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むかしむかしは今もなお

向田邦子さん、、、そのお人柄に触れたい。

先日Netflixで配信中の『阿修羅のごとく』を一気見してからというもの、そのあまりに見事な人生の描写に心を掴まれっぱなしで暇さえあれば向田さんについてのあれこれを調べている。すっかりファンになってしまったのだ。
現代のドラマを視て脚本家に惚れ込む事ってそんなによくある事ではないかもしれない。稀かもしれない。少なくとも"惚れ込む"という熱烈な表現がしっくりくる脚本家と言ったら私の場合は坂元裕二さんくらいだ。…くらいだった。
そこに向田邦子さんが加わった。
今更。でも私にとっては今こそ。であった。

『阿修羅のごとく』
作品名を耳にした事はあったが、実際に物語に触れる機会はこの2025年まで一度もなかった。昔から何度もリメイクされてドラマに映画に舞台にと様々な形で様々な世代に愛されたその作品は一度触れれば、時代を超えて永く愛されている訳がよく解る。

ああ、日常ってこうだよな、
人間の会話ってこうだよな、
そう感じさせる生活の描写。
むかしむかしのおはなしは、
必ずどこかが今に続いてる。
故にいつまでも色褪せない。
必要な言葉が必要な場所で必要な役割を果たしている。なんて粋な…!と感動させられてばかり。

監督や役者や制作に携わる人々の素晴らしい表現力がなければ脚本の素晴らしさも伝わらないのだということは承知の上。
ただ、今は、人間をこんなふうに描く脚本家向田邦子という存在がひときわ尊くて堪らないのだ。

私がこれまで生きながら感じてきた矛盾が物語にぎっしり詰め込まれていて、あゝ彼女はこの矛盾をよーく解っていらっしゃるのだなと思ったら途端に彼女に護られているような気分になった。

人間、生きていると、真逆のものが共存するという矛盾に出くわすことが往々にしてある。
その矛盾に救われることも悩まされることもある。
これもまた矛盾だ。
なにもかも矛盾だ。

真逆のものって一番遠いようで実は一番近いのではなかろうか。
以前、同じようにnoteで"生と死は表裏一体"という話をしたのを思い出す。
真逆のことがどちらも真実で、どちらも自分の中に共存している。そんなことがいくらでもあるのだ。決して嘘ではなくて。

事実、今現在も、
今ここに最も記したいことが今ここに最も記したくないことであるという矛盾が生じている。

不思議なのだが、自分の気持ちに正直になればなるほどこういった矛盾が増していく気がする。
きっと人間の心が一番自然でいられる状態は、ニュートラルでありグレーでありカフェオレであるのだろう。白黒つけない、そういう状態。

甘えでしょうか。逃げでしょうか。勝手でしょうか。と、自分の弱さが顔を出す度、彼女の遺した言葉がそっと寄り添ってくれる。
人間のどうしようもなさを、肯定し切らず否定し切らずただそういうものだと教えてくれているみたいに。

何とは言わないが、何とは言えないが、
『阿修羅のごとく』から彼女のエッセンスを感じとった先日の体験は、ちょうど今の私が心の奥底から求めていた最たるものだったのではないかとまで思う。

私が産まれた時既に彼女は亡くなっていた。
彼女が生きた時代と私が生きている時代は全く重なっていないどころか掠ってもいないくらいなのに、世の中の人間模様やそこで生まれる感情は何ら変わっていないのだからこれが面白い。

変わらずにこの世にあるものを辿っていきながら、それらを表す彼女の言葉に触れながら、もっともっと向田邦子という人間から学びを得られるのなら、この先も暫く矛盾を抱えて感じるまま思うままに生きてみてもいいかもしれないな。

本能のまま。
人間らしく。
人間くさく。


向田ドラマがそうであったように。



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