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東京都村民生活〜三宅島〜(17)
2000年三宅島雄山噴火⑤
8月29日未明、大きな噴火があり低温火砕流も発生した。
村役場・教委員会は急遽、児童生徒の島外避難を決定した。
島を離れるまで2時間半を切った‼︎
(巻頭写真は朝日新聞より)
心の準備
6月26日に三宅島雄山の噴火活動が始まり、夏休みに入ってから子どもたちは本土の親戚や知り合いの家に自主的に避難した者も少なくなかった。
それでも半分近くの子どもたちは島内で生活してしていたので、突然の島外避難の指示に心の準備はできていないことだったろう。
私達も島内の子どもに避難の連絡をし終わると、自分の準備にかかる。
すでにタイムリミットは2時間を切った。
すぐに必要となるであろう文房具、今までの指導記録、電子辞書やノート類などを小さな段ボールに急いで詰め込んだ。
そして住宅に戻る。
残り時間は1時間ちょっと。
残っていたパンをかじり、ボストンバックに3日分ほどのシャツ、下着を詰め込んだ。
PCケースにノートパソコンと電源コードをしっかりしまった。
私が持ち出せたのは、ボストンバックとノートパソコン、小さな段ボール箱の3点のみである。
避難する期間は未定である。
1週間ということはないだろうと思うが、半月か1ヶ月あたりだろうと勝手に想像していた。
帰島したらこの部屋ですぐに新たな生活が始められるようにと願った。
私もおそらく他の教職員も何か心に残しながら、わずかな手荷物を持ってバスが巡回してくる指定場所に集合した。
何人かの子どもと保護者が村営バスを待っている。
しかし多くの子どもは自家用車で保護者と一緒に坪田港に行っていた。
避難対象は小学生3年生以上高校生までであったが、家庭の事情で1年生や2年生も数人集まっていた。
兄弟関係や親の仕事が防災関係で子どもを手元において置けない事情なのであるが、小さか子にとって、突然親元を離れるのは大きな不安だったことだろう。
坪田港のすとれちあ丸
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午後3時過ぎ、定刻より少し遅くれて、タラップからすとれちあ丸に乗り込む。
ふと、雄山を見上げると山頂からは白い噴煙がたなびいている。
小学校の児童から高校生まで対象者数は7校で444人と聞いた。
そのうち乗船したのは半分ほどだったろうか⁈
船内に足を踏み入れた瞬間、何かホッとした。
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指定された船内のスペースに荷物を置き、甲板に集まる。
6月26日、長野県への宿泊体験学習に向かう船の甲板から見る光景とは全く違っていた。
手を振りながら笑顔の見送りと不安を抱えて涙ぐむ顔の見送りと・・・
子どもたちも必死にいろいろな感情を押し隠している。
2ヶ月前とは激変した桟橋での別れである。
都立秋川高校
児童生徒の向かう場所はあきる野市の都立秋川高校である。
秋山高校は都立では唯一の全寮制の高校だったが、2000年度末で廃校が決まっていて、在校生は3年生80人ほどであった。
島外避難が早まったことにより、秋川高校の受け入れ準備は大変だったようである。
船内では子どもも落ち着きを取り戻し、離れ行く三宅島の島影をいつまでも見守っていた。
高学年は二等船室のカーペットに戻ると宿泊行事に行くかのようにリラックスしている子もいた。
夜10時、竹芝桟橋に到着した。
明日の朝まで船内宿泊である。
1年生や2年生は担任の先生や養護教諭の先生に寄り添ってもらいながら安心してぐっすり寝ていた。
私たち教員は子どもたちの様子を気にしながら、うとうとしているうちに朝を迎えた。
おにぎりと牛乳(だったと思う)の朝食をとったのち、バスで秋川高校まで移動すると聞かされた。
10時少し前頃だったろうか、バスが桟橋に6〜7台並んだ。
その周りには報道の記者やカメラマンの方々が結構集まっていた。
児童生徒の島外避難はそれなりのニュースになっていたようだ。
割り当てられたバスに近づくと、
「あれっ⁈」と驚いた。
緑のラインが入った都営の路線バスである。
当然、はとバスのような観光バスをイメージしていたが、路線バスとは驚きである。
バスに乗り込むとドライバーさんから説明があった。
「このバスは路線バスなのでシートベルトがないため高速道路を走れません。一般道を走って行きますので4時間を予定しています」と
なるほど、あきる野市まで一般道を走るのか、と気が遠くなった。
途中で杉並区あたりの都立高校でトイレと簡単な昼食をとって、再びバスに乗った。
午後3時前、都立秋川高校に到着した。
やや疲れた様子の子どもたちがバスを降りると報道陣のシャッター音が鳴り響いた。
それ以降子どもたちは何かとカメラを向けられるようになった。
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(秋川高校同窓会HPより)
バスから降りた児童生徒は食堂に集まった。
秋川高校の校長先生の歓迎の言葉。
都教員委員会の労いの言葉、などを聞きながら、様々な説明を受けた。
なにしろ小学校1年生から高校3年生までが寮に泊まり、それぞれの学習を行うという異例の事態である。
私たちが到着しても宿舎の受け入れ準備は急ピッチで行われている状態で、だいぶ食堂で待たされた。
夕方、やっと割り当てられた部屋に入ることができた。
全体の準備が整わず、1部屋にベッドが6台ほど入っていた。
当面、教職員も子どもたちと同じ部屋で寝起きすることになったのである。
こうして秋川校舎での新たな学校生活が始まった!
続く