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芝不器男『不器男句集』を読む
はじめに
Xで企画参加者を募集されているのを見て、えいやっと手を挙げさせていただきました。
句会に出席する中で、私って選句の理由言うのへっぽこだな~と感じていたこの頃。いつも笑ってごまかしていましたが、作句の上達のためにも、鑑賞力とその言語化の向上のため、今回参加いたしました。
note自体も初の投稿なので、そのあたりも含めゆるっと読んでいただければ幸いです。機能使いこなせないこと山の如し。
なお、鑑賞の手がかりとして坪内稔典・谷さやん編『不器男百句』も参考とさせていただきました。
猪倉さえこ10句選
下萌のいたくふまれて御開帳
誰もが本尊を見上げ尊ぶ一方で、その足元にある健気さに気づかない。滑稽でもあり、業でもあり。「いたくふまれて」がひらがななのが、優しい。
春愁や草の柔毛のいちじるしく
春は人の心を浮き立たせるけれど、ふっと物憂い気分に駆られてしまいます。そんな胸の奥の一番やわらかいところ(夜空ノムコウ)を柔毛に重ねる繊細さが印象深かったです。
一人入つて門のこりたる暮春かな
定点カメラを置いた一編の映画のよう。
「暮春」の季語によって静かな時間の経過に気づかされました。
くぐったのは本人かそれとも誰かか。人家、寺、『羅生門』のラストシーン、ロダンの「地獄の門」など想像が膨らみます。
卒業の兄と来てゐる堤かな
万葉調が続く中で、いきなり不器男の人間の部分が出てきてびっくりしました。代表作の一つであり、勿論私も知ってはいましたが、神様みたいな視点が多数の連作にぽつんと。突然の「兄」。連作の醍醐味と言いますか、単独で読んだと時とは違ったインパクトでした。
卒業したての兄は、堤で希望も寂寥もない交ぜになった春の風を感じているのでしょう。ついてきたのは、きっとうんと年の離れた弟か妹。兄の遠い目をきっと忘れない一日。
向日葵の蕊を見るとき海消えし
遠景の海と近景の向日葵。青の海、黄の向日葵。広い海を眺めていたところから、向日葵の蕊に急激にフォーカスする。蕊に思いを寄せるとき、海のことは忘れてしまいます。
何気ないけれど、艶やかな一句。
滝音の息づきのひまや蝉時雨
滝音の途切れた瞬間を「息づきのひま」と擬人化する。そしてじつは流れていた蝉時雨に気づく。 滝音と蝉時雨の種類の違う音を取り出し、後者を一層鮮明に表現していることに感嘆しました。
虚国の尻無川や夏霞
国とは空国、荒れて痩せた不毛の土地。尻無川とは下流に従って幅が小さくなる川。そしてとどめに夏霞。戦場ヶ原三句のうちの一句ですが、その風景に重ねたものは戦争に向かう国か、自分を蝕む病か。どこか今の日本に重なります。
ふるさとを去ぬ日来向かふ芙蓉かな
ふるさとを去る日が近づいている。自分が動かなくても時間を止めることはできない。そんな時ふと芙蓉がこちらを向いている。「かな」の使い方がとてもかわいらしい。なるようになるさと思わせてくれます。
あなたなる夜雨の葛のあなたかな
「みちはるかなる伊予の我が家をおもへば」とあるので、「あなた」は故郷。でもラブレターのようにも読める。遠い場所にいる、もう二度とあえないあなた。あなたのリフレインが心地よく夜雨の音と相まって、胸に詰まる一句。
かの窓のかの夜長星ひかりいづ
「病室にて」の前書き。
病室から見える星空とかの日かの夜窓から見た星空が同じ。一年後も十年後も百年後も。もちろん今日の夜も。不器男が生きたかった明日に私たちは生きています。
読み終えての感想
古語辞典と漢語辞典と歳時記とネットとにらめっこしながら、最初は解読作業から始まりました。教養の低さが知られます。
そうして読みほどいていくうちに、そうきたか、なるほどねの連続。
日頃季重なり云々言ってるのはなんなんだろう。不器男の、そこにあるものへの嘘のなさの前で、そんなことはなんだというのだろう。
それよりも、単語一つへの丹念さ、追及心が大事なんですね。
大いなる学びとなりました。
反省点としましては選句したものの、
A「なんか、イイ!→意味もわかる。鑑賞文書けそう」
B「なんか、イイ!→しかしまったく意味は分からん」
の二種類にわかれまして、参考資料をもとにBからAに掬い上げたんですけど、それでもBに残ってしまった作品をいつかはちゃんと言語化できるようになりたいです。
主催いただきましたひうまさん、貴重な機会をありがとうございました。
参加者の皆様、今から伺いにまいります!楽しみにしてます!
そして最後まで読んでいただいたあなた様にも感謝をお伝えし、終わりといたします。