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踊るほうのヤツ

How to make "me" 私の作り方

記録や記憶があろうがなかろうが、生命を誕生させるには、ひとつの生命に対し ふたつの生殖能力のある生命が必要不可欠となる。しかも、そのふたつの生命は それぞれ性別が異なる必要がある。

ということは、一代遡るごとに倍の生命が必要になる。私の場合、はっきりした時間の経過は、記憶、記録ともに2代分、母の記憶、祖母の遺した記録に頼って3代目まではギリで遡れる。そこで、時間の経過は無視して、私を作るために必要な人数をザッと計算してみた。2、4、8、16、32、64、128、256、512、1024。10代遡るだけで1024人もの生命が誕生した。なんて尊いことか。私が産まれるまでにかかった時間も半端ねぇ。それ以上遡るともう私の手には負えない。産まれてから、たかが16802日と思える。

ここからは、得意の空想力を活かして時代毎のご先祖さまの物語を想い描いてみる。それぞれの年齢はわからないが、歴史で学んだ時代背景から、子を産む年齢は今よりも若かったと想像するので、1代を20年とする。10代で200年。

200年前。現在、西暦2021年のため、1821年(文政4年、皇紀2481年)もう少しするとドイツからオランダ商館付き医師シーボルトがやってくる。さらに数年後、江戸幕府が異国船打払令を出し、外交は緊張状態。とんだ嘘つきスパイ野郎だったシーボルト君が日本を離れた翌年、1830年には阿波を中心にお蔭参りが大流行した。

阿波といったら阿波踊り。盆踊りで約400年の歴史を持つ伝統芸能。起源は明らかでないが、1586年蜂須賀入城起源説がある。大名城主が「城の完成祝いとして好きに踊れ。」とお触れを出した。粋な計らい。江戸時代には一揆に繋がるとして禁止された時期もあったり、戦時中も禁止された。「えらいやっちゃ、えらいやっちゃ、ヨイヨイヨイヨイ、踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らな損損。」と唄われる、よしこの節が有名。他には「ヤットサー、ヤットサー」の掛け声もある。

お蔭参りといったらお伊勢さん。江戸時代に起こった伊勢神宮への集団参詣。  数百万人規模で、およそ60年周期で3回起こった。             

天照大神の神社として公家、寺家、武家が加持祈祷を行っていた伊勢神宮は、  式年遷宮が行えないほど荒廃。立て直すべく、外宮に祀られている食物、    穀物を司る女神、豊受大御神を広めるため、農民をターゲットに農作業に活用できる暦を配り、豊作祈願して布教した。村の家々に天から神宮大麻(お札)が降って来たという説話は、民衆に布教するため撒かれたものだともいわれている。   

その年に収穫された米を初穂料として受け取り生計を立て、稲穂の種が全国から集まり、参宮した農民は品種改良された種を持ち帰った。            江戸時代以降は交通網が発達、世の中も落ち着き、巡礼の目的は観光も含むようになる。庶民の移動には制限があったが、伊勢神宮の参詣は、ほとんど許される風潮であったため、伊勢神宮参詣の名目で通行手形を出してもらえば、自由な旅ができた。流行時には、本州(北陸をのぞく)、四国、九州の全域に広がった。全国から人が集まるため、最新情報の発信地となり、知識、技術、流行など、見聞を広げる旅になった。最新の農具、着物、音楽、芸能が参詣者によって各地に広まる。1650年、慶安のお蔭参りは、江戸で発生し、正月下旬から3月上旬までに1日平均500から600人、3月中旬から5月のまでで2100人が参詣した。(箱根の関所しらべ)1705年、宝永のお蔭参りは、京都から発生、本格的お蔭参りの始まりとされ、2ヶ月で330万人から370万人が参詣。4月上旬から松坂を通った最高人数は1日23万人。1771年、明和のお蔭参りは、4月11日、山城の宇治から女、子供が集団で、着の身着のまま無断で仕事場である茶山を離れた事がきっかけと伝わる。参詣者たちは「おかげでさ、ぬけたとさ」と囃して歩いた。1830年、文政のお蔭参りは、60年周期が意識され、阿波から発生し、427万人が参詣した。

1867年、慶応3年8月から12月にかけて、近畿、四国、東海地方で、   お蔭参りの影響を受けた、「ええじゃないか」が民衆の間で流行する。    「天からお札が降ってくる。これは慶事の前触れだ。」という話が広まるとともに民衆が仮装などをして、囃し言葉の「ええじゃないか」を連呼し、集団で町々を巡って熱狂的に踊った。伊勢神宮のお札が降るお蔭参りとは違い、地域で信仰されている社寺のお札が降ったため、現地で祭祀が行われる事が多かった。目的は定かではないが、囃し言葉は、近畿、四国など西日本圏で見られ、各地で歌詞が作られ、東海地方では掛け声はなくお札降りのみ共通している。各地で歌詞が作られ、世直し、性の解放、政治情勢などを唄ったことから、明治維新直前の世直しを訴える民衆運動であったと解釈されている。「今年は世直りええじゃないか」(淡路)「日本国の世直りはええじゃないか、豊年踊りはおめでたい」(阿波)

いつの世も、民である私は、ご先祖さま達に感謝すると共に、歴史で語られる数々の困難を乗り越え、こうして生命がつながって2021年の今を生きてる事を自覚しました。私を作ったご先祖達が、それぞれの時代に健やかに楽しく唄い踊り生きた事が簡単に想像出来ました。そろそろお札が降ってくるんじゃないかな。



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