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地球少女アルジュナ🌏
今夜は腰背部痛にて、地球少女アルジュナについてつらつら書いてみる。
2001年に地上波で、全12 話にわたって放映されたアニメ。河森正信治監督作品。
数年前から切り取り動画やダイジェスト版を見て、衝撃。自然農法のレジェンド福岡正信さん登場〜!と界隈で話題になっていた。ただ、実は絵柄があまりにリアルandグロテスクで好きになれず、、いつかいつかと先送りにしていたがこの養生タイムに一気見。
感想を一言
よくこれ地上波で放映してたな。
です。
しかも深夜枠とかではなく、夕方の枠で放送していたらしく(監督インタビューって言っていた)なかなかチャレンジャー。
全話通して原発、農や食物の化学汚染、医療、ことば、石油問題etc様々な社会問題を取り上げ、重く、暗い雰囲気と、スピリチュアルが融合したなんとも言えぬ世界観。これ子どもがみるアニメじゃないような。。また主人公の女子高生、ジュナに次々に追いかかる数々の試練や周りからのダメ出しに結構メンタルやられる人もいるかも。言葉にならなかった気づきが、凝縮されている感じがして、
本当に素晴らしく24年たった今も色褪せないどころか、今こそたくさんの人に見てほしい作品
。
監督インタビューも合わせてみた。
このお話しはバガヴァッド・ギーターの神クリシュナとアルジュナ王子との対話から着想を得ているそうで、主人公ジュナとクリスの対話、
恐れを克服し、戦うのではなく、すべてはひとつである、というテーマ
はそこからきているみたい。
本当は2クールの構想だったそうで、日本編が終わったら次は世界編で、かなりハードな内容だったのでワンクールでおしまいになったそう。劇場版のアルジュナは監督の構想の中にあるそうでぜひとも期待して待ちたい。監督がおっしゃるには、社会批判がしたいわけではなく、今置かれている現状を知れば知るほど結構地球環境は追い詰められたところにある。(20年前にそうだったから今は、、)かといって第5話に登場する。自然農を営みながらで 山奥に暮らしているおじいさん(みかけはまんま福岡正信さんだが、取材は川口由一さんにしているみたいで2人の融合している存在?)のように、全員が現代社会から隔離して、電気やガス水道などのインフラを使わず、自給自足で生きていくと言うのもなかなかに無理がある話。。私たちひとりひとりに何ができるか、君たちはどういきるか?を問われた作品である。
以下はあらすじ羅列(うまくまとめれない)感想のごちゃまぜ。
普通の女子高生だったジュナは弓道部。
一つ、身体は力みなく、伸びやかに天地を貫き、
二つ、心を沈め、大地に深く息を吐き、
三つ、眼差しは遠く、はるか無限を越えて、
四つ、的を射るのではなく、おのれと的を一つにせん。
この言葉が物語の最後まで、ジュナを導いてゆく。
ある日恋人のトキオとバイクツーリングの事故に遭い臨死体験。山王銀之助さんや木内鶴彦さんのその体験と重なる。地球の未来を見て、ふたたび命をもらう引き換えに地球を救うという難題をふっかけられるジュナ。
汚れが恐れを産み、迷いを生じる
良い悪いとジャッジしているものは誰か?
汚染してしまった都市を襲うナージャという怪物と戦うジュナに次々とダメ出しをするクリス。
山奥に放り出され、ジュナは自分が食べるもの飲むものさえ判断できないことを思い知る。そして都会だけでなく、山奥にも産廃という魔の手は伸び、水を汚しそれは海へと続いているのだった。
山奥で出会ったおじいさんのところで過ごすことで、深く呼吸をし、
名もなき小さきものたちが土を耕し、命を巡らし一緒に育てている。虫たちは、そのままでは大地に還らないものを食べ、清め、人や他の生き物が食べられる形にして返してくれている存在であることを知る。
おじいさんは言う、虫も草も大地も野菜や米も未来の自分であることを忘れた。忙しすぎる。時計の時間に追われて、本当の今を忘れた。
5話とそのあとの小休止に、自然農の「無肥料、無農薬、草や虫を敵としない、不耕起」の教えについて表現されており、赤目自然農塾と川口由一さんの妙なる畑のテロップ、最終話のエンディングに川口さん登場✨あのおじいさん、見かけはまんま福岡さんやけど、川口さんでもあったのかーとなんか喜び✨去年乾坤塾に申し込むも、参加叶わず一足遅くお会い出来なかった川口さん。神格化するつもりはないが、福岡さんや、川口さんといったレジェンドに会ってその波動を感じて見たかったなぁと。でも、そのお弟子さんである私たちのお師匠先生方から、また、自然農の畑や同志からもその叡智は伝わる。これが全ては繋がっているということだなぁと感じるのであった。
今この星の上に生きる奇跡
ジュナたちの夏休みが終わり学校に戻るが、この地球が汚れてしまったいることに気付き感受性の強いジュナは都会での生活にバランスを失ってしまう。生気のない数学教師の本当の声を聞く。一人一人の胸熱、美しいものに触れることが大切だと。そこに間髪いれず、トキオはそんなんやから奥さん出て行ったんちゃいますか??と。感化されたジュナにも辛辣なことばを投げる。最初に変わったものはどうなる?社会から弾かれるだけだ。また数学教師の生気は消える。みんな、当たり障りのない上っ面の言葉を話し、意味なく諦めた時間だけが無駄に過ぎてゆく。
言葉についても描かれている。
言葉は形を与える。流れ去る記憶を留め、まだ見る未来へ思いを巡らす道具。人には思考を言葉にすると言う能力が与えられた。それゆえに、今ここに生きることを忘れてしまった。言葉は分けるのが仕事。名前がある故に私とあなたは遠く分け隔てられてしまった。もともとはひとつであったのに。地下の磐座は君たちはどう生きるかで真人の義理の母親(叔母)が寝かされていた場所に似ている。モノを作る人は同じ情報の泉から降ろし、共鳴しているのかも。もしかしたらこの地球に生きるモノ全てそうなのかも。
クリスのことば「目あれど見えず、耳あれと聞こえず、鼻あれど臭わず、舌あれと味わわず、肌触れ合うも感じず」言葉ができ、コミニケーションできるようになったものの五感は鈍くなり六感は働かない。伝えたいことが伝わらず、どんどん遠く隔てられてゆく。
もともと全ては1つの存在だった
食べ物は私になり、私はあなたであなたは私。姿形は違えど、皆同じ。世界を滅ぼし悪者とされたナージャでさえも。ナージャは、虫や草と同じ。浄化作用を持ち世界を地球を綺麗にしてくれる存在。(このあたりはナウシカ)見かけで忌み嫌い、悪だと決めつけ、戦うことでは解決しない。
いよいよ、竜脈で世界と繋がる日本の汚染はひどくなり壊滅的に。日本を切らねば世界は救われないところまできてしまう。(このあたりも宮﨑駿感たっぷり)どうする?ジュナ。はたして、己と的をひとつにできたのか?日本はどうなるのか?!
監督は言う。このアニメは遅延型アニメだと。見て感じたことを後に咀嚼し、腑に落とすような、そんなアニメを目指していると。
コロナ禍2021インタビューでは
世の中が激変する中
情報で世界とバーチャルに繋がり(あくまで主体的に)←→地域コミュニティでは、小さく繋がり地産地消の社会構築
という両者良いとこ取りが上手くすればできるのかもしれない。そういう時代の分岐点だと語られていた。
今この時代にこそこのアニメを見て、新しい社会をどのように形つくっていくのか、正しさより楽しさを行動に移していく。
わー
全然まとまらず、長くなった。。
それほどに凝縮された秀逸作品。
自然農仲間にシェアしたら、早速仲間の1人が見て感想を送ってくれた。自分にとって課題の恐れを克服するヒントをもらえそうな、必然のタイミングだったと。
多くの人(わたし自身)恐れや怒りというモンスターを心の奥底に育てている。本来はそれらもナージャのように、浄化し清め自身を守ってくれるツールなのだと思う。渦中の風邪も然り。(普通の風邪が五類になるなんてことは意図あってのことだろう)仕組まれた罠に気付き、そこから離れる、あるいは愛で抱きまいらせる。
恐怖心、心配事をことさらに煽り感情を揺さぶるのはもうやめにして。何かを悪者にして攻め立てて、争いや、自己否定するのはやめにして、
全てはひとつだったことを思い出し、大安心で今ここを感じていけばいい。