死にかけの心を支えてくれた、フィジー共和国。
#にしくぼあの頃 スピンオフです。
こちらは私が編集長をしているフリーペーパー「ムービング.」の7号(2021年2月)に掲載したものを転載しています。
大学卒業前の春休みを1ヶ月丸々使って、南太平洋の島、フィジー共和国へ語学留学をしました。その1年前にリーマンショックがあり、就活市場は冷え込んでいましたが、どうにか内定をもらって飛び立ちました。
今はわかりませんが、10年前当時のフィジーは物価が低く、大学生のバイト代でも食費や生活に困ることはありませんでした。年中暖かいので、断水や停電が起きても特に問題なし。道端にはフルーツがなっていて、飢えることはありません。
さらに、フィジーにはケレケレという興味深い相互扶助の文化がありました。簡単に言うと「俺のものは俺のもの、お前のものも俺のもの」。このバナナは誰々の、という感覚がないのです。あるものはみんなのもの。そのため私たち留学生は、買ったものには毎回名前を書いていました。じゃないと次の日には無くなっちゃうから。
最初は驚きましたが、自然が生み出したものはみんなのもの、というのは、野生動物の世界では当たり前なのかもしれない。というか、むしろその方がよっぽど普通かもしれない。今は日本でもモノを所有しない時代になっていますが、きっとその方が「足りる」のだと思います。何事も。
停電断水当たり前、道端にフルーツ、相互扶助文化の中で1ヶ月生活したことが、社会に出た自分への大きなギフトとなりました。もしも職を失ったり、どうしても辛くなったら、フィジーに住もう。フィジーなら死にはしない。心身の安全地帯を得たことで、「根拠はないけど大丈夫だ」と思えるようになりました。
この「根拠はないけど大丈夫だ」と思えるかは人生において、とても大切だと思っています。それを植え付けてくれるのが、できれば生まれた家だったり、親や家族だったり、近くの大人だったり、内なる自分の声だったりすればいいんだけれど、今の今まで出会えていない人も少なからずいると思うんですよね。そんな人にはぜひ、フィジーという国を知らせたい。
ただ、今は海外にはヒョイっといけないご時世でもありますので、私自身がみんなに根拠のない自信を分かち合う場所を作りたいなと考えています。それが荷詩樹家だったりします。
そう言っているわたしが、誰よりも安心を求めてきたし、これからもそういう場所に身を置きたいのだと思います。
心から「大丈夫だ」と思える毎日って、やっぱり素晴らしいじゃない?