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Behind the scenes of my Red-light District [Prologue]

 愉しかった幼稚園を卒園してすぐに引っ越したお家は、とても不思議な建物だった。当時の自分には、築何年かなんて想像も出来なかったが、古い木造の二階建てで、おばけが出そうな陰気な年代物だった。

Red-Light District since1889

 あれから約百年後。その間も、度重なる世界情勢の大きな変化に、逞しくも適応し、存続してきたんだ。

 一階の角は、違う時代に増築したのがバレバレの色んな意味で毛色の違う建築物。ガラスのエントランスドアは、木を打ち付けて開かずのドアとなっていた。飲食店だったと想像した薄暗いタイル張りのフロアは、高い位置の明り採りの窓が、かろうじてフロアを照らし、一角には小さな炊事場があった。何年掃除してないんだ?という、時が止まった空間だった。その奥の明り採りの光さえ届かない空間には、コンクリートの階段を二段上がった所に畳敷きの広い部屋がある。そこにお婆さんが一人で住んでいて、私は、「角のおばさん。」または、「挑戦のおばさん。」と呼んでいた。
 
 階段の右側に引き戸があって、左手に、6年間住んでいて一度も開けた事のない怖い便所があり、その横は私達が玄関として使う土間から木の階段がつながる。玄関のドアは、ガラスの引き戸でカギは掛けられるが、掛けられたことは一度もなかった。
 
 便所の横に引き戸があるが、手前に何が何だかわからない障害物の壁が築かれ通り抜けは出来ない。実は、反対側に入口がある部屋があり、そこには、マルチーズを飼っている水商売のおばさんが住んでいる。私は、「おばさん」と呼んだら「おねえさんでしょ。」とか窘められそうな、そのおばさんを「アレックスのおばさん。」と呼んでいた。マルチーズの名前が「アレックス」だったからだ。
 
 アレックスのおばさんは、私をかわいがってくれ、洋服をくれたり(オレンジ色のパイル地のチューブトップワンピは、当時のお気に入りになった。)たまに日本に来る米軍の彼氏を連れて、得意げに嬉しそうに挨拶に来てくれたり、その米軍の彼氏のお土産をくれたりした。当のアレックスは、我らの遊び場である駐車場で遊んでいた時に、トンビに連れて行かれて、マジビビったけど子供達みんなで必死で追いかけて、八幡様の山の所で救出に成功した。アレックスのおばさんは、ちいちがアレックスを渡してあげると涙を流してお礼を言っていた。
 
 木の階段を上がると、廊下があって、左側は神田さんのスペース。廊下の正面にも一部が曇りガラスになっている引き戸があるが、打ち付けられて「壁」として使っている。
 
 右側の2部屋と左側の1部屋が、私たちのスペースで、廊下の先を左に曲がると、木のドアが二つあり、一つは開けてもいいよと言われても開けない開かずの間。一つが共同の和式便所。
 
 便所の手前の窓からは、勇気を出せば行ける近さに隣家の屋根が一望出来る。共用スペースの各所に、開かずの間が築かれておりオドロオドロしさを醸し出す。

 ここには子供に見せない方が良いモノや、見ない方がいいモノがたくさんあったが、人の逞しさや弱さが感じられる建物であり、この一帯もまた、個性豊かな人々が生きる不思議な一角なのだ。
 
 

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