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『銀色のトレジャーボックス』#1病院はお母さんの匂い
♪おかーあさん、なーあに、おかーさんっていい匂い♪
という歌がある。私にとっての母の匂いは、石鹸の匂いでもお料理の匂いでもない。私を母への郷愁へと誘うのは、他でもない、病院特有のあの消毒液の匂いなのだ。
母は、私が4歳の時まで看護師をしていた。小さい頃、よく看護学校のおもしろい話など、聞かされたものだ。この仕事に就いて、よく母の事を思った。たくさんの看護師さんと毎日会うのだから、当然かもしれないが。
いろいろな病院の看護師さんと、顔見知りになった頃、私は一つの話を思い出した。それは、母から直接聞いたのではなく、父が母に聞いた話を元に、地方紙にエッセイとして載せていたのを読んで知った話だ。私の母は、東北大学付属病院で、眼科の看護師をしていた。それは、母が研修期間の頃、昭和30年代の話である。
ある夫婦が、赤ちゃんを抱いて検査に来ていた。それも、地方から出てきた夫婦だったそうだ。検査の結果は、すぐにでも入院しないと危ないというものだった。今であれば、即入院したのだろう。しかし、貧困が当たり前だったその頃、検査にもやっと出てきた夫婦が、そのまま入院などできるはずがない。
二人は「一度家に帰って、相談してきます。」と言う。
医師は「そんな行き来は、赤ん坊に無理だ。」と言う。
しかし、その指示に従わずに帰っていったそうだ。
貧乏な農家では、無理なのだ入院など。わかっていながら、帰らざるを得ない夫婦。二人は、しっかりと赤ちゃんを抱きしめて病院を背にした。
母は、その後ろ姿を見つめながら、どうにもできないもどかしさに、涙が止まらなかったそうだ。
少しは、裕福になった今、それでも、助からない病で死んでいく子供たちもたくさんいる。しかし、治療さえ受けられず死んでいったその子は・・。
私は、小児病院から渡された緊急の検体をバックにしまいながら「どうぞこの子は良くなります様に」と、祈らずにはいられないのだ。