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東京都村民生活〜三宅島〜(13)

2000年三宅島雄山噴火①

2000年6月26日錆が浜港の「すとれちあ丸」の甲板では、長野の宿泊体験学習に向かう6年生が見送りの保護者や学校関係者に笑顔で手を振っていた。
往復の船旅と本土での3泊を友達と楽しく過ごすことだけを思い浮かべ、往路についた。


緊急火山情報

6年生の引率として校長、担任、養護教諭と付き添いが2人。
その一人として私も乗船した。
子どもたちは2等船室のカーペットの上でいくつかのグループに分かれてトランプをしたり、UNOをしたりしてリラックスしていた。
三宅島の子どもたちにとって船便での上京は慣れたもので、船酔いすることもなく、船は穏やかに北上して行く。

東京湾に船が入った頃だった。
18:30三宅島で火山性微動が始まり、雄山の噴火の可能性が高まったとして「緊急火山情報」を気象庁が発表した、という話しが校長のところに届いた。

船内にはテレビがない。
はっきりとした情報が掴めないが、引率教員は校長のところに集まった。
携帯電話を持っていた教員は家族や知り合いに連絡して情報収集しようとしていたが、しばらくして船内放送にラジオのニュースが流された。
それを聞いた子どもたちが不安そうに私たちのところに寄ってきた。

三宅島は20世紀になると、ほぼ20年の周期で噴火を繰り返していた。
前回の噴火は17年前。
雄山の山腹からの亀裂噴火により2つの集落に溶岩が流れ、400戸の民家が被害を受けた。
阿古地区の被害が一番大きく、
旧阿古小学校は溶岩に埋もれ、当時の校舎は場所を移して再建されたのである。

学校では全校で取り組む安全指導が毎月あり、年間だと11回になる。
多くの学校では火災と地震を想定した避難訓練を交互に実施している。
阿古小学校では年に2度、火山噴火から身を守ることを想定して全校での避難訓練があり、雄山山頂から隠れるように校舎の裏に退避する練習をしていた。
私はその訓練で三宅島特有の安全指導を初めて体験したのだった。
子どもにとって火山噴火は身近にあり、避けられない自然災害なのである。

今までの例では、三宅島で火山性微動が始まり緊急火山情報が発せられると数時間から一日以内に雄山の噴火が始まると言われていた。

校長と担任、引率教員は子どもたちを一か所に集めて、今手元にある情報を話したが、ラジオのニュース以上のことはほとんどなかった。
状況説明というより少しでも子どもたちの不安を和らげたいということだったと思う。
子どもたちは自然と仲のいい者同士が身を寄せていたが、不安で涙ぐむ子が何人もいた。
親と一緒にいられない不安、島にいる家族を心配する気持ちなどが痛いほどよくわかる。

「これから三宅島はどうなるの?」
子どもたちの問いかけに誰も明確に答えられなかった。

島嶼(しょ)会館

午後10時近くに「すとれちあ丸」は竹芝桟橋に着岸した。
宿泊体験学習の1泊目の宿となるのは、竹芝桟橋近くの島嶼会館である。

この施設は名称の通り島嶼住民の利便を図かり、児童生徒の学校行事にも活用されている。
子どもたちは決められた部屋に入り、就寝準備をしたが、不安や心配を払拭することはできない。
おそらくぐっすり眠れた子は少なかったのではないたろうか。
夜通し子どもたちのケアには主に担任と養護教諭があたった。

校長と私は島の情報集めたが、テレビのニュースが主な情報源で、朝までテレビはつけっぱなしだった。
いつ噴火が始まるか、どこで噴煙が上がるのか、溶岩はどちらに流れ出すのか、テレビニュースを注目しているしかなかった。

その頃、三宅島ではほぼ全地域が避難対象となり、島北部の伊豆地区が避難場所となった。
伊豆地区は前回の噴火の時にも避難場所となり、噴火の影響を受けにくい場所のようである。
また、行政の中心三宅島村役場があり、近くには避難所となる三宅小学校、三宅中学校がある。

海底噴火

6月27日の朝、前回の溶岩が阿古地区に流れたちょうど延長線上に色の変わった水域が見つかり、海底噴火が起こったと報じられた。
これにより残っていた地域も避難指示が出されて、全集落が北部への避難対象となった。

私たちの長野県への宿泊体験学習は当然中止となった。
三宅島の小学校、中学校各3校ずつと三宅高校は当日より当面の間、臨時休校となった。

東海汽船の三宅島航路は欠航。
ANA系列の三宅島空港便も欠航となり、三宅島は孤立した。

私たちも体験活動には行けず、島にも戻れなくなり、急遽島嶼会館に連泊することになったのである。

私はそれまで携帯電話は持っていなかった。
まだ三宅島では電波の届かない地域もあり、通常の固定電話があれば十分だと思っていたのだ。

しかし、このような事態ではいつでも通話のできる携帯電話の利便性を再確認することになり、購入することにした。
子どもたちを引率している途中で携帯電話を買いに行くことはできない。
嫁さんに代理で買ってもらった。
「機種はなんでもいいからすぐに手に入るものを」というのがリクエストである。

こうして三宅島での村民生活は雄山の噴火で状況が一変したのである。


続く


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