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ジョン・ガリアーノの映画から「天才」を考える


天才に生まれてみたかったな…と
天才にあこがれるときもあるけど、

天才にしかわからない苦労もきっとあるんだろうな…。

「ジョン・ガリアーノ 
世界一愚かな天才デザイナー」
の映画を見て「天才って何だろう…」と「天才」のことがすごく気になりました。

天才とは、単にIQが140以上ある人のこと、といったこととは別に、天才には天才にしか持ち得ない、特別な何かがあるように感じます。

そこで、美学(哲学の一分野)をベースに、個人的な考えを交えながら「天才」について、自分なりに答えを探してみました。


さっそく、美学で天才を調べてみると、「天才とは天分を生まれながらに持って生まれた人のこと」で、「とびぬけた創造力の持ち主のこと」をいうようです。

そして、天才に生まれても、思慮深さとか、行動に移す勇気とか、創造力などに磨きをかけていかないと、せっかくの力が使い切れないまま終わってしまうこともあるとか。

確かに、ジョン・ガリアーノ(以下ガリアーノ)も、生まれながらに備えた能力を持った上で、

コレクションの創作をするときには、世界史、美術史、哲学などの研究をして、

創作のための本質的な部分を、独自の視点によって、現代のファッション(作品)の中に取り込んでいるようです。

ガリアーノの生まれながらの能力と研究気質が、パワフルなエネルギーとなって【ずば抜けた未知の世界】を生み出し続けています。

そして、天才には遺伝的要因もあるようで…

映画の中では、スペイン人であるガリアーノの母親の完璧なファッションセンスについても語られています。

血筋も天才をささえているんですね。

天才は、持って生まれた能力と研究気質と血筋などによるパワフルなエネルギーが、作品に取り込まれているからこそ、

作品を見る側は、天才の作品が放つパワフルなエネルギーが、見る者の体内へとめぐり入り込んでくるような感覚を覚えるのでしょう。

確かに、ガリアーノの作品からは、強いエネルギーを感じます!

そして、美学では天才について考えるとき、霊感というワードが必ずでてきます。

天才は、精神的犠牲があっても、霊感にも似た直感の作用によって、作品を生み出すことができるのだとか。

その霊的直感の力が、天才を支えているともいえるし、

その霊的直感の力が、苦しみを抱えながらも、天才に作品を生み出させてしまうという側面もあるようです。

すごく複雑な心境ですね。

天才は、優美さや崇高さなどのプラスのエネルギーと、

残酷さや醜さなどのマイナスのエネルギーが、常に隣り合わせにあるのかもしれません。

個人的な結論として、天才とは望むものではなくて、

天才とは、ガリアーノのように【天から、かけ離れた力を授けられた持ち主のこと】なのだと納得しました。

そして、その能力を備えた天才が、さらに努力を重ねることで、見たこともない未知の世界が開かれていく…

そのようにしながら、歴史は作られていくのだろうと思いました。









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