仮面の恋 - すれ違いの果て

  グラスが触れ合う音が、華やかな会場の中に響く。
  シャンデリアの光がワインの液面を滑り、赤い影を作っていた。
 「おめでとう」
  シャンデリアの光がワインの液面を滑り、赤い影を作っていた。

 「おめでとう」
 美佐緒(みさお)は微笑みながら声をかけた。
 迷いはない。
 今だけは、偽りのない言葉を贈ることができる。
 「ありがとう」
 エリックは軽く頷き、淡々と返した。
 顔の左半分をマスクで隠しているのは、傷を隠すためだ。
 以前の彼は、それをとても気にしていた。
 人前に出ることを避けていたのに――今の彼は、あまりにも堂々としている。
 受賞は、彼にとって特別なことではないのかもしれない。
 何をやっても成功し、評価される。
 天才とは、こういう人間のことをいうのだろう。
 彼の周囲には、多くの人々が集まっていた。
 特に目立つのは、艶やかなドレスに身を包んだ美しい女性たち。
 彼女たちは、ワイングラスを傾けながら、エリックを見つめている。
 「次の作品のモデルは決まっているの?」
 「もしよければ、私のことを……」
 称賛と、露骨な誘いが飛び交う。
 彼女たちの声には、微かな甘い香りが含まれている。
 「この後、時間があれば」――そんな含みを持たせた言葉が、夜の空気に溶けた。

 彼の隣を争うように寄り添う女性たち。
 それを、男たちが羨望の眼差しで見つめている。
 「さすがだな……」
 「金も才能もあって、しかもあんな美女たちに囲まれてるんだから」
 「羨ましいよ、本当に……仮面をつけていてもな」
 表面上は称賛しながらも、内心では嫉妬を滲ませる男たち。
 彼らの視線は、嫉妬と羨望でぎらついていた。
 しかし――エリックは、それらを何とも思っていないようだ。
 気にしている素振りさえない。
 皮肉めいた笑みを浮かべて、だが、その瞳はどこまでも冷めていた。
 女たちの誘いを拒否するでもなく、受け入れるでもなく、ただ受け流している。
 まるで、それが当たり前の光景であるかのように。
 美佐緒は、その様子を黙って見つめていた。
 彼が何も気にしていないことも、知っていた。
 誰かの評価や誘いに心を動かされることはないのだろう、強いと思ってしまう。
 いや、天才とは、元々、そういうものなのかもしれない。
 彼の隣で微笑む美しい女性たち、羨望と嫉妬を抱えながら称賛する男たち。
 その中心に立つ彼。
 仮面の下の素顔を見せることもなく、ただ静かに微笑むエリック。
 できることなら、自分もあの場所に立ちたかった。
(天才と呼ばれたいわけじゃない。ただ……)
(自分の書いたものが認められたら、それだけでよかったのに。

――あの日、エリックは気まぐれのように呟いた。
 「小説を書いてみようかな。」
 「……え?」
 思わず聞き返した。
 「いや、まあ、気晴らしに書くのも悪くないかもしれないと思ってね。」
 冗談のように、何気なく。
 本気だとは思わなかった。あの時の自分は。
 ただの気まぐれだと思ったから。
 だから、軽い気持ちで「書いてみたら?」と言ってしまった。
 それを、今になって――こんなにも。
 空になったグラスを、そっとテーブルに置く。
 言葉にする代わりに、美紗緒は胸の中で最後の別れの言葉を思った。

 ――この夜、彼女は姿を消した。

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