"話"すと"離"れていく。いいことも、悪いことも
特段これといったトピックがあるわけでない更新は、かなり久しぶりな気がしてます。
これをライフワークとし、一日一投稿、
精一杯に文章を書いていた日々が懐かしいくらい
時間が経ちました。
時代だなあ、と思います。
この数年で、ほんと、SNSとかネットは、
文章を読まなくなった。
読まなくなったというよりは、読むツールよりもみる👀ツールとして使われることが多くなった?のかな?
文章は書くのが段々と億劫になるものです。
そのときのありのままが、どんなに着飾ろうとも、着飾り方も含め、あけすけに読み取ってくれる人がいるものだから。
そんでもって、上に述べたように、全体的に読解力の脳のスイッチをONにする機会が減ってしまったからなのか、
文章を、カーブさせて受け取ってくれる人がいるものだから。
それはそれで、含んだ意図も込みで真実のままに受け取ってもらうことがぐんっと減ってしまった。
言葉とは、文章とは、難しいなあと、つくづく感じます。
音楽さまに頼らせてもらってなんとか、
ありのままを、真っ直ぐな形に、創ろうと奮闘している。まだまだ奮闘中。でも、感謝!🙏
コミュニケーション とは、繊細なものです
慎重に、慎重に🚢
食べ物と一緒で、大味もいいけど、
塩だけで美味しい繊細な味の方が、人の心にも身体にも優しく沁みる。
さて、
感銘を受けた言葉を題にしました。
話すと離れていく。
いいことも、悪いことも。
ひとつ。
夢や目標、決意は、話さずに実行した方がいい。
"話"す…
口から"放"ってしまうと、
その熱量は"離"れていってしまう。
それから、その夢や目標や決意を快く思わないものたちが障害となって、予期せぬアクシデントに見舞われたり、
余計な苦労をしたり、最悪は、到達しなくなってしまうかもしれない。
ふたつ。
悪口や、ネガティヴや、攻撃的なもの言いは、避ける。
"話"す…
口から"放"ってしまうと、
自分から"離"れていくから、心は軽くなる。
だけどその分、受け取った人にその負荷をかけてしまう。
いやな気持ちになったり、沈んでしまったり、苛立ってしまったり。隣や目の前にいる人だけじゃなく、街ですれ違った顔も名前も記憶にないような誰かの耳にだって、届けば、無意識にそうさせてしまう。
きっとこういうことなんだろうなって。
ゆっくり紐解く中で、ずしっと響いたんです。
特に後者に、はっとした。
そうなんだよなー。
すごい、聞こえてくるネガティヴの全て、全部すげー、いやだなーって。
だからこそ反面教師で、自分は大切な人に、聞こえの悪い言葉たちを、遣いたくないなと思った。
残念ながらしょんぼりな出来事は起きてしまったり、人間、悲しきもので、メンタルはぶれるしさ。
報告、連絡、相談と言いながら、
コミュニケーションのつもりで、つい口にしてしまうもの。
だからね、せめてなるべく、暗い響きを落とさないように、濁りを増やさないように、
丁寧に発言はするべきだと、思った。
そもそもネガティヴに遭遇しないような最大限の努力と注意もするべきだと思った。
冗談とかでなんか雑なこととかはめちゃ言うんだけどさ、、それはね!そこまで堅苦しかったら逆に付き合いづらいじゃん!?(笑)
でも
自分の中の心掛けとして、ネガティヴなことは言わないようになるべく気をつけるし、言ってしまうならばせめて、言葉選びは本当に慎重になろうって、強く思った。
なんかさ。愚痴とか、文句とか、悪口とかさ、
家族とか、それに近い関係的な?友達とか仲間とかもね…近い人にこそ言いがちなものだけどさ、
それをぶつけないことこそが一番の思い遣りなんじゃないかなって………自戒も含めね!
一番近くにいる人にぶつけないことって、実際、何よりも難しいんだ。
だからこそそれができたら、きっとめちゃくちゃ心の芯が透き通っているということなんだ。
強く、品があるということなんだ。
そんな感じで
考えている反面、
そばにいる人になんの悩みも全く打ち明けないのって
それはそれで、共に過ごしているものだと、言えるのだろうか、と
そういう風にも悩むんです。
みなさんはどんな風に感じました?
話すとは、離す。
放つと、離れていく。
そんなおはなし。
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