書き手としての履歴書
ちょっとした自己紹介・職歴紹介として
こんばんは、せいたです。
今日も読書会の帰り、一度会社に戻り本棚の前で、日記を書いています。
noteを書き始めてから、綴りたい言葉が溢れてきて、書くたびに書くたびに原稿にしたいイメージが浮かんできて、時間と手が全然足りない!、そんな日々を過ごしています。
そんな僕の文章を、みなさんに伝えていくにあたって、僕がどんな文章に触れてきたのか、読み、書いてきたのかをお伝えしたいと思い、書き手としての履歴書、として書いていきます。
文章との出会い
僕が文章を読むのも書くのも好きになったのは、間違いなく両親の影響です。父が無類の本好き、母は絵本が好き、そんな2人の間に生まれた本好きのサラブレッド、それが僕です。
父は、通勤や移動時間は必ず本を読むというほどの読書家で、家の本棚にはビジネス書が詰まっていて、床にも文庫本が平積みされている。そんな父の書斎は僕の憧れで、休みの日はそんな本たちの中に埋もれて、読みたい本を探す。それが学生時代の僕の楽しみの一つでもありました。
母も、読書家でエッセイや絵本、詩集などを好みました。コーラスで歌を歌っていた彼女は保育士だったこともあり、情感を込めて読み聞かせをすることが得意でした。また、彼女は物語をそらんじて、僕に語り聞かせてくれることもあり、僕の中の、ストーリーに突き動かされる心根は、彼女の関わりによるところも大きいのでしょう。そんな僕が本にハマったのは保育園の時、毎週のように図書館に連れて行ってもらっては、絵本を借りてきて読んでいました。
漫画で漢字を学ぶ
仙台市に引っ越して、幼稚園に移ると、当時はやっていたおもちゃに関連した漫画を読むようになります。毎月楽しみにしては、端から端まで読み倒す。しかもそのバックナンバーをとっておいて、作品ごとにまとめて読むほどの箱推しぶりでした。まさに単行本いらず。そんなこんなで気づくと、小学生1年生の頃には、五十音はおろか、日常的な漢字はほとんど読めるようになっていました。
小学生低学年の時は、「〇〇の昔話」シリーズが大好きで各国の昔話の寓話を読み漁っていました。各物語において、どんな教訓があり、どんな学びが期待されているかの嗅覚を鍛えた僕に、道徳の授業の時間、勝てる人はいませんでした。
病むときは読むとき
たしか小学校4年生の時、風邪を引いて学校を休んだ日に、偶然家にあった三谷幸喜さんの「オンリー・ミー」にハマってしまい、担任の先生に、笑われたことを覚えています。
また、5年生のある時、水分を取るのが億劫になった時期があり、自家中毒で入院する羽目になったのですが、その時は母がたまたま読んでいたカレル・チャペックの『園芸家12ヶ月』を読んでいました。昼はWBC、夜は読書、初めての入院は、僕にとって全く苦にならないものでした。
小学生でも小説が読めた!
東野圭吾ブームの最中、今でも忘れもしない10月10日(せいたは自分の誕生日がゾロ目なので、ゾロ目に過敏に反応します。)、国立の祖父の家の付近の古本屋で『容疑者Xの献身』に出会います。ここからが、本格的に小説にハマり出したきっかけで、またミステリーの面白さも知りながら、古本の魅力にも惹きつけられていきます。
まず、この作品は映像化されていた作品であること、これが少年せいたのハードルを一気に下げました。映画で楽しめた本なら、小学生の僕でも小説で読める!そう思って、伊坂幸太郎さん、恩田陸さんなどどんどん読んでいくようになりました。
さらに、小説でしか表現できないトリックや仕掛けがあるのか!という気づき、これで一気に推理小説にハマっていきます。綾辻行人さんや西尾維新さんはじめ、さまざまな推理小説を読み漁るようになりました。
アウトプットの目覚め
せいた、文章書くの上手だよね。最初に気づかせてくれたのは、小学校4年生の先生でした。(オンリー・ミーに笑ってくれた先生です)
その時は全く意識していなかったのですが、本をたくさん読む中で、インプット量が一定数に達したのでしょう。アウトプットも自然とできるようになっていたようで。
褒められると人間意識をするようになります、少し工夫してみよう、推敲してみよう、考えるようになった訳です。また、意識してかしないでか、「ドラえもんの作文の書き方」みたいな本を読む機会があって、そこに書いてあることをいつも忠実に守るようにしていた、というのも記憶にあります。
物語部創設
noteを書き始めるまで忘れていたのですが、
僕のゼロイチの原点は、小学校の時につくった「物語部」でした。
同じマンションに住んでいて、足の速さでトップを競っていた相棒。幼稚園が同じで、成績で学年トップを競っていた親友。女子の学力トップ1・2でよくつるんでいた2人。
何だか、今思うとすごく青春って感じですね。素晴らしい仲間に囲まれていたんだ、と今になって思いました。
そこでの創作活動は、まあぼちぼち、と言ったところでしたが、僕が書くことを志したきっかけには間違いなくなった経験でした。
そして、退任の先生に向けての作文とスピーチを任され、修学旅行の旅行記を代表として書くなどして、小学校を終えていきます。
この問題だから、この学校に行きたい
そして、中学校受験。
僕の志望校は、父が卒業した大学の附属校だったのですが、その問題の特殊さゆえに通っていた塾では、ちょっと変わった使いを受けていました。
特に国語は、小学生にこれを読ませるのか、というほどの長文と論述問題。
暗記頼みが通用しない、まさに読めるか、書けるかを見る問題でした。
社会や理科、算数も文章題が長く、いかに問題を読み解くか、に主眼が置かれており、同じ偏差値でもあえてそこを選ぶ?みたいな扱われ方をしている学校でした。
だけど僕には、それが良かったようです。人と違う、みんなが難しいというものを解きたい、様々な好奇心やチャレンジ精神が積み重なり、これだからやりたい、と感じたのです。
そして受験の日も手には文庫本を持って、会場に向かいました。教科書の見直しなどはせず、その小説をずっと読んでいました。その方が、何倍も平常心を保てたのです。
今日は一旦ここまで、中学生編が長いと思ったのですが、意外とそこまで辿りつきませんでした。また時間をつくり、書いていきます。
みなさんの書き手の履歴書にはどんな物語がきざまれていますか、ぜひ教えてください。