ぼくらの年輪
人間は魅力的だな~とおもう理由と、
ああ、めんどくせーな~とおもう理由はほぼ同じで
身体は歳を取れば同じように均等に重なるのに、
心はどこか、あるところを境に、均等に重ならなくなる。という理由からです。さてそれは一体、なんのことか🌳
本格的に夏の空気に参入した樹々たちがそりゃもう、
これでもかっ!というほど緑をキラキラ輝かせている、2023年 初夏。ですけど、
(大雨の地域の皆さんは大丈夫でしたでしょうか💦😱)
1年、2年と重ねても、彼ら🌳のようにはわたしたち人間は上手いこといかなくて、
そりゃ歳だけは平等に重ねるんだけど、
心の年輪は均等に重ねることができないんですね。
どれだけ重ねられているかは、
半分に割ってはじめてわかるのだけど、
それは切り裂かれて生命の途絶えたときにはじめてわかるのであって🌳
何がこわいって、足りないこと、至らないことというのは、他人のことのほうがよく分かるものだということ。
あの子の木はこれだけ太く高く、その子の木はこんくらいの太さで高さだなあと。
他人のことのほうが。
じゃあ、分岐点はどこにあったか?
おとなになったなという自覚の辺りからを境に
重ね具合というものの差が大幅に開いていく、そう思う。
どこかはわからないのに、
そいつは既に通り越し、わたしはね、ここからが重ねどきだよという確信がある。
やばいぞここからだ。
大丈夫かなあ、わたしの年輪は。
どれだけ重ねられているのかな。
きっとみんなの方が、わたしの太さも高さもわかっていることでしょう。 他人の🌳ほうが、きっとよくわかるものですから。
サッポロクラシックは美味しいし、
サッポロラガー…通称赤星は美味しいし、
半々ずつに割って飲んだなんちゃってサッポロクラシックラガーはもっと美味しい。
あー おとな っ 笑