<産経抄>教訓と経験を伝え続ける、「1・17」から30年 2025/1/17

「地震というのはとっても不安なんだ。
五十年前、第二次大戦で空襲を受けたが、あの時よりも不安だった。
空襲は焼けてしまうと一種の安心があった。もうここを爆撃には来ない、というね。
ところが、今度は余震はくるし、また大きな地震がくるんじゃないかっていう不安が大きいんだ。」 藤本義一

>崩れた家の下から幼い兄弟が冷たくなって見つかった。「すぐに2人のことを取材してくれ」。被災地となった兵庫県西宮市の取材拠点で、当方が最初に命じられた仕事だった。短いながらも彼らには人生の物語があったんだ、行け―。

返事は当然「○○、いっきまーす!!」だなw

報道被害とかメディアスクラムとか言われて
「他人の不幸で飯を食っている」と蔑まれているジャーナリストも
社会に必要な大切な仕事だ

交通費ケチって誹謗中傷なんてしちゃだめよw

やっていることは迷惑系ユーチューバーと変わらないのだから
せめて被災者に寄り添う取材をしてほしい

>デスクの指示に、慌てて外へ飛び出したのを覚えている。街を見渡せば、同じような任務を帯びて駆け回る同業他社が方々にいた。大都市を一瞬で瓦礫(がれき)にした未曽有の災害に、誰もが殺気立ち、「伝える」という一念に力んでいた。阪神大震災から、きょうで30年になる。

30年たって若手のころの情熱を失っていませんか?
まさかただの「散歩」を取材だと言い張ってはいませんよね?w
コタツでウダウダ言うだけならおいらとやっていることは変わらないぞ

>神戸では、市街地の再開発事業が昨秋に終わり、惨禍の傷痕はもう見当たらない。わが国はしかし、地震の巣の上にある。東日本大震災、熊本地震、能登半島地震。忘れる間もなく襲ってくる惨禍は、いまが「災間」に過ぎないことを教えている。

日向灘の地震は東南海地震とはリンクしないようだけど
日本列島ならいつどこで地震が起きてもおかしくない

そもそも日本列島の成り立ちが太平洋プレートの働き

日本列島は約3000万年前に大陸からちぎれて今の形に!?

ユーラシア大陸から「ちぎれて」と言う表現がまさにぴったりw
よくこんな災害大国でここまで発展できたもんだ

>「1・17」の教訓を生かし切れているわけでもない。能登の被災地では、避難所の冷たい床の上で被災者が肩を寄せ合う、30年前と同じ光景が繰り返された。それが災害対策の現実である。苦い失敗も含めて、次の世代へと引き継がねばならない。

同じく昨年の台湾地震での避難所と比較すると雲泥の差だ
どこの国よりも震災の経験値が高いのにも関わらず過去の経験が全く生かされていない
あげくにボランティアを追い払う真似までする

また補正予算を組めばいいのに予備費で済ます愚策をなぜか岸田はした
復興遅れは人災の面がある

>長崎で被爆した歌人の竹山広は、阪神大震災の犠牲者を悼み、こう詠んだ。<居合はせし居合はせざりしことつひに天運にして居合はせし人よ>。地球に流れた長い時間を思えば、生と死は秒針のわずかな差でしかない。「天運」は生かされた者への叱咤(しった)とも読めるのだ。

これがまさに「サバイバーズギルト」だね

普段使わない言葉はまず辞書を引きましょう

「運」というにはあまりにも残酷な運命だ
生き残れたなら「天命」と思って有意義にすごしてほしい

>平成7年は「ボランティア元年」と呼ばれる。人の心を温めるのは誰かの手であることを私たちは知った。かつての被災地には、震災を経験していない世代も多い。だからこそ新聞は、失われた命の物語、残された人々の再起の物語を書き続けていく。伝え続けていく。

だからこそマスコミは歴史修正やフェイクニュースを流してはいけない
産経でしか流していない「クルド難民問題」がネトウヨで受けて
現実にまで影響を与えている

関東大震災の時の朝鮮人虐殺がまた繰り返されるようなことは絶対にあってはならない
また極限状態では自分が「加害者」になる可能性も肝に銘じておかねば

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