『ピンチ』が教えてくれること

『ピンチ』は『チャンス』と
いうけれど、

最近は、本当にそうか?!
ピンチ多すぎないか?と思う出来事が多く

なんとか『ピンチ』は『チャンス』
と思い込むようにしていたってのが、本音。


そんな状況の中、
少し思い出したことがある。


きっと今『ピンチ』と思っていることも
時が経つと
最高にいい思い出になり
最高にいいきっかけの出来事になったりする。

『ピンチ』を
一所懸命
かみしめ、逃げずに
向き合ったことで
教えられたこと。


それは、介護士時代までさかのぼる。

22歳~26歳まで高級老人ホームで働いていた。

入居者のお客様は
経営者や芸能人、お医者様や教授、
企業の重役に地主
とにかく
戦後混乱期に日本を作ってきた
すごい方たちだった。

23歳でフロアリーダーになり
見た目と若さに
入居前の家族に心配されることは多くあった。


毎日いろいろなことが起こり、
生死をそば感じる事の多い仕事は
23歳の私にとっては少々きつかった。


メンヘラで自分に自信のない私だったけど、
介護は好きだし、一所懸命やっていた。


その中でも、
私の胃を痛めていたお客様がいた。


笑顔の可愛らしいお客様ではあったが
所作や対応に厳しく
マナーの悪い介護士は
居室にはいることも拒否され
対応できるスタッフはごく数人に限られていた。

スタッフがなにかミスするたびに
居室に呼ばれ
一時間ほど立膝の状態で説教されていた。
もちろん、人の少ない介護業界で
仕事ないで対応することはできなく
勤務の終わった時間に居室に伺い一時間の説教。

居室を出るころには
足がしびれて
歩くのもままならなかった。

この時、本当は心の中で勘弁してほしい。
自分じゃないのに。
とかいろいろ感じていたのが事実だけれど、
(リーダーとして失格😅)

その反面、
人生を一生懸命生きてきて、
地位まで築き上げた方が
手足が思い通りに動かなくなり
のぞんでホームに入ったというより
家族に迷惑をかけたくなくてはいってきた。
人生の最期を穏やかにと
思っているのだから
それを実現するのも介護士の仕事と
純粋に思っていた。

その想いや姿勢は
しっかり伝わっていたのか
随分可愛がってくれた。
(たまに一時間の説教は続いたけど)


そうして時が経ち、
私は起業するためにホームを辞めて
数年たった時

辞めて数年たった頃
当時の同僚から急に電話が来た。

『この前○○様がなくなったんだけど
亡くなる前に、
(松田さんによろしく伝えてほしい。本当に良くしてもらえた。出会えてよかった。)と言ってたから、それ伝えたくて電話した』と。


娘の保育園に迎えに行く途中だったけど、
涙が止まらなかった。


人生の最期に
思い出してくれる存在でいれたことが
純粋に嬉しかった。
そして自信になった。


当時は胃がキリキリになるくらいストレスな出来事だったけど
私の人生において
このお客様との出来事は
大きな意味をもつ出来事になった。

当時、『ピンチ』と思っていたことは

『ピンチ』を
一所懸命
かみしめ、逃げずに
向き合ったことで
たくさんのことを与えてくれた

『自信』『愛』『人生の大切さ』『一所懸命』


これからも大切に生きていこうと思う。


もう一度、書いておく!


きっと今『ピンチ』と思っていることも
時が経つと
最高にいい思い出になり
最高にいいきっかけの出来事になったりする。

一所懸命
かみしめ、逃げずに
向き合っていこう!