東京都村民生活〜三宅島〜(7)
天国の島(2):磯釣り②
夕日が沈もうとしている三宅島の一級磯場。
磯釣り師なら誰でも憧れるシチュエーションである、ということを後で知った。
魚影が濃く、様々な条件に恵まれている磯釣り天国では、今正に「夕まずめ」を迎えている。
夕まずめ、朝まずめとは日の出、日の入りの時間帯のことで魚が一番活発に餌を食べる時である。
夕まずめの好条件の中、最後の一投であたりがきた!
2度目のあたりとはまったく違う強い引きが右手に伝わり、グッと力を込めた。
間違いなく大物だ!
同僚のA先生は「大きいぞ!手に力を入れて、竿を立てて‼︎」と少し慌てたように私に指示を出す。
言われるがままに、握力を強めて竿を握り直す。
魚の引きで竿先が真下を向き、道糸が出ていく。
A先生は更に大きな声で「ゆっくり竿先を上げて、リールをしっかり巻く!」
そう言われても、魚は必死で海底の岩場に逃げ込もうするので、竿を持ち続けるだけで必死である。
後日、A先生に聞いたが、今持っている竿はあたりを楽しむためにだいぶ細いもので、島人はもっと太い竿を選ぶという。
竿は立てても竿先は水面に向かって弓なりに真下を向いたままだ。
A先生は「無理せずゆっくり。竿を立てていると魚も疲れてくるから、慌てないで待つんだ。魚が疲れてきたら少しづつリールを巻くんだよ!」
人生で経験したことのない状況はその道の達人の言う通りに従うしかない。
確かに、時間が経つと少しずつリールが巻けるようになってきた。
魚は少しでも深く潜ろうとするが、徐々に底を離れて上がってきている感じがわかった。
水面は陽の輝きを失い、濃紺というより黒に近い色となっている。
その中を更に黒い魚影が見えた!
A先生がタモを伸ばす。
しかし、水面まで届かない。
3匹目の魚まで届かない!
釣りをしていた間に引き潮で水面が下がったためである。
足元の磯は水面から3mほどであったが引き潮で更に高くなり、真下を覗くと怖さを感じるくらいだ。
A先生は磯場に腹ばいになり、磯から頭と肩を出してタモの先を目一杯伸ばしている。
私は竿を立てつつ、しゃがみ込む。
水面に顔を出した魚はだいぶ弱ってはいたが、それでも尾びれを振って最後の抵抗をしている。
魚がタモに入った!
A先生はゆっくり立ち上がり、振り出しのタモのつなぎを一つずつ回収し、魚が手元に寄ってきた。
私も立ち上がりると、タモ先のリングにA先生の手がかかった!
そしてその中の魚を確認する。
有に45㎝を超える大きなメジナである。
このメジナは南方系の尾が長く力が強いクロメジナ、通称オナガ(オナガメジナ)である。
嬉しいというより、なぜかホッとした。
A先生と顔を合わせて、力強く握手!
そして私の脳の深いところから何かがこみあげてきた‼︎
すると、近くで釣りをしていた2人組が駆け寄ってきた。
2人は私たちに近づくなり、
「大丈夫ですか?」と声をかけてきた。
『えっ、何が?』
2人の釣り座からは、私たちはちょうど太陽が沈んでいく方角にシルエットとして見えていた。
大物が掛かったのだろうと思っていたら急に見えなくなり、転落したのかと心配して走ってきたと言う。
磯での事故は少なくないから、心配してくれたことはありがたい。
2人はA先生の持つタモを見て、
「これを釣ったのですか!凄い‼︎」
と目を丸くした。
2人は東京から磯釣りに来ていた若者であったが、磯の神様はビギナーズラックの私の方に微笑んだようだ。
翌朝、いつもよりやや大きな声で「おはようございます」と挨拶して職員室に入っていく。
すると同僚のB先生が「昨日、大物釣ったんだって⁈」と話しかけてきた。
隣りではA先生がニヤリと微笑んでいる。
私は「ビギナーズラックで、ほとんどA先生が釣ったようなものですよ」と。
B先生は「今日の夕方はその大物の刺身で一杯だなぁ」と周りに聞こえるように言った。
勤務が終わった。
主事室の冷蔵庫には昨日釣ったクロメジナをA先生が入れてあり、それをテーブルの上に取り出した。
自画自賛だが、改めて見ると立派はメジナである。
B先生もそのタイミングで部屋に入ってきた。
瞬く間に主事室はキッチンへと替わり、2人の同僚が大きな魚を捌いていく。
私は料理好きな方ではあるが、出刃包丁を使って魚を三枚に下ろしたことはない。
2人は分担しながら、一人は身に刃を入れ、一人はウロコを集めたり内蔵を処理したり、手際よく魚が捌かれていく。
凄いなぁ、とその様子をボーっと眺めていると、
A先生が「釣った魚は自分で捌いて食べる。島の生活の基本だぞ」とボソリと言った。
その通りだ。
真剣に三枚下ろしを見ておこう。
これがきっかけで魚をおろし、刺盛りや姿造りをするようになるのである。
主事室がキッチンと化して15分ほどすると管理職、同僚、主事さんたちが集まってきた。
10人ほど、ほぼ全職員である。
主事室はキッチンへ。
キッチンは宴会場へと変化し、焼酎で乾杯。
島は焼酎である。日本酒ではない。
磯魚はクセが強いというが、どこで獲れたか、餌とした何を食べていたかで全然味が違う。
当然、三宅島の魚は美味い!
自分で釣った魚はもっと美味い!
こうして磯釣りの沼にハマっていったのである。
そして、釣った魚の刺身と共に飲んだ焼酎が島の住民=村民として、みんなから認められた瞬間だったと思う。
続く
※当時は勤務時間以降に飲むこともあったが、今はしていない。