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ヒマラヤ便り63号 不幸と悲しみの女神アラクシュミ

ナマステ!本日は、不幸と悲しみ、嫉妬と貧困を司る女神アラクシュミについてまとめてみたいと思います。アは、「~で無い」という意味で、美と富と豊穣と幸運を司る女神ラクシュミの正反対の側面を表しています。

アラクシュミについては、ヴェーダや主要プラーナでは言及されていませんが、リグヴェーダの女神ニルリティと一致している部分が多くあります。
また、ジェシュタと同一視され、アラクシュミの別名としてジェシュタが使われることもあります。

お近づきになりたくない女神たちを集めてみましたので、反面教師としたり、遠ざけておく方法を知るのにお役立て下さい!



Parvati Valley

ニルリティ 死・衰退・悲しみの女神

ニルリティ निरृति 
死、衰退、悲しみを擬人化した女神。死者の王国に住み、ディーカパーラ(方向の守護神)として南西を守護する。怒り、腐敗、不運、病気、悲惨を司る。
ニル=分離する、リタ=天の法則、秩序で、「無秩序、リタの欠如」を意味します。

ヴェーダ文書の中で、犠牲と子孫を残す義務を果たさなかった人々を焼き尽くす恐れのある、存在しない絶対的な暗闇の領域を示すために使用され、
ニルリティには、光も子供も食べ物もなく、ヴェーダの生活と儀式に必要な要素は何もありませんでした。

リグヴェーダの讃美歌の中では、ニルリティに保護を求めたり、出発の際に願いを捧げたりする目的で登場します。
後のヒンドゥ文書では、神として再概念化されました。ニルリティは、
森にすむプルシャ(人間)にとって、プラクリティ(自然)の重要な要素を意味するアダルマ(ア=~で無い、ダルマ=法)の妻であり、三人のラークシャサ(羅刹)の母であり、ムリティユ(死)の母です。
別の文書では、アダルマとヒムサ(暴力)の娘として描かれています。
弟のアリタ(ア=~で無い、リタ=秩序)と結婚し、ナラカ(奈落、地獄の化身)とバーヤ(恐怖)の母になりました。
いくつかの文書では、不吉の女神ジェシュタとアラクシュミと同一視します。
ニルリティは、目つきが悪く、口を大きく開け、歯が露出している恐ろしい姿をしています。ヴァーハナ(神々の乗り物)は、男性、ライオン、またはロバです。メルー山(カイラス山)の南西部に位置するクリシュナジャナに住んでいます。
ニルリティを遠ざけるためには、捧げものが必須です。

ジェシュタ 怠惰・逆境・不幸の女神

ジェシュタは、ヒンドゥカレンダーでは3番目のマーサ(太陰月)の名前で5月後半から6月前半に当たります。リトゥ(季節)はグリスマ(夏)です。

また、ヴェーダ占星術では、18番目のナクシャトラ(27宿)で、チャンドラ(月神)と結婚したダクシャの27人の娘の最年長の姉です。ヴリシャバ(金牛宮)の中にあるチャンドラの一番のお気に入りの妻、4番目のナクシャトラ美しい妹ロヒニの反対の星座ヴリシュチカ(天羯宮)の中にあります。
ナクシャトラとしてのジェシュタは、アルタ(実利)を主な動機とするラークシャサ(羅刹=鬼、悪魔)の性質を持ち、シャクティ(性力)は、「立ち上がって征服し、戦いで勇気を得る力」です。

ジェシュタ  ज्येष्ठा
ジェシュタは、最年長者、長老の意味で、逆境と不幸を司る女神。
ジェシュタは、不吉な場所と罪人に関係があり、
怠惰、貧困、悲しみ、醜さと関連付けられます。
一夫多妻の年長の妻で、縁起の良い事に耐えられません。
喧嘩が起こる場所や不吉な場所に住み、気性が荒い。
嘘をつき、厳しい言葉を使い、邪悪で罪深い男がいるところに住みます。

ジェシュタは、単に不吉で厄介なだけで、恐ろしいものではありません。

ジェシュタの崇拝は、女性のために規定されており、
女性はジェシュタを家から遠ざけるためにジェシュタに呼びかけます。
毎日、善良な妻によってなだめられる必要があり、
妻は自分の食事をする前にジェシュタに食べ物を捧げなければ
死後地獄に行くことになりますが、この習慣に従えば、
子孫と繁栄に恵まれます。
供物によってジェシュタ女神を喜ばせる家の女性は、
女神を家から遠ざけることができます。

ジェシュタの崇拝は、紀元後7世紀から8世紀に南インドで最高潮を迎え、
10世紀には人気が衰え、忘れ去られました。今日では、古代の像は数多く残っていますが崇拝されることは滅多にありません。

暗く、醜く、鼻が長く突出しており、垂れ下がった下唇、ヘソまで垂れ下がった乳房、たるんだ腹、太い太腿、既婚を表す額のティラカ、三つ編みの髪を頭の上で重ね、箒を持った姿で描かれます。隣にカラスが立ちます。
ヴァーハナ(神々の乗り物)は、アラクシュミと同じロバです。

ジェシュタは、象のような顔をしており、障害物を取り除くために呼び出されるため、ガネーシャの前駆体である可能性があります。

 乳海攪拌で最初に猛毒ハラ―ハラが現れ、それをシヴァが飲んだ後、ジェシュタが乳海から現れる。神々から不吉な場所に住むよう命ぜられる。ジェシュタは悲しみと貧困をもたらし、喧嘩のある家、嘘つきが厳しい言葉を使う家、邪悪で罪深い男たちが住む家、頭蓋骨・骨・灰・炭のある家に住む。

パドマ プラーナ

 ヴィシュヌが世界を善と悪に分ける。ジェシュタとラクシュミが生み出され、ラクシュミはヴィシュヌと結婚し、ジェシュタはドゥサハと結婚。ドゥサハは、妻ジェシュタが縁起の良い音や光景に耐えられないことに気づく。

リンガ プラーナ

ドゥマヴァティ 争い・孤独・不吉の女神

ドゥマヴァティ धूमावती
ドゥマヴァティは、10人の女神、ダシャ―マハーヴィディヤ(10の偉大な知恵)の一人です。ヒンドゥの伝統における最高の女神であるマハーデヴィの恐ろしい側面を表しています。「一つの真実は、十の異なる側面で感知され、神聖な母は十の宇宙人格として崇められ、接近する。」と信じられています。

ドゥ―マは、「煙」という意味で、煙の女神という意味です。
彼女の煙は、明白なものを隠し、「未知と非顕現」の隠された秘密と真実を明らかにします。無知と暗黒に関連するグナ(性質)であるタマス(無気力・不活動・鈍さ)の化身です。

年老いた醜い未亡人で、不吉で不運で魅力がありません。
未亡人は、不吉で、悪霊に憑りつかれやすいと考えられています。
飽くなき飢えと渇きは、満たされない欲望の現れであり、
狡猾で喧嘩好きな老女または魔女として描かれ、人生の恐ろしい悲惨さを表しています。酒が好きで、酔っ払いから崇拝されます。

火葬場に住み、ヴァーハナ(神々の乗り物)は、馬のない戦車とカラスです。争い、孤独、満たされない欲望、不吉なもの、見込みのない出来事、困難を司ります。

貧困、欲求不満、絶望の女神として、二ルリティ、ジェシュタ、アラクシュミと関連付けられています。ジェシュタ同様、暗く、醜く、気性が荒く、喧嘩が起こる場所や不吉な場所に住んでいます。

痩せて背が高く、不健康な青白い顔、落ち着きがなく邪悪で、火葬場から取ってきたボロ布で作られた古く汚れた服を着て、髪は乱れており、目は恐ろしく、鼻は長く曲がっています。長い牙のような歯は、一部が抜け落ちていて、いつも腹を空かせ、喉が渇いています。すぐに口論を始め恐怖を引き起こします。

震える手で振るい分けの籠と箒を持っています。振るい分けの籠は、外側の幻想的な形を、内側の現実から分離する必要性を象徴しています。

宇宙の溶解(プララヤ=ヒンドゥ終末論における概念の4つの異なる現象の一つ)の時に現れ、宇宙の創造前と溶解後に存在する「虚空」であると言われています。不幸の形で訪れる幸運であると考えられています。

ドゥマヴァティの讃美歌では、否定的な側面だけでなく、肯定的な側面も讃えています。心優しく、恩恵を与える人であり、偉大な教師です。洞察力があり狡猾で、縁起の良いこと、不吉なことといった幻想的な区分を超えた宇宙に関する究極の知識を明らかにする人物として讃えられています。
苦しみの力の体現であり、ドゥマヴァティの表す否定的な側面を通して、
忍耐、粘り強さ、許し、無執着という美徳が生まれます。

ドゥマヴァティの醜い姿は、表面的なものと外見の欺瞞を超えて、内面を見つめ、人生の内なる真実を探求することを教えてくれます。
シッディ(超自然的な力、成就)を与える者、あらゆる困難からの救済者、究極の知識とモクシャ(解脱、解放、悟り、救い)を含むあらゆる欲望と報酬を与える者であり、敵を倒したい人々からも崇拝されます。

ドゥマヴァティの崇拝は、独身者、出家者、タントリカ(タントラヨーガ実践者)など、対を成さない者にとって理想的であると考えられています。
ドゥマヴァティの崇拝は、孤独を望む感情と世俗的なものへの嫌悪感を生み出します。

煙のない炎で焼かれた供物は好みません。お香や火葬場の煙を好みます。

マハーヴィディヤの起源が、サティの転生であるパールヴァティの一形態、カーリー(時間・殺戮・破壊の女神)であるため、ドゥマヴァティもシヴァやパールヴァティと関連があります。ドゥマヴァティは7番目のマハーヴィディヤ(偉大な知恵)です。10女神は、カーリー、タラ、トリプラスンダリ、ブヴァネーシュヴァリ、バイラヴィ、チンナマスタ、ドゥマヴァティ、バガラムキー、マタンギ、ショーダシです。

シャクタ マハー バーガヴァタ プラーナの物語の中では、
「ダクシャの娘であり、シヴァの最初の妻であるサティが、ダクシャのヤグナにシヴァが招待されていないことを侮辱と感じ、シヴァにヤグナに行くよう説得するが、シヴァは聞かなかった。サティは激怒し、マハーヴィディヤに変身し、10方位からシヴァを取り囲み、南東に立ったのがドゥマヴァティだった。」という話があります。
シャクティ サムガマ  タントラの伝説では、「サティがダクシャのヤグナに飛び込んだ時、ドゥマヴァティが、サティの燃える体の悲しい煙で顔を黒くし立ち上がる。」と説明されています。ドゥマヴァティは、「サティに残されたすべて」であり、侮辱され激怒したサティの化身です。

アラクシュミ 貧困・不幸・嫉妬の女神

アラクシュミは、ラクシュミの影と呼ばれ、ラクシュミの姉と考えられています。ラクシュミの正反対の側面すべてを表しています。
幸運と喜びの女神ラクシュミの対極にある不幸と悲しみの女神としてのアラクシュミはジェシュタとして言及されることがあります。
ラクシュミは妻としての肯定的な部分、アラクシュミ(ジェシュタ)は妻としての否定的な部分を表しています。

アラクシュミ अलक्ष्मी
牛を撃退する。カモシカのような足。牛の歯。乾燥して皺が寄った体。
こけた頬。分厚い唇。ビーズのような目。
ヴァーハナ(神々の乗り物)はロバ。

パドマプラーナは、ある程度の長さでアラクシュミの物語を伝える
唯一のプラーナです。アラクシュミは貧困と不幸に関連付けられています。
善と悪の両方を創造する宇宙論では、不吉で悪いものが最初に創造され、
より多くの努力が幸運と善いものを創造すると言及されています。
アムリタ(不死の蜜)が創造されたサムドラマンタン(乳海攪拌)では、
アムリタの前に猛毒ハラ―ハラが創造され、ラクシュミが出現する前に
アラクシュミが出現したため、姉であると考えられています。

神々は、アラクシュミを悪意のある有害な人々の中に住まわせることにし、
悲しみと貧困を与えました。アラクシュミが家に入ると嫉妬をもたらし、悪意の足跡を残します。兄弟は仲違いし、家族や彼らの血統は、破滅と破壊に直面しました。

姉妹の女神が、信者の家を訪れました。その信者は、家に招き入れながら「私は、あなた達に何を提供できるでしょうか?」と尋ねました。
ヒンドゥ文化では、家の中に客人を受け入れる時、客の願ったものを提供するのは、疑問の余地のない習慣で、求められた物は、与える側が拒否したり、求める側が遠慮することなく、義務として与えられます。
ラクシュミは、ヒンドゥ文化における花嫁の色である赤と金を身につけていました。彼女の髪は美しく控えめに編み込まれ、薔薇とジャスミンの香りを周囲に漂わせていました。彼女の所作は、まるで浮かんでいるように甘く上品な優雅さがありました。
信者は、彼女の存在が、彼の呼吸と心に空間をもたらし、見ているだけで、
幸福な寛大さと満足感が魂の中に入ってくることに気づきました。
ラクシュミの願いは、一皿のお菓子とクリーミーな珍味で、信者はそれを提供し、ラクシュミは優雅にそれを食べました。
アラクシュミは、ヒンドゥの未亡人の色である白い一枚布を着て入ってきました。彼女の髪はまばらで、ぼさぼさにからまって洗われていませんでした。彼女の所作は、猫背でぎこちない痛々しい動きでした。胆汁と排泄物の臭いがしました。信者は、彼女を観察し、彼女がどのように渇望を呼び起こしているかに気づきました。怒りと暴力が稲妻のように彼の心に張り付きました。息切れと悪徳による心臓の圧迫感を感じました。
アラクシュミの願いは、豊富な料理でした。信者は、腐り始めたレモンとチリを提供し、息も絶え絶えのパニックの中で、それらを貪り食うアラクシュミの様子を観察しました。
姉妹は、信者の家の中で、それらの食事を楽しみました。信者は、自分の中に深い集中力と冷静さがあることに気づきました。幸運と喪失を同時に同等に理解していました。そのことが、信者を思いやりとバランスで満たしました。
ラクシュミは立ち上がり、「外で手を洗っても良いですか?すぐに戻ります。」と言いました。信者は場所を示し、ラクシュミは信者とアラクシュミを残して少しの間離れました。
アラクシュミを面前にした時、信者は憂鬱な気分になり、彼を取り巻く世界と、彼の心の中の罹患のみが心配になり、深い瞑想に入りましたが、痛みが彼の明晰さを奪いました。
ラクシュミが戻ってくると、彼にもう一度バランスがもたらされました。
夢から覚めたかのように、人生が悪いことばかりではないことを悟りました。
アラクシュミが立ち上がり、「外に出たいのですが、一度も手を洗ったことがないので、水は必要ありません。」と言いました。アラクシュミが外に出て、ラクシュミを面前にした時、信者はエゴと幸福で満たされていることに気づき、自身の壮大さと王のような誇りに沈溺した時、彼の心から慈悲の念が消え去りました。
アラクシュミが戻ってくると、信者は自己満足のトランス状態から抜け出したと感じました。そして、どれほどの傲慢さが自分を悩ませていたかに気づきました。
会話が続く中、アラクシュミは、私達姉妹のどちらがより美しいかと尋ねました。可哀想な信者は、両者を不快にさせない答えを見つけるのに苦労しました。信者は、「あなた方お二人は、立っている場所によっては美しく、同時に醜いです。」と答えました。
アラクシュミは、前屈みになって「どういう意味ですか?」と尋ねました。
信者は、「たとえばラクシュミは、私の家の外に立っている時は、ひどく醜かったが、家に入って来た時は非常に美しかった。」と答えました。
信者は非常に賢明に言葉を選び続けました。「アラクシュミは、家の外に立っていた時は、信じられないほど美しく、しかし、家に入って来た時は、それほど喜ばしくなかった。」「お二人が一緒に入ってきた時、私の心はバランスを感じました。」
ラクシュミは、「親愛なる信者よ。時々私は一人で訪れますが、私の美しさをもう少し楽しむことを望むなら、祭壇にバラとジャスミンとお菓子を置きなさい。」と言いました。
アラクシュミは、「私も時々一人で訪れますが、もう少し長く私の美しさを楽しむことを望むなら、腐ったレモンとチリをドアの外に置いておきなさい。」と言いました。

パドマ プラーナ

こうして信者は、アラクシュミが家の中に入らず満足してくれるように誘導することが出来ました。

レモンと唐辛子 ニンブミルチ

レモンとチリについては、こちらの記事でCheck It Out!

アラクシュミの結婚の物語は、アラクシュミがどのような場所に住み着くのかを人々に教えるものです。

ラクシュミはヴァイクンタのヴィシュヌの至高の住居に住んでおり、
姉のアラクシュミのことを心配していました。
ラクシュミは、姉を妻として迎えようと願う人がいないということを苦痛に感じ、ヴィシュヌと共有していました。
ヴィシュヌは、ラクシュミを妻として迎えるために、アラクシュミの夫となる人を探さなければならないことを知っていました。
ヴィシュヌは、リシ(賢者)ドゥサハの元へ行き、あなたがアラクシュミと結婚して、私とあなたとの親戚関係を築きたいかと尋ねました。
ドゥサハにとっては、断る事など考えられないほど魅力的な提案でした。
私をあなたの義理の兄弟として、高徳の賢者にしてくれたら非常に嬉しいと答えました。
ヴィシュヌは、アラクシュミは義理の姉として「サルバ タハン スレシュタ」だと言いました。「何よりも価値がある。」という意味でした。

神々や賢者たちが出席した結婚式の日に、花嫁を見て善良なドゥサハが失望したのかはわかりませんが、そうであれば、彼はそれを克服し、ありのままのアラクシュミを受け入れました。この結婚が、守護者ヴィシュヌの意志であることを理解していたからです。

結婚式が終わり、ドゥサハは妻を自分のアシュラムに連れて行きましたが、アラクシュミは、その場所が自分には全くふさわしくないことを感じました。聖なる讃歌の合唱が彼女を苦痛にさせ、平和の雰囲気、アシュラムの静けさと霊性が彼女を窒息させました。

アラクシュミは、アシュラムを出て、通りに飛び出しました。
ドゥサハは、これを見て心を痛めました。彼女の行為を恥ずかしく感じただけでなく、まったく理解できないことに気づき、なぜアシュラムから飛び出したのか尋ねました。なぜ泣いているのか。彼女が彼のアシュラムの何について、ひどく間違っていると感じたのか。

アラクシュミは、ドゥサハに知らされていなかったことを告げました。
私は、縁起の良い物や音や光景に耐えられません。
私は、サトヴィックな環境では生きられず、タマシックな環境でしか生きられません。人々が暴力的で、お互いを憎しみ、お互いを嫉妬し、喧嘩をしあう場所でなら生きることができます。自分を褒め、互いの悪口を言い、盗み、性的な規律がなく、調理された肉の匂いがする場所です。

清潔で穏やかな満足感があり、聖なる火が灯される場所、神聖なマントラが合唱される場所では生きていけません。

ドゥサハは息を飲みました。そして、単純にこの女性とは一緒に生きていくことが出来ないと悟りました。この高徳な賢者は、彼女を憎んでいなかったし、ヴィシュヌに騙されたとも感じていませんでした。彼は誰に対しても不満を持っていませんでしたが、同時にアラクシュミとの結婚生活がうまくいく可能性が全くないことに気づきました。

ある日、ドゥサハは、自分の気持ちをアラクシュミに告げずに、彼女を森の中へ連れて行きました。そして、彼女に「食べ物を運んでくる」とだけ言いました。アラクシュミは三日間待った後、この状況の現実が浮かび上がり、無力で見捨てられた妻は泣き始めました。アラクシュミの叫びは、ヴァイクンタの妹に届き、妹は悲しみ、心配しました。

深い森の中で、夫に見捨てられ、命を奪われそうな姉のために何かしてほしいと夫のヴィシュヌに頼みました。ヴィシュヌは、すぐにアラクシュミの元へ行きました。

ヴィシュヌは、アラクシュミに一緒にヴァイクンタのサトヴィックな住処に来るよう言いました。そこには高潔な生活を送り、神々の恩恵を受けた人々が住んでいます。そこは、あなたの妹ラクシュミが責任者であり、あらゆる慰めを享受することができると言いました。

アラクシュミは、その申し出を断りました。私は、純粋さと美徳によって窒息させられる性質を持っている。ヴァイクンタは、自分をまったく惨めにさせるだろう。と言いました。

究極の提供者であるヴィシュヌは、アラクシュミのために場所を見つけました。ヴィシュヌはアラクシュミに、家族で口論する家、喧嘩する家、詐欺師や嘘つき、年長者が子供の空腹を無視して食べまくる家、他人に苦しみを与え、他人が苦しんでいるのを見て喜ぶ、他人を尊重しない、賭け事に夢中で、不潔で不誠実で、あらゆる点で汚れた人達の家に住むように勧めました。アラクシュミは、ヒンドゥ教徒から異端とみなされる偽の托鉢僧たちと一緒にいると快適と感じます。

ラクシュミ 幸運と美と富の女神

ラクシュミについてはこちらの記事でCheck It Out!



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