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ドラマ「未成年」を1シーンごと超細かく考察してみた ~行動主義の蛭川と言葉主義の水無瀬~(冒頭30分で、15,000字になるほど、丁寧に作りこまれている作品ですね)
やけに盛り上がっているドラマがあるな…。しかも、盛り上がり方が、「25時、赤坂で」と同じく後半になるにつれ熱量が高まり、気づいたら熱狂的なファンが一か所に集まってるやつ。
まるで私たちが未成年の時に国語の授業で読まされた「スイミー」のように、
小さな魚たちが集まって大きな魚に見えるような団結感…不思議な盛り上がり方だなぁ~。
と、SNSが誘い水となり、FODで「未成年」を見てみたんですよ。(放送終了後にドラマを見始めた人)
…ああ、なるほどね。…うん。…うん、うん、うんうん!ああ、これはよく作りこまれているわ!!
私の本業(?)はミュージカルオタクです。で、今は絶賛「天保12年のシェイクスピア」論文を勝手に作成中で、シェイクスピアの言葉の洪水に船酔い気味でなんでございます。
そんな中、必要最低限の表現&無駄のないドラマ「未成年」が心地よく、イッキ見してしまいました。
その勢いで、今、「考察と批評を書きたい!(注1)」という個人的欲望から、2度目の視聴をしながら、徒然なるままに書いてみようと思います。
つまり、ここで言いたいのは、ほぼ前提知識が空っぽです!
ドラマ放送中の情報や、俳優、原作の情報もほぼゼロです。
SNSも「なんか盛り上がっているなー」程度でちゃんとわかっていなかったので、他の人の感想(クリシェ)を知りません。
なので、前提知識が違っていたり、皆さん先刻ご承知の事実であったり(←今、絶賛シェイクスピアかぶれ中なので、不思議な表現使いたい時期なんです、ごめんなさい)浅瀬の水よりもあっさいこと(いや、その話もう出てるし!って内容)を書いているかもしれません。
あの、2回しか(正確に言うと今、1巡し終えたことろ)見ていない状態で書いちゃっているんで…。(ファンの方浅い状態で書いてごめんなさい)
ただ、洞察力と分析力はミュオタの得意とする分野なので、書けると思う。
というわけで、徒然なるままに、視聴しながら考察を書いてみまーす!
(無駄なシーンがなさ過ぎて、全シーン考察書いていたら、15,000字を超えてしまい、1番書きたかった2話の「水の音」の映画についての批評を書いて断念します…。書きたいことありすぎて、小説みたいになっちゃった(10話水無瀬のオマージュ言葉))
注1…ここでは、「なぜ働いてると本が読めないのか」の三宅香帆さんの「考察」と「批評」の定義で進めます。
考察…作者が提示する謎を解くこと
批評…作者も把握してない謎を解くこと
詳しくはこちら↓
1 タイトル「未成年」の意味
ひととおり動画視聴して思ったことは、「未成年」というタイトルには、2つの意味が込められていて
1.「未成年」だから自分たちの思い通りにならない不条理
2.「未成年」時期だからの不器用さ。そして、ここで言う不器用さとは、「言語化できない」からこそ生じるもの
だなーと感じました。
2つのことを、「映像」「登場人物像の掘り下げ」「俳優の繊細な演技」で見事に作りこまれていますよね。
1については、ドラマをご視聴のみなさん誰もが感じるところだろうと思います。全体を通してわかりやく「不条理」が描かれていて、作品の核になっていますよね。
2については抽象的すぎるので、もう少し詳しく話をさせてください。
高校生って、初めて経験することって多いですよね。初めての感情、初めて知る別世界、初めての恋、そこで知る初めての自分…。
自分の想像を超えたものに出会ってしまった時、人はその物事に対して、どうやって言葉にしたらいいのか分かりません。つまり、「言語化できない」状態です。
「水」という言葉を知らなければ、「水」をどうやって伝えたらいいのかわからない。伝えるすべを知らない。だから戸惑います。
その「戸惑い」に対して、蛭川と水無瀬のアプローチの仕方が真逆だからこそ、「不器用」に進行していく。
だから、私は、「2.「未成年」時期だからの不器用さ。そして、ここで言う不器用さとは、「言語化できない」からこそ生じるもの」と受け取りました。
では、「言語化できない」ことに対して、2人がどのように立ち向かい、どんな信念でいるというと、
・蛭川は行動に示す=行動主義
・水無瀬は言葉に示す=言葉主義 と言えそうです。
「うわ、作りこまれてるなー」とものすごく感じたのが、最終回のキスシーンの部分です。(この、キスシーンの部分が「作りこまれている」と思った理由について長くなるので省略)
では、1話ずつ「行動主義=蛭川」「言葉主義=水無瀬」ということ前提として、各シーンの考察していきましょう。
ってわけで、今から2度目の視聴をし始めます。
2. 1話を考察してみる~行動主義=蛭川、言葉主義=水無瀬~
1話
■冒頭のモノローグ
・冒頭の水無瀬、お引越し前に蛭川との思い出の場所を巡ります
∟なぜお引越し前なのかというと、水槽が空でビニール袋に魚を詰めている。しかし部屋の間取りは「大学生」のときの部屋なので、引っ越し先に向かうまでに、思い出の地を巡っていたのでしょう。
・2018年9月25日16:40(←つまりたぶん放課後)
∟下校シーンに校舎の時計、掃除中に先生から、「生徒会興味ないか?受験に有利」と言われ、ごみを出しに行く姿から、
【水無瀬という人物は優等生である。「受験・有利」が先生から言われる日常なので、進学校でその中でも成績が優秀】ということが読み解けます
・ネクタイの色、1年生は「青」なんですね!(ということは、宣伝画像は2年生。1番お互いに影響しあった時期のポスターなんですね!)
■「加害者」「被害者」「そして傍観者」のモノローグ
∟(批評)さらっと聞き流しそうになりますが、私は初見でめちゃくちゃ違和感を覚えました。…いやいや、3種類じゃなくね?「コメンテーター(批判する人)」とか「偽善者」とか、傍観せずに相手を傷つける人がいるじゃん。と個人的に思ってしまいました。
「水無瀬個人の枠組み」で見ている世界なんですよね。蛭川にとっては「傍観者」ではない。3種類と分類してしまうところが、水無瀬が「未成年」である証拠だなーと思いました。
(ちなみに、お引越しシーンは「未成年である」可能性が高そうです。なぜかというのは、2話の分析部分で)
そして、「傍観者」以外の要素もあるんだと気づく(「傍観者」と書いた部分は6話かな?)のもいいですよね。
・水道のシーン、音が無いんですが、水無瀬は「はっ?」か「えっ?」と言って、蛭川が「えっ?」か「あっ?」って言っていますよね。
(蛭川の言葉遣い的に「あっ?」はないから多分「えっ?」だと思う)
∟言葉がないのは、蛭川にとっては「強烈な思い」で、水無瀬にとっては「なんだこいつ?」程度(つまりどうでもいい)なんだと類推します
なぜなら、リフレインシーンは水無瀬は言葉(=言葉主義)が入って、蛭川は水無瀬の映像、つまり蛭川から見た世界(=行動主義)が入るんですよ。
水無瀬が思い出しているのに、「言葉」は入っていないということは、「覚えてはいたが、記憶したいと思うまでの相手ではないということが分かります
・仲良し3人組の成績掲示版や歩く順番が 柴 → 根本 → 水無瀬
∟3人組の中の微妙な距離感が分かりますよね。のちのちに分かりますが、グループの中で、グループの仲介者(中心人物)は柴で、柴が居るから根本と水無瀬が一緒にいられる。
高校生の微妙なパワーバランスを見事に表現している3人組だと思います。(のちのシーンでカフェで柴が帰ると根本も帰るんですよね)
また、後ろにいる水無瀬から、「一歩引いて人と付き合う人物だ」ということが分かる。
・蛭川と水無瀬のすれ違うシーンは蛭川が水無瀬を流し見する(秋波を送ってんなー)
→蛭川が気になっていることが視聴者に伝わります。また、出てきました!
「見る」という行為。「行動主義」蛭川の現れですね。
■登校シーン
・時間の経過を示す、3人組の冬の予備校と2019年4月9日登校シーン
→おいおいおいおい!!ちょっと待て!!根本、柴にはボディタッチしているけど、水無瀬に対しては触っていないのな!?
しかも、微妙に距離感がある…。根本、EQスキル(相手の感情を察知するスキル)がバカ高いからちゃんと水無瀬の望む距離感を保って友達やってくれていたんだね…。
(ネクタイが「青」から「赤」に変わりました。この学校は、学年ごとにネクタイの色を変えるようです)
・真島と蛭川の登校シーン
∟真島「童貞…童貞ってヤバくね!?」発言から思春期であり、自分のことを中心で話す人物だと分かる。また「今度、また会いたいって蛭川に」の発言に無反応の蛭川から、他人に興味がない(ように見える)
【登校シーンのまとめ】
⇒実は2組の「登校シーン」で真逆っぽく見えるんですが「仲良さそうに見えるけれど、内実はぐちゃぐちゃしている」部分は一緒で、「未成年」の未熟さをうまく表現しているんですよね。たった10秒に。
こういう細かな演出が、熱狂的なファンを爆誕させている要因なんだろうなーと思いました。
■授業中に「音がちょっと」と注意を受ける蛭川
∟真島が「芸術なのにな」と言っていたので、【水無瀬を盗み見して似顔絵を描いていた】のでしょう。
蛭川が出ていった理由は、①他人に迷惑をかけないため、②先生にムカついて、③真島に水無瀬の似顔絵という大切なものを見られたから、④水無瀬に見られて照れている、⑤その他…果たしてどれなんでしょうね(笑)
行動主義の蛭川は言葉にしてくれないのでわかりません(だから5話のモノローグが効果的)
・仲良し3人組の会話
∟水無瀬の言う「傍観者」が好き放題言っている図ですね。水無瀬…「傍観者」はいろいろ言わないよ。あなたは傍観者スタンスでも。「コメンテーター」や「野次馬」スタンスもあるでしょ!
ここで味わい深いのは、1話の段階では「蛭川は人を殺せる」と思っているところですね。
■水無瀬と母親との電話
∟「週末のディナーなしになった」 水無瀬の誕生日会だったかもしれませんね。メモ帳の日付の日だとすると、2019年4月9日(火)なので、週末は4/12~4/14。一見、父親の愚痴って感じの母親の言葉ですが、「無理して帰ってこなくても」という水無瀬の聞き分けの良さも怖いです。
どれだけ一人に慣れていたのか…。
一人に慣れているというよりも「一人でいることが当たり前すぎて何も思わない」が正解かもしれません。
・蛭川が父親に殴られるシーン
∟蛭川、受け身。何も言わない…行動主義…
■おうちでの勉強シーンの水無瀬
∟リビングで勉強しいる水無瀬。お弁当のゴミから基本自炊はしない。
水もペットボトルで飲むということが分かります。
また、「家庭暴力 対処法」とスマホで検索することから、蛭川の件が気になっている、何とかしたいと考えていることが分かります。
■先生に(間島の)タバコについて詰められる蛭川
∟ようやく出てきた!水無瀬の回想シーン!!
蛭川の家でのたばこの銘柄を思い出しています。この時、蛭川の「誰にも言うなよ」のセリフも一緒に回想されています。
ここから、「言うな」と言われたことについて視聴者に思いだしてもらうこともできますが、水無瀬は「言葉」と一緒に記憶するタイプの人間だと読み解くことができます。
(本来ならここのシーンだけでは根拠は弱いのだが、2度目の視聴だと根拠をもって言える)
・屋上のお昼ご飯
∟柴はお弁当なんですよね。そして、「家族ですき焼き」と言っていることから、家族仲が良さそうに見えるので、水無瀬と同じ秀才タイプでも、実は違うということが示されています。
根本の女好きでチャラいキャラがはっきり出ていますが、椅子を運んだり等、周囲への細かい気遣いをしているあたりが読み取れて、視聴者女性が嫌いにならない「いい奴」なんですよ。この演出ズルいなぁ~。
・公園でボロボロの蛭川を見つける水無瀬
∟「言葉主義」第二弾!蛭川の「ダサっ」という言葉を拾っています。
これ、ストーリーの進行上ではいらないセリフだけど、敢えて入れているあたり、やはり「言葉」に反応する水無瀬を投影しているように思います。
■蛭川が水を水無瀬から恵んでもらうシーン
(大事!なので細かくいきましょう!)
【セリフ】
蛭川「なんで水無瀬がいるの?この辺に住んでるからか。ボンボンぽいもんな」
水無瀬「どうしたそれ」
蛭川「水」
水無瀬が渡そうとする
蛭川「飲ませて」
【大事な「水を飲ませる」のシーンなので、詳細の考察を】
ここの会話、全くかみ合っていないんですよね。
蛭川の「何でここにいんの!?」の自己解決の言葉に対して、水無瀬は何も教えません。
水無瀬の「どうしたそれ」に対しても、蛭川は理由を答えません。
お互いにお互いのことを教え合わないんですよね。
それなのに、蛭川がいきなり水を要求する…だけではなく、飲ませることまで要求する。
まさに、突拍子もない行動ですよね。初めてのことに戸惑う水無瀬。
対して、蛭川側は、水を要求するために、「手を伸ばす」「口を開ける」
言葉にせずに、行動で要求を示してきます。
水無瀬が水を恵んだ後の蛭川のセリフが「下手すぎ!」なのも、「行動」が起点になっていることが読み解けます。
(「冷たい」とか「濡れた」とか、感情や描写などではない第一声なので)
その後の、蛭川のペットボトルの水をかける、「お前も早く帰れよ(行動の依頼)」の部分も含め、【言葉にせずに行動で示す人】なことが分かります。
以上のことから、「行動主義=蛭川」として私は考察を進めていきます
一方で、不可解な行動を蛭川に取られまくった水無瀬側の反応はどうかというと、「マジでムカつく」なんですよね。
何も言わずに逃げることもできたし、他の言葉を話すことも出来たかもれませんが、「ムカつく」なんです。
「ムカつく」って言葉、めちゃくちゃ抽象的じゃありません?特に、思春期のときに発するムカつくって。
たぶん、「わからない」「不安」「心配」「理解したいのにできないイライラ」「混乱」いろんな感情が水無瀬には渦巻いていたと思います。
何せ、「不良と関わること」も「家庭内暴力を受けている人と関わること」も、「よくわからない相手なのに、よくわからない行動をとられること」も初めての経験だったと思います。
でも、その様々な気持ちをうまく言語化できない。
だから、「ムカつく」の一言に込めているんだと思います。
「水」が軸になっているストーリーということだけは、リアルタイムで見ていない傍観者の私にも何となく情報として入って来るものでしたので、このシーンを作る製作側の気合の入れ方は半端なかったんだろうなと思うので、細かく分析してみました。
・体育を休む蛭川
∟真島に予定を聞いて休む、寝ると言っていますが、怪我を周りに見られたくないためのものですよね。辛い
■2人だけの教室
∟「言葉主義」水無瀬と、「行動主義」蛭川がはっきり表れています。
蛭川が「背中の、剥がして」と、これも行動についての言及です。
そして、言われたことをやりつつ、水無瀬側からのアプローチは「病院には行っていないの?」と言葉なんですよね。
湿布を貼った後、
・水無瀬「もう無しね、学校では話しかけないで」
∟言葉主義の水無瀬としては、蛭川を拒絶しているつもり(今後は一切関わりません。外でも関わりないだろうからという意図)なんですが、
行動主義の蛭川にとっては伝わりません。
「湿布を貼ってくれた」という行動がすべてなので、「学校では」にフォーカスされています。
なので、蛭川は、るんるんうきうきの状態で水無瀬のデッサンをしています。
このように、1話だけ見ても細かく「人物描写」がされていることが分かります。
3.2話の冒頭10分を考察してみる
・冒頭 インターンエントリーシート
∟ロゴマークの下に「ロサンゼルス」とあり、学部が「理工学部」とあります。
小説を書いて、一人暮らしの部屋があれだけ本(ビジネス書だけではなくハードカバーの小説も)があるので、
水無瀬の属性的に文系の方が「学びたいことや興味のあること」は学べそうなのに、理系を選んでいる。
このことで、「未成年」で親の言いなりのまま「いい大学の偏差値の高い学部」に行ったように見えて水無瀬家の闇を感じます。
(2年からインターンって、マスコミや外資系のいわゆる「就活ガチでやります系」が多いよね…。真面目というか…呪縛強いというか… )
【時間軸の考察】
自己分析する中で、どうしても蛭川との関係は「自分」と切り離せなかったから、ESとは別にメモ帳に書いたのかな…。
そして、ここから引っ越し先の部屋になっているので、2022年(大学2年)では日本にいる+留学をしていないということが分かります。
10話で、連絡が取れなかったタイミングからも、お引越しは2021年3月~2022年3月の間でしょう。(つまり、1話冒頭の水無瀬は「未成年」の可能性が高いです)
また、留学は大学1年~2年2月のどこかから始めている。2年で東京に戻りインターンのES書いているので、蛭川とのすれ違いが「ほんの半年くらいズレていたら」起きなかったということが分かります。切ないねー。
しかし、水無瀬は受験→留学→就活って、本当に「目の前のすべきことをする優等生」すぎるわ…。
大学生の特権の自由もほぼ享受できていないじゃん…。こんな学生生活、私なら送りたくないYo!(学生時代も今もめいっぱい欲望のままやりたいことに手を出している人なので笑)
・2019年4月24日
∟タバコが真島のものだったと分かるシーン。
間島「メンソールだせぇよな。俺も蛭川と同じのに変えるか」
同じものに変える理由が、蛭川に憧れてなのか、先生にバレないためなのかはわかりません。
しかし、はっきりしていることは真島は「自分のことにしか興味ない」ということなんですよね。蛭川に対しての謝罪などはない。
この描写から、一緒にいても、間島は蛭川の理解者にはなっていないということが分かります。
・根本・柴の会話より、蛭川のせいで真島も不良になったと判断されている。また、影響力のある(目立つ)人が蛭川であるということが分かります。
→ここから、蛭川が「良いことも悪いことも目立ってしまい、自分とは関係ないところで評価をされやすい人物である」ということが読み解けます。
【ここからは批評、なぜ「行動主義」蛭川が生まれたか(一つ目の要因)】
蛭川はたぶん、「ずっと注目され続けてきた」のではないでしょうか。注目されるって、ある種自分じゃコントロールできないんですよね。だから、どうしようもない。
人からの言葉に鈍感になることも理解できます。自分と関わりの薄い誰かからも勝手にいろいろ言われるのって、疲れる。鈍感にならなければ、生きていきにくいんですよね。
じゃ、「目立たなくちゃいい」と言われても、目立つ素養のある人って、目立っちゃうんですよ。蛭川は俳優じゃないのでオーラを消すも出来ないだろう‥。という面も含めて、蛭川の「言葉」に対してと「周囲からの目線」に対しての無頓着ぶりが分かります。
よくも悪くも、たくさんの好意と悪意と押しつけに傷ついてきたんでしょう。後半に進むにつれてに分かる蛭川の深い優しさが生まれる理由がめちゃくちゃわかる。
そして、「蛭川のせい」と心の弱い人達から、かなり言われてきているのでしょうから、自責思考が強いのがめちゃわかります。
(「行動主義」になった二つ目の要因は愛されて育ったからだと私は思います。)
■3人組がカフェで蛭川と真島について話すシーン
∟水無瀬「真島の意思もあるだろうし、蛭川のせいってわけじゃない」
正論なんですよね。そして、自己責任で実行する人。
(蛭川と逆すぎるwww)
正論で話すことができるのは水無瀬の強さです。
でも、なぜ自己責任が自然に身についているかといと、自分ひとりで生きてきているからと考えると悲しい…。
・柴の蛭川に近づかないように助言の言葉
∟「気をつけろっていっているだけ」
「俺、水無瀬のこと嫌いになりたくないからね」
【詳しく考察】
ここまで、水無瀬と蛭川に注目している私たちからすると、「なに言ってるんだよ!蛭川のこと知らないくせに、無責任にひどいこと言うなバカ!」と言いたくなりますよね。
でも、柴の立場からすると言いたいことが分からないでもない。
表面上で見えている蛭川は「周囲に悪影響を与えるダメな男」です。そして、別世界の人間です。蛭川の親に虐待を受けていることも知りません。
私たち&水無瀬には「嫌いになりたくない」が刺さりますが、おそらく柴が一番言いたいのは「気を付けて」の部分ですし、小説が好きな読書家。
私も、年間に舞台100公演と本100冊読むので分かるんですが、物語を読みがら、相手のことを思ったり考えることが楽しいんですよね。評価したくなる。
そうすると、客観的に見て「はあ?」って奴に対して「嫌いだ」と評価を下す。柴はちょうど、小説を手にしているところですから、読書モード突入(本を読み始めている)の何気なく言った「嫌いになりたくない」なんでしょう。根拠としては、本を読んでいる柴を水無瀬が見つめたので、「え?」と思って顔を上げているところ。
…いや、言葉には気を付けようと思うわ…。
・水無瀬「おすすめの本教えてよ」
∟本音を言えない「大人」な水無瀬が悲しいですよね。たぶん、本音を言ったら受け止めてくれると思うよ。柴は…。
と言いつつも、本音を言いにくいと思う「大人」な部分も、高校時代の「未熟」な感じもすっごくリアルで分かる!って思う。
■水無瀬、ママとの食事
∟乾きものばっかりだなー。Barのオードブルって感じのラインナップ。(チーズやハムとか)
「冷めていても食べられる見栄え重視」のものばかりなんですよね。
そして、自分(母親)はワイン、水無瀬は麦茶…。
たぶん、宅配のもので手作りなものはなさそうです。
「なにこれ」と水無瀬が言ってるように、酒のつまみで食べるには美味しいメニューですが、高校生にはおいしくないよね…。
というか、食べごろの高校生のご飯の量ではない‥‥家族ですき焼きの柴家とは大違いです。
ひとつも、水無瀬の好物は無さそうで(せめて何かジュースでも買っておきなよ・・と思ってしまう)、母親の好きなもの。お金はかけてもらっても、愛情はかけてもらっていないんですよね‥。可哀想…。
会話全体を通しても、「親の所有物」という感じがします。
そして、水無瀬の「元気でよかった」に対して、(本当は蛭川の件があって元気じゃないのに)笑顔を作って「うん」という水無瀬。
笑い方がきれいすぎて、「表情管理に慣れている笑顔」すぎるんですよね。
いや、本島さんうまいなー繊細な演技だなーと思いました。
とは言いつつも、決して親は子供のことを気にかけていないことは分かります。
わざわざ帰国しているし、生活費をきちんと振り込むし、成績などの進路を気にするし…母親なりの可愛がり方は理解できます。
ただし、自分の価値観に沿った生き方を押し付けているので、「子供を所有物している」状態なんですよね。
(数分でここまで理解できるように人物像が分かる描写ってすごいよね)
【さらにさらに深掘ると…】
水無瀬のパパとママは、自分のしたいことを優先に行動するタイプです。
そりゃ、「行動主義」蛭川に合わせることもできるし、惚れるわな!
「未成年」のドラマは、未成年だからこその不条理を示しつつも、ちゃんと「親の影響」も丁寧に示しています。
一種のグロテスクがリアリティをら示しているのが、「ドラマのご都合主義」と一線をかくし、評価されるのだと分析します。
■蛭川と水無瀬、本屋に向かうシーン
∟行動主義は蛭川、グイグイ行きますね!笑
一方、周囲から付き合わないようにと言われた水無瀬は言葉で拒絶しつつも、「映画とか見るんだ!」とつい反応しちゃうのがリアル笑
・「見る手段がないんだけどね!」と聞いてからの「本屋のあと俺んち寄ろう!」が、行動主義蛭川をリアルに示しています。
・蛭川の家についてからの水無瀬
∟恐らく目線の映像で、酒の空き缶(雑多)→家族の写真立て(整頓されている)という描写がよいなと。
ここで、「今は荒れているけど、過去は良かった(そしてきれいな思い出のまま」ということが分かります。
…にしても、初めて来た家でしかも自分の家の環境と違うだろうに冷静に見ている水無瀬という人物描写も丁寧。
■蛭川の部屋の雑感
∟モノが多いが丁寧に整頓されている。暮らし方が丁寧な人ってところもわかるし、モノのこだわりもありそうでセンスの良さを感じますよね。
また、どことなく「好きな空間」が分かります(蛭川の好きなものしか置いていなさそうだから)
【細かく考察】
・蛭川の部屋の小物で「おーーーーーいっ!」て思ったのは、アフターストーリーの水無瀬との同棲部屋にあった、「黄色い時計」があること!
そう考えると、水無瀬、一人で暮らしていたときには時計もない部屋だったのか…。
生活感のない部屋で育ってきたから、「生活感」というものが分からなかったのだろうな…。
・また、蛭川の部屋からも「芸術家」の感じが出ています。
スクリーンに大量のDVDと雑誌、そして、絵を書く画材。あと、チュッパチャップスの箱があるのは、甘党(私生活)なのか、ゲーセンの景品(逃げ出したい日常で逃げた時にたまたま得た産物)なのか…。
そして、机の上が、小説・Gショック(腕時計)・ドライヤーが雑多に置かれている感じから生活感を感じられます。
「机に座っている時間が一番長いから部屋の他の場所は整理されていても、そこだけちょこっとごちゃごちゃになる」ってリアル。
観葉植物が置かれているのは、お母さんの家とも似ています。
「気づかないところで子供は親の影響を受けるもの」ということが自然に表現されています。
そして皆さん……気づきました?「水の入っていない空のコップ」!!
製作陣の細かい作り込みよ…。こういうのが「考察」に向いているドラマなんだろうなー。
■「水の音」のDVDを見ながら水無瀬の父が監督であることを暴露するシーン
∟蛭川の問に対して答えながらも、パッケージから目が離せない水無瀬。自分の父親の作ったものとの初対面。想像の中にあったものを手にしたときのリアルな芝居だなーって思う。
蛭川の反応がオタクのそれでよかった。(本島さんも上村さんも、演技がリアルでうまっ!!)
「オタクのそれ」とは
∟早口で棒読みのようになる。…のに、突然大声で「えー!!!」&ガン見。
憧れがリアルに現れたときの、脳内処理が終わってないけど伝えたいが先走るときに起こる、一般人には不可解に感じる(しかし、やけに感情は伝わる)行為。
水無瀬、あれを浴びてよく冷静にいられたね…そうか、彼の周りには「ガチオタのやべー奴」はいなかったのか…。
(はい、なんとなく皆さんお感じになっていると思いますが、楽しんで書いていますここ。水を得た魚のように)
・蛭川が水無瀬に雨沢監督について「大好き」と言うシーン。
(はい、オタク暴走タイムは終了させて、ここは冷静に分析します)
水無瀬「そんなに好き?」
∟言葉主義の水無瀬がよく表れていますよね。
物事の正解が欲しい、事実確認をしたいという心理。
小さいころから、テストで答えを出すことを求められて、「周りの思う正解」を演じてきている水無瀬らしい、「言葉が欲しい、言葉で正解出ることで安心したい」という性格良く出ています。
蛭川「大好き!」
∟珍しく、水無瀬の目をみて真正面から見ています。
行動主義の蛭川が、好意を伝えることを躊躇しなくてもよい、微妙に遠い第三者であったことが良かったのでしょう!
水無瀬にとって、ここの「大好き」は蛭川に心を許すきっかけになる重要なシーンになりそうなので、ここは詳しく批評します。
5.蛭川が水無瀬に「(監督である水無瀬の父親を)大好き」ということによる効果を心理学的にとらえてみる
「未成年」は、細かい心理描写が軸となる作品です。
そこで、心理描写的から、相手との距離が近づいたとなぜ言えるかを批評してみましょう
(ここは、製作側が意図してない可能性もあるので「批評」としました)
①拡大自我効果
心理学で「拡大自我」という効果があります。これは、自分の身近な人を褒められると自分も褒められた気持ちになるという効果です。
成績の良いセールスマンって、よく自分以外の身近な人を褒めてきたりしません?こうすることで、自分も褒められた気になって嬉しくなる。
だから、相手を信頼しやすくなり距離が身近に感じてしまい、ついつい相手から商品を買ってしまうんですよね。
(その成績の良いセールスマンが「自然にやっているのか」「わかってやっているのか」は分かりませんが、私は分析魔なんで成績の良いセールスマンの拡大自我の使用頻度高いなーと思ってます)
②スティンザー効果
簡単に言うと「自分の好きなものが好きな人はより好印象を抱く」という効果です。
人は、自分の好きな人(モノ)の好きなモノ(人)にはポジティブな印象を抱き、自分の嫌いな人の好きなモノは嫌いになりやすいというものです。
逆に、自分の嫌いな人が同じモノを好きだったら嫌な気持ちになり、「心の均衡」を保とうとして、「好きなもの」を嫌いになったりするという効果があります。
水無瀬的には、「自分の好きな父親」が「好きな(というか大事にして作った)映画」を好きな蛭川なので、「好き(父親)」×「好き(水の音)」を好きである蛭川にポジティブな印象を抱きやすいです。
以上、2つの心理学的効果からも、「自分の父親の作品が好きな蛭川」に対して、水無瀬が好印象を持つのは当たり前の法則と言っても過言ではないでしょう。
製作側がここまで意図して作っているかはわかりませんが、人の普遍的な心理をきちんと作りこまれているのが、すごいなーと思います。
さらに、水無瀬に好意を持っている蛭川が、狙ってやっていたわけではなく、偶発性があるということもよいですよね。
ある種の「正解を演じちゃう」水無瀬だからこそ、「本音と建て前」に敏感です。その水無瀬に、本心から「好きだ」と近しい人を褒める蛭川。
その計算のなさが、お互いの距離を近くしたんだと思います。
蛭川側からしたら、好きなものを作った人の親族が自分が好意を持った人だと思ったらたまらんだろうし、そりゃ「好き!」の感情がさらに爆発するでしょう。興奮しながら「いやでもなー、確かに言われてみれば分かるわ」と言うのは分かります。
ここは、「水無瀬が雨沢監督の息子だということが分かる」という意味と「自分が水無瀬に好意をもってしまったこと」に対しての「分かる」なのでしょう。
「芸術肌蛭川」だから分かる、雨沢監督と水無瀬の感性の類似性を感じ取ったんだろうなが分かる描写です。
さて、「考察」に戻ります。
・蛭川が電気を消して「座って、一緒に見よう」
∟行動主義蛭川らしい、行動を促す言葉です。でもこれ、言葉主義の水無瀬にも刺さる言葉なんですよね。「一緒に」って。くー!!!!
6.映画「水の音」から深く深く批評する
・水無瀬「どこがいいの?これ?」
∟言葉主義の水無瀬らしい言葉ですよね。正解が欲しい。
ちなみに、『ヴィジュアルを読み解く技術』って本では、「アートを見る」という体験は知識や訓練が必要となる。と書かれています(注2)
「芸術」や「映画(映画)」を見て深堀りすることって、確かに体験して、知識を得て、体験を繰り返すことによる「訓練」って必要だよなーと舞台オタクは思います。
コスパの悪い知識や訓練なので、「正解を求めて生きてく」には非常に非効率なものです。非効率…わかる。
「どこがいいの?これ?」で、水無瀬が今まで芸術の世界に触れてこない世界にいたことが読み解け、母親が「非効率的なもの」を徹底的に排除する育成環境に置かれていたんだなとわかります。
・蛭川「苦しみを乗り越える人もいれば、苦しみに浸食される人も居て。この映画はそのすべてを肯定してくれる。だから好き」
∟「なぜ好きなのか」を具体的に言語化できる。
芸術系のオタクである私は、このセリフで蛭川が相当数の映画を見ていて(つまり体験を通した訓練をしている)、知識があることが分かるセリフだなと拍手したくなりました。
では、このセリフの解釈に行ってみましょう!
【苦しみを乗り越える人もいれば、苦しみに浸食される人も居て。この映画はそのすべてを肯定してくれる。だから好き。
この主人公はね、苦しみの波が大事な人にまで押し寄せないように、海に残って見張っているんだよ。】
抽象的だけど「未成年」のドラマを象徴した素晴らしいセリフですよね!
蛭川の現状と心情を表しています。
①蛭川の状況をこのセリフを元に翻訳すると
【節目ごとに家族写真を撮って写真立てに飾っていくような幸せな家庭から家族がバラバラになるという苦しみを、
乗り越えようとする蛭川晴喜もいれば、
苦しみで酒に溺れてアルコール中毒になってしまった父親も居る。
水無瀬のお父さんの取った映画は、そのすべてを「いいんだよ、それでも(周囲が理解できなくても、水無瀬パパは否定しないよ)」と言ってくれる。
だから、救われるので好き。
自分はね、アル中になってしまった父親が、母親や母の新しい家族を殺しに行かないように、「幸せの残像のある家」に残って父親を見張っているんよ】 と言えます。
抽象的なのに、1話から2話の途中まで見た段階で、蛭川が抱えているもの、そして行動主義で言葉で示さない蛭川が思っていることを「未成年であるゆえに言語化できない」という状況下で、丁寧に視聴者に示していく。
すごくよく練られている脚本だなと思います。
そりゃ、沼にはハマるスイミーはたくさんいるよ、大漁に釣れるよ!
「セリフの美しさ」で言うと、ここでも「水のイメージ」が使われている点です。
「苦しみに浸食される」…この浸食(侵食)とは、雨水・海水・風など、自然現象により地表の岩石や土壌を削り取られることを意味します。
「苦しみにより心を削り取られる」比喩として、「苦しみに浸食される」と言っていますが、きちんと「水」のイメージになっているということがうまいですよね。
しかも、地下の岩石や土壌が水によって溶解や洗い流される現象のことも「浸食」と言いますので、この後、アル中の蛭川父が「アルコールという水によって、命を削られていくこと・この世からいなくなること」の暗喩になっていることも、「セリフ」として素敵だと思っています。
【「水の音」から7話を批評する】
ここまで意図して作られたかはわかりませんが、7話で父親が亡くなっていたときに、「俺のせいだ」と蛭川が責めるシーンに重みを出すことができるのも「水の音」の映画なんですよね。
発想を飛ばして考えると、「悲しみに浸食される人もいる」ことを肯定してくれているから、「父親がアル中になってまで溺れていることも許そう」と蛭川がしていのではないかと推測することもできるんです。
私たち「大人」から見れば、アル中で暴力ふるっている蛭川父は、自立支援や治療を受けるべきです。
蛭川も、1浪して現実世界で言うところの「MARCH」の大学に受かるくらいに地頭がいい。
そのため、正しい対処法は分かっていたと思うんですよ。
でも、父親の悲しみも理解できるから、「お酒に溺れる」ことを許していたのではないでしょうか。
そうやって考えると、7話で自分を責めてしまう蛭川の苦しみの大きさは、私たちが想像できないほどの深い海なのかもしれません。
「行動主義」の蛭川なので、言葉として正解を示してくれていません。
芸術肌で感性豊かな蛭川は、言語化できないのでしょう。
だからこそ、「抽象的に感想を話している映画に対する批評」はものすごく重いものがあり、この言葉から、視聴者に理解を委ねることができるんです。
…改めて、よく作られているドラマだなーーー。
そして、エモいポイントは、「よく分からない」と言った水無瀬が、蛭川を理解していくことにより、最終的にはこの「水の音」の作品を理解できているであろうこと。良いですよね。
先ほど「アートを見る」という体験は知識や訓練が必要となると書きました。
蛭川と同棲するようになり、一緒に映画を見ることで体験が増え、オタク蛭川が映画視聴中に話し出すでしょうから、知識も増えていくでしょう。
結果、訓練されて映画の見方が分かるようになるんだろうな…と思っています。
(ソースは私、ミュージカルに全く興味のない彼氏を7年かけてミュージカルを一緒に観劇して、2時間くらいは一緒に批評ができるくらいには育てあげましたので笑)
②「水の音」の所有者が変わると蛭川の行った言葉の意味も変わる(水無瀬の場合)
また、実は8話で「水の音」が水無瀬のもとに渡ることで、蛭川のセリフの解釈が変わるんですよ。水無瀬の視点のセリフの意味になる。
【お互いに「未成年」だから外部からの出来事に抵抗できないという苦しみを乗り越えようと居場所を変える蛭川もいれば、
その場にとどまり、外部の圧力に流されて「周囲の期待通りに生きる」という今の場所にいる水無瀬もいる。
お互いの選んだことを肯定してくれる(お互いに)。
だから相手が好き。
水無瀬はね、蛭川にとっては苦しみである「過去の居場所」が、
大事な蛭川の心を荒らさないように、「もとの居場所」に残ってるんだよ。
蛭川に会いたいという自分の欲の波に飲み込まれないように、
自分の理性で「蛭川と連絡とらないぞ」と自分のことを見張っているんだよ】
と解釈を変えることができる。
(やや強引な比喩の具体化だけど、そこは許して!)
いやーーーー、エモい!!!
抽象的な言葉は、複数のことを具体化できるからいい!
蛭川と会えない5年間、水無瀬は何度「水の音」を見て、蛭川のことを思い出し、蛭川の言葉をリフレインしながら、「海に残って見張って」いたのでしょうか…。水無瀬の5年間に思いをはせずにはいられません…。
さて、その後、蛭川父の登場からの場面は、蛭川の行動主義と水無瀬の言葉主義が如術(にょじゅつ)に表れます。
蛭川「靴持って、鞄持って、落ち着いて」と言って水無瀬を逃がします。この言葉も、相手に対する「行動」のみを示していて、行動主義なことがめちゃくちゃわかります。
そして、水無瀬。半分パニック状態で警察に連絡しようとします。
(ここで、震えながら、「110」を押すときに、最後の「0」の前で押せなくなっているのが、想定外のことが起こったときに「119」か「110」かわからなくなる芝居でリアル!)
その時に、周囲の人達の「言葉」を回想していきます。「言葉を思い出して連絡しない」ということが「言葉主義」水無瀬ですよね。
また、その回想の中で蛭川の「この主人公はね、苦しみの波が大事な人にまで押し寄せないように、海に残って見張っているんだよ。」を思い出しているのが、個人的に好きなポイントです。
あ、水無瀬、きちんと蛭川の意図を理解しているんだと分かるので。そういう部分が、蛭川にとっては水無瀬が自分を受け入れてくれるということが分かるのでしょう。
【他にもあるよ、勝手に「水の音」深掘り批評2選】
①あ、ちなみに、5話の「同性愛」をテーマにした雨沢監督の映画も、一見すると「蛭川と水無瀬」だった対象が逆転する現象が起こるよね。と言えそうです。(いや、深い!)
そう考えると、「お互いの海が混ざり合い、一つになればいい」って言葉どおり、お互いの境界線は溶け合っていたのでしょう。
(解説はめちゃくちゃ長くなるのでカット)
②6話のお母さんの家の近くの海のシーンで蛭川の言う「水無瀬が見張っててくれる?」
これも、2話の「水の音の感想」に対しての引用ですよね。
ここから、水無瀬と蛭川の立場が「混ざり合って交代し始める」ことが読めます。
あーーーー、ほほ30分しか考察・批評していないのですが、ここまでで15,000字…を優に超えている…。
果てしなく続きそうなので、もうこれは切り上げます!
(書く方も疲れるけど、読むほうも疲れるだろこれ…と思って)
7.ダメだ、書けることが多すぎて小説みたいになっちゃう
今回は、「未成年」に熱狂的にはまっている人を対象に、細かい考察全部書いてみようと思って書き始めました。
そうしたら、1シーンごと全部考察や批評ができてしまう。
30分で15,000字超書けるくらいによく練られているドラマということが分かりました。
(さらに怖いのは、私、結局1回と2話の途中までしかこのドラマ見てないんだぜ…。
それでもここまで書けてしまうドラマなんだせ…オバケコンテンツだよこれ)
必要ない部分は削って(構成)投稿すべきであるんですが、「未成年」が好きな人は、他の人の些細な考えも全部見たいんじゃないかなーと思って残しておきます。
(ほんとはね、書く内容をテーマにまとめて分かりやすくした方が良いってわかっているんですが、それをやると「手から零れ落ちてしまう水(書かれない考察)」が出てしまうので)
まとまらないけど、この辺で。
(反響があれば、2話の残り~アフターストーリーまでの考察と批評を書こうかな…2月以降になるけど。…なのでもし希望するなら教えてください)
8.おまけ(出せない手紙のひとりごと)
ちなみに、細かいシーン以外で、残りの部分で書きたかったなと思った気づきは、
・最終話のキスシーンのエモさについて
~「言葉主義」水無瀬と「行動主義」蛭川らしさ全開だけど、「未成年」ではなく「大人」である~
(本当はこれを書こうと思って、各話の考察を書いたのだが、長くなりすぎて途中断念)
・映画のタイトルが「水の音」だったのはなんで?
〜映画「水の音」で例えると映像が蜷川で、タイトルの「水の音」が水無瀬だなって話〜
・「2人の海が混ざり合う」つまり「行動主義」蛭川と「言葉主義」水無瀬が、お互いに、「行動」と「言葉」を獲得していくシーンの洗い出し
・なんで蛭川は高校を卒業してから「大学行きたい」とお母さんに話したの~背景を考察すると、今だったら現役合格できただろうからすれ違わなくてもすんだのに…と私は思っちゃったよ~
・「お前といると弱くなる」と「お前といると強くなる」 ~蛭川・水無瀬の対比を「氷山モデル」の水と氷で考えてみる~
・水無瀬は酔っぱらわないといけなかった、蛭川は運転できないといけなかった ~「大人」の2人の描き方で見えるリアルの拘り~
でした。
全話通して、感じたこと、とりあえず「誰にも読まれない手紙」と同じつもりで書いておこ。(もし、再度見るならその時に思い出せるように。
注2…吉岡友治『ヴィジュアルで読みとく技術』筑摩書房.