よさでしょうか、
それとも学生の頃のように何かに打ち込む面白さでしょうか。
一時保つことのできる面子でしょうか、
一生心の底から笑い続けられるような自分の素直さでしょうか。
ここらで恒例、
「どうしたい?言ってごらん」
心の声がする。