見出し画像

大学受験が残したもの

以下は僕の受験期の体験談です。だいぶ長くなりました。


第一志望に合格する人はある程度存在して、それがどこの大学であろうと第一志望に合格した経験、快感はおそらく人生で忘れることのない幸せの一つなのだろう。

自分は第一志望の東大に落ちた。

一浪しても落ちた。

長年望み続けてきた大学には結局あしらわれることになったのだが、後期受験でまあなんとか今の一橋大学に流れ着いたのだ。現浪共に微塵も考えたことのなかった一橋大学は、まさに「漂流して流れついた場所」という感覚が強く、帰属意識を持つのもしばし時間がかかった。なんせ理系出身であるから文系単科大学とは無縁の人生だったはずであって、殊更周りもびっくりした。まあ自分が1番びっくりしているが。

今でも合格発表の瞬間が鮮明に思い出される。

浪人期は親の助言で田舎から出てきて、東京で一人暮らしをしながら駿台予備校に通っていた。

2/25に東大受験2日目を終え、帰宅時の雨曇りの空は、大して良くなかった手応えに追い討ちしてきた。家に着くと、既に出ていた早稲田理工と慶応理工の合格通知を見ようと思った。東大受験に支障をきたさないよう、既に結果は出ていたが見ないでおいたのだ。

結果は

慶応理工 不合格
早稲田理工 補欠

崩れ落ちた。

ああ、俺はこんなに弱かったのか、、、

東大受験かつ浪人生でもあろうものが、滑り止めに滑り止まらないのは全く滑稽である。何が良くて何が悪かったのかの整理もできないまま、父親に合否を報告した。

そっか。

返信はこれだけだった。

父親はとても教育熱心で、欲しい参考書はすぐ買ってくれるし、聞かなくても勉強法やこれからの計画を提案してくれるほどだった。
自分もそんな父親を誇らしく思っていて、それは浪人を経てより強く思うようになっていた。

そんな父親を裏切ってしまった。
何も返してあげられなかった。

生き地獄とはこのことか、と思った。

寒いな、と思ったら、そういえば暖房をつけるのを忘れていた。エアコンのスイッチを押して、ベッドに横になり、その後はあんまり記憶がない。
忘れるように寝た気がする。

次の日から、後期対策をしようと決意した。なんせ東大の手応えはあまりなかったし、早慶理工は全滅。早稲田政経の合否はまだ出ていなかったから、それに期待もしていたが、やはり精神的にも窮地に追い込まれていた。結局、政経も落ちていた。

何かしないと気持ちが持たない。

それから東大の発表までは、毎日一橋後期の英語と数学を一年分ずつ解いた。点数はスマホのメモに記しながら、日々合格最低点と睨めっこして、今日は受かった、今日は落ちたな、、、を繰り返した。後期の過去問が足りなくなってしまったので、前期の赤本も買い足した。家だと閉塞感に苛まれるので、よく家の近くのエクセシオールカフェに篭って過去問を解いていた。

ある日、共に浪人していた高校の友達から電話がかかってきた。

電話に出るとすぐに
「っっしゃああああああ!!!!」
と喜びを爆発させた声が聞こえてきた。
彼は私立医学部の補欠であり繰り上げ待ちで、補欠繰り上げの知らせが来たという。

彼とは受験期ほぼ毎日夜に電話しながら、共に励まして合いながら勉強した仲であった。
だからめちゃくちゃ嬉しかった。だが、

取り残されたぞ。。。
喜びも束の間、この感情が襲ってきたのは言うまでもない。

「俺もつづくわ!!」
そう言って電話を切って、すぐまた過去問を開く。

東大合格発表当日。3/10である。
落ちていると思っていた受験当日からは日が空いたからなのか、もしかしたら、、という思いが少し強くなっていたのは今思うと残酷であった。
後期受験を控えているので、帰省はせずに1人東京住みを続けていたから、発表は1人でみることになった。だが親へは感謝の思いもあって、こんな大事な瞬間を一緒に見るべきでは、と思い、電話をかけて一緒に見ようと決めた。
すぐに出てくれた。

親は2人とも自分より緊張していて、ずっと励ましてくれた。自信のなさを電話越しで薄々感じたのか、大丈夫だよ、もし落ちていても誇りに思う、と。
でも落ちている気がしていたから、もう既に申し訳無くなっていて、あまり期待して欲しくなかった。

合格発表ページが更新されていたから、開いて、自分の番号がある列をゆっくりスクロールする。
心臓の鼓動が大きすぎて、苦しいくらいだった。

番号は、 無かった。

「落ちた」

ぼそっと声に出した。
それを聞いた父親の、気の抜けるようなため息が、未だに忘れられない。
これほど支えてくれた人に、合格という恩返しをできなかった。そして、自分がずっと憧れていた東大に入ることは結局できなかった。
段々実感が湧いてきて、放心状態になった。
少しそこまでラグがあったので、親も心配して声をかけてくれた。涙が出てきた。この涙は悔しさ、申し訳なさ、無情さ。色々混ざっていて、とにかく人生で1番しょっぱかった。インスタを見たせいで、高校同期の東大合格が分かり、それは悔しさに打ちひしがれている自分にとどめを刺してきた。

少しして、父親が
「一橋大学に一回行ってみたら?」と言ってくれた。
そういえば、場所もキャンパスの雰囲気も何も知らなかった。すぐに行こうと決めた。

中央線に揺られること1時間。国立駅周辺は今の自分とは正反対の賑やかさで、少々尻込みしたが、頑張って歩いて大学に着いた。
綺麗なキャンパスだった。西洋建築を思わせる立派な建物は感動したし、その周りに立っている松の木は和洋混合の絶妙な雰囲気を醸し出していた。1時間くらいかけてゆっくり散策して、帰った。

その時の写真(図書館)

もう少しだけ頑張るよ。
そう親にLINEした。とても感謝した。


後期試験当日3/12は雨だった。かじかんだ手で掴んだ受験票は雨に濡れてふやけている。
教室は200人程が受けられる大教室だったが、30人くらいしかいなかった。多くの受験生は前期か、私立で進学を決めているのだから当たり前だが、少しキツかった。

ガラガラな教室で、試験が始まる。
最初は英語だった。
あまり得意ではないし、超長文が特徴の一橋入試は、自分にとって確実に5割を取ることが目標だった。数学任せではあるが、これも過去問をずっとやってきた末の戦略である。

無事、手応えがあった。
昼食休憩を迎え、コンビニで適当に買ったサンドウィッチを頬張る。イヤホンでBUMP OF CHICKENを聴いて気持ちを高めながら。

次に数学。
結論かなりできた。5問中4問完答し、あと1問も
8割ほど記述した。

多分受かったな。
心の中でガッツポーズして、親と親友にこのことを帰路ですぐに伝えた。相変わらず雨降りだったが、東大受験の日とは違って心地よい雨音だった。

その次の日に、すぐ地元に帰省した。

帰ってから父親から聞いた話だが、母親は受験期毎日神社にお参りに行っていたらしい。本人に聞いたら
「仕事行く前にちょっとね笑」と笑っていたが、涙が出るほど嬉しかった。

合格発表までは長かった。3/21であるから、周りでまだ受験が続いているのは自分くらいだった。でも受かってる自信はあったから、気長に待てた。

合格発表当日。14時発表であって、自分と父親、母親で、30分前からリビングで待機した。

合格発表ページが更新されている。
ドキドキしながらゆっくりスクロールして番号を確認した。


よっしゃあああああ!!!


気づいたら叫んでいた。3人で抱き合った。
嬉しさより、安心感が強かった。開示を見たら、手応え通り少し余裕をもっての合格だった。

しばらく知人に合格を報告した。

しかし、父親の様子を見るに、どこかあまり喜びに満ちていない気がした。正直言って、もう少し喜んで欲しいところだった。
後に聞いた話だが、ずっと
一橋でお前は大丈夫か?ほんとに心から喜べてるよな?俺は喜んでいいんだよな?
と、自分の受験結果が、満足いくものだったか様子見していたかららしい。

正直、たまに、やっぱり東大に行きたかったなという思いが込み上げてくる。東大の文化祭の広告を見た時、塾講バイトの同僚が東大生だった時、憧れた綺麗なキャンパスが思い出された時、浪人期の東大に受かった友達がインスタを更新している時。
でも、今の日々が得られたのは、落ちた先でも這い上がって掴み取った大学に進学したからである。そのこと自体、僕が悔やんだことは今のところない。

大丈夫だよ。満足しているよ。
父親にちゃんと言えたのはこの前帰省した9月だった。


こんな長い文章を読んでくださった方、本当にありがとうございます。

最後に、
受験は団体戦か個人戦か論争がたまに流行るけれど、総じて自分が考える結論は、団体戦である。
個人の結果で合否は勿論決まるが、支えてくれる家族、友達、学校の先生、彼らなしでは自分の合格は間違いなくない。そう断言できる。

これからも、自分はこのことを忘れないし、これからの受験生も心に留めておいて欲しい。

以上、一受験経験者の独り言でした。

いいなと思ったら応援しよう!