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自殺は悪なのか

「自殺」

このテーマを書くことは、とても勇気のいることでした。あえて書く必要がないことももちろんわかっています。単なる自己満足かもしれません。
でも実際に自分の想いを文章に落とし込み、表現したいという欲求がずっとありましたので、今回書かせて頂きました。
良いとか悪いとかではなく、あくまで一個人の考えてあり、誰かの行動や想いをジャッジするものではございません。「自殺」と聞いて暗い気持ちが無条件に込み上げてくる方は、お読み頂かないことをオススメします。






「自殺」という言葉や行為には、色々なねっとりとした想いがまとわりつく気がする。

「可哀想」

「いじめ」

「追い詰められた」

「人生が嫌になった」

「病んでいた」

「終わり」

一昨年の初春、従姉妹がマンションから飛び降り自殺をした。
数年前から、鬱になり統合失調症と診断され病院に幾度となく通っていたことは聞いていた。小さい頃から会うたびに「可愛い」と可愛がってくれた彼女。私から見た彼女はハワイが好きな大らかな年上のお姉さんだった。

そんな彼女に、ある時から虚言癖のようなものが出てきた。家の中にいても「誰かに見られている気がする」「あの人が自分の悪口を拡めている」など。疑心暗鬼になって過ごす彼女。ただでさえ不仲だった彼女の家族との関係もさらに悪くなっていた中、


彼女が自殺した。


彼女は、彼女の姉夫婦が住むマンションから飛び降りた。

その連絡があった時、衝撃が走った。
でもそれと同時に思ったことがある。


「あぁ、これで彼女は楽になれたんだな」


思いも寄らない知らせへの衝撃と悲しみ、
でもそれに反する安堵感。

複雑な気持ちだった。



自殺とは、武士が切腹した時の介錯のようなものかもしれない。
苦しみから解放してくれる介錯。それが自殺。

【介錯(かいしゃく)】《名・ス他》
1.つきそって世話をすること。また、その人。後見。
2.切腹する人の首を切りおとすこと。また、その役の人。


生きていて欲しいというのは、残された者のエゴ。
本人にとっては、生きるよりも死んだ方が楽だったわけだ。死んだ方が幸せだとずっと感じていたんだ。

もちろん病気になって正常な判断ができなくなっていたから、ということもわかる。でも、そういう概念や状況、全てのものを取っ払って、純粋に彼女の一瞬一瞬にフォーカスした時、その時の彼女の最善は「この世での活動を停止すること」だったのだろう。

昔の私は「自殺する勇気があるなら、もっと他のことにその勇気を使えたら何かが変わったのでは」と思っていた。理屈で言えばそうなのだろうけど、その理屈だけがその時できる最高のパフォーマンスかというと、それは人それぞれなんじゃないだろうか。

自殺することも
好きな人に勇気をだして告白することも
今までしたことのないことにチャレンジすることも

すべて同立なり得るのではないだろうか。
そこに良い悪いとなるのは、人の主観が入るから。

自殺した後の事後処理の大変さは、残された者に重くのしかかるので、その点に関してはなんとも言えない(今の日本では、他人に迷惑をかけずに死ぬことはほぼ不可能)。


自殺は悪なのか


私の考えでは、NO。

いじめられて、虐待されて、パワハラにあって、、、
もちろんそういう原因は悪だ。

ここで言いたいことは、自殺にするに至った「原因」にフォーカスするのではなく、原因から切り離し、ただ単に「自殺を選択する」という行為は、選択してはいけないことなのかということだ。

いじめなど、他人から心身ともに攻撃されるなんて、あってはならないことだ。それは私もわかっている。

自殺して大切な人をなくした遺族の憤り。それが自殺の「原因」に向かうのも至極当然。

でも、そんな中で「なんで自殺なんてしてしまったんだ…!」という思いがあるだろう。「もっと早く相談してくれていたら」「自殺するくらいならやめてしまえばよかったのに」。

自殺の「原因」に悪意が向くのと同時に、「なぜ」「どうして」という想いが残された者にはわき起こるだろう。

それって、さも「自殺は悪いこと」のように捉えてはいないだろうか。


私は、「自殺」はむしろ尊重されるべき一つの選択肢だと思っている。

親からせっかくもらった命だけれども、好きで自殺したかったわけではないけれど、それでも自分の誇りを大切にした「選択」が、自殺なのかもしれない。


「自殺」と言う言葉に、そういう解釈を私はもちたい。
もちろん私は「自殺」したくないし、したくてもそんな勇気はない。
私の肝っ玉なんてミジンコレベルだ。

自殺するくらいなら、自分を押し殺して生きた方が怖くない。
自分の人生を自分の責任で終わらせるよりも、成り行きに任せたり、誰かのせいにして終わらせた方が楽なんだ。

だから、寿命で死ぬに越したことはない。

苦しいのは嫌だ。痛いのはいやだ。
だから、日本でも安楽死がOKにならないかなと密かに思っている。しかも、末期の病気とかで止むを得ずとかではなく、自分の人生を自分でコントロールするという意味を込めて。

人生逆算できれば、計画が立てやすく生きやすくなるかもしれない。いつ死ぬかわからないから、石橋を叩いて渡らざるを得ない。保険とか保険とか保険とか。


でも、誰しも「死」は迎えるものだから、そしたら自分でコントロールできる選択肢もあってはいいのではないか。

「死」は特別なものではなく、いつも隣にあるものだから。
仲良し!!


↓あいみょんのこの曲を聞いた時、鳥肌たちました。
この歌詞を何万何百万の人に向けて放った彼女の強さ。
脱帽です。

生きていたんだよな byあいみょん

二日前このへんで
飛び降り自殺した人のニュースが流れてきた

血まみれセーラー、濡れ衣センコー
たちまちここらはネットの餌食

「危ないですから離れてください」
そのセリフが集合の合図なのにな

馬鹿騒ぎした奴らがアホみたいに撮りまくった
冷たいアスファルトに流れるあの血のなんとも言えない
赤さが綺麗で綺麗で

泣いてしまったんだ
泣いてしまったんだ
何にも知らないブラウン管の外側で

生きて生きて生きて生きて生きて
生きて生きて生きていたんだよな
最後のサヨナラは他の誰でもなく
自分に叫んだんだろう

彼女が最後に流した涙
生きた証の赤い血は
何も知らない大人たちに2秒で拭き取られてしまう
立ち入り禁止の黄色にテープ
「ドラマでしかみたことない」
そんな言葉が飛び交う中で
いま彼女は一体何もを思っているんだおる
遠くで遠くで

泣きたくなったんだ
泣きたくなったんだ
長いはずの1日がもう暮れる

生きて生きて生きて生きて生きて
生きて生きて生きていたんだよな
新しい何かが始まる時
消えたくなっちゃうのかな

ああ「今ある命を精一杯生きなさい」なんて綺麗事だな
精一杯勇気を振り絞って彼女は飛んだ
鳥になって 雲をつかんで
風になって 遥か遠くへ
希望を抱いて飛んだ

生きて生きて生きて生きて生きて
生きて生きて生きていたんだよな
新しい何かが始まる時
消えたくなっちゃうのかな

生きて生きて生きて生きて生きて
生きて生きて生きていたんだよな
最後のサヨナラは他の誰でもなく
自分に叫んだんだろう

サヨナラ サヨナラ


saeco

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