ヒマラヤ便り13号 ヴァルナとジャーティ
インドでは外国人の私は、カースト外の人。 前知識として知っていたのは、そのことくらいで、インドの旅になんら支障はなかった。けれど今旅は、ゲストハウス滞在がホームステイ化していき、儀式や祭事を見て、生活の中でのローカルのルールみたいなものに触れる機会が増えた。
カーストは、インド人の生活には重要で深い。外国人がとやかく言えることでない。というか理解すら出来ない。こんな難しいルールがみんなに浸透していることがすごい。一緒にご飯を食べない。とか、食と職にまつわるルールがあることは、村の生活で実際に見て知っていた。
そもそもカーストCasteは、ポルトガル語由来の英語で、植民地支配層が、文明化による植民地支配を正当化するため、インド土着の制度を悪しき野蛮な慣習であるとあげつらい、捏造した概念。このような植民地主義によって「人種」「人種差別」とも混同されていったものだと知った。
ここで私は、決まった職業にしか就けないのは、向上心が芽生えないんじゃないかと思ったのだが、いらぬ心配であった。
ブラフマン ब्रह्मन् brahman ヒンドゥとインド哲学における宇宙の根理。 サンスクリットの「力」を意味する単語からきている。特に物質世界を変える 儀式や犠牲の力を意味する。宇宙の源であり、神聖な知性として全ての存在に浸透している。外界に存在する全ての物、全ての活動の背後にあって、究極で不変の現実。三神一体(トリムールティ)の一柱ブラフマー(創造神)と同一であり、 ヴィシュヌ(維持神)、シヴァ(破壊神)とも本来同一である。
ヴァルナが概念上のものであるのに対し、2000とも3000ともいわれるジャーティは内婚と職業選択に関するもので、必ずいずれかのヴァルナに包摂されるという認識がある。農業はすべてのジャーティに開かれており、さまざまなジャーティが、さまざまな形で農業に参加する。
インド憲法上では、違うヴァルナ同士の結婚を認めているが、ヒンドゥでは同じ、または近いヴァルナの結婚が好ましいとされる。