<産経抄>横綱として一本立ちを、角界背負う豊昇龍2025/1/30

「戦うなら殺すつもりで行け!! 出来ないならちゃんこ番やれ!!」 朝青龍

>和泉式部と小式部は、平安中期に活躍した女流歌人の親子である。母は京の都の有名人、娘も幼い頃から豊かな歌才に恵まれた。ところが、いくら秀歌を詠んでも周りから「母親が手伝った」と冷やかされ、小式部はおもしろくない。

「あらざらむ この世のほかの 思ひ出に いまひとたびの 逢ふこともがな」 和泉式部

>娘の勝ち気な人柄を伝える小噺(こばなし)がある。2人で京都・北野を訪ねた折、当地のホトトギスをどちらが鳴かせるか勝負した。<鳴くかとて 聞きに北野の時鳥(ほととぎす)>と母が詠んでも反応はない。<鳴け聞こう 聞きに北野の時鳥>と小式部が迫ると、鳥は驚いて鳴き出したという。

三英傑より直接的な「命令」で解決w
日本語の通じないホトトギスに逃げることも許さない迫力で悲鳴をあげさせたのかwwwww

>有名な<大江山いくのの道の遠ければまだふみもみず天の橋立>も、疑いの目を向ける大人を前に、小式部が即興で詠んだ会心の一首と伝わる。身内の著名人が必ずしも自慢の種になるとは限らない。比較される度、重荷になることも多いだろう。


「教導立志基」より『小式部内侍』 小林清親筆

>四条中納言(藤原定頼)は小式部内侍に「代作を頼む使者は出しましたか。使者は帰って来ましたか」などとからかったのだが、小式部内侍は即興でこの歌を詠んだ。
>当時歌を詠まれれば返歌を行うのが礼儀であり習慣であったにもかかわらず、狼狽のあまり返歌も出来ずに立ち去ってしまい恥を掻き、この一件以後小式部内侍の歌人としての名声は高まったという。

この時はまだ十代前半
まるでマンガに出てくるような天才少女だ

>思い浮かぶ顔がある。その力士が前相撲でデビューした7年前、取材にこう語った。「おじさんが横綱。自分もそこまでいかないと」。順調に出世しながらも、日々が重圧の連続だったと聞く。結果が出なければ叔父の顔に泥を塗ってしまう、と。

長嶋一茂・・・・

いやプロ選手になれただけでもすごいんだけどw

>元横綱朝青龍を叔父に持つ豊昇龍関が、第74代横綱に昇進した。目つきの鋭い面立ちは、土俵の内外で暴れ回った元横綱と驚くほど似ている。素行はともかく、憎らしいほど強かった相撲はまねて損がない。「自分はまだまだ」と謙虚に徹したおいの役もこれで卒業である。

土俵の中だけにしてくださいw

>初場所で平幕に喫した3敗には目をつぶる。角界を背負う覚悟は今後の土俵で見せてくれればよい。9人の委員からなる横綱審議委員会を、全会一致で「スイキョ(推挙)」と鳴かせた人だ。朝青龍のおいではなく、横綱豊昇龍としての一本立ちをとくと拝見する。

横審を野鳥あつかいするのかよw

入門のきっかけは叔父だったかもしれないけれど
横綱昇進は実力で掴んだものだ

暴れるのは土俵の中だけにしてくださいw

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