見出し画像

生まれてきた意味とこれからのこと②

若い頃はだいぶとがってましたので、上司に反抗したり、車の運転一つとっても荒ぶっていたし、人生は勝ち負けだと本気で思っていたし、世の中は白か黒でしか分けられない、そんな思想のやつでした。書いてて嫌になります。

なにかこうきっかけがあって、周りの人に目を向けて、なんならこの人たちのためにできることをしよう、なんて思ったとしたらそのきっかけは間違いなく父の死です。
仲良くなかったんですよ、私と父。ほとんど話もしないくらい。
亡くなった時、心の底から後悔しました。限りがあるとわかっていたのに、できることすらしなかった。病人が家にいるということは思うより大変で、それにはそれなりの気は使ったけれども、父が望むような娘でいることはできませんでした。最後まで。
申し訳なくてひたすら落ち込みました。父を失ったことにではなくて、自分を責めたというか。

後悔してももう会えないので考えても仕方ない。これからは私がしてもらったことを周りの人にするだけ。それしかできないから。そう考えるようになり、少し楽になりました。

いま、幸せ家族に見える我が家だっていろんなことがあります。市役所で紙もらってきて家を出ようと考えたことも数え切れないほどあるけれど、もし私にもバルセロナがあるのならまずはそこへ行って、それから考えてもよいかもしれない。
これから先、私にも限りはあるわけで、それならば許される範囲でわんぱくしてみようかな。
そんなふうに今考えています。

昭仁さんのnoteを読んでいろんなこと考えたので書いてみました。
昭仁さんに感謝。
皆さんにも感謝。
読んでくれてありがとう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?