狭くなった心と向き合うアメリカ
10年近く勤めた会社を辞めることにした。逃げ出したようなところもあるが、私の知ったことではないと割り切った。辞めた理由は沢山あるが、このまま居ても心が壊れてしまうのでは、と思ったりなんだりしたことも大きい。次の所ではバランスよく働きたい。
それなりに有給も貯めていたので、1ヶ月くらい休みをもらうことにして、その間に少しアメリカへ出かけることにした。学生時代の友達が住んでいるのが大きい。世話をしてもらうつもり満々である。
友達はマジもんのキャリアを積んでいるので忙しい。欧米人は休みを取ってばかりのような気がするが、ひと握りのエリートは毎日仕事しているようだ。なので、前半戦はお世話になりつつ、自分でもうろうろとした。
仕事で使っていたとはいえ、私の英語は流暢ではない。というより、仕事の場合は英語を母語としない人間は気を遣われたし(お客側だったので)、やり取りは定型化しているのでそこまで大変ではない。ただ、英語に対する反射神経、みたいのがはっきり落ちていているのが分かるし、コミュニケーションを取るのが取るのが面倒くさい。由々しき事態である。
そして、20代の頃はアメリカの街が汚かろうとずんずん歩いていたが、もうなんて言うか面倒だし、清潔なところに帰りたい気持ちが強い。ホテルの不便さを面白がるのではなく、アパホテルをISO標準にして、全世界に標準化してほしい。アメニティあると助かる。湯沸かし器置いてほしい。
偏屈になったな、と思う。こうやって人は日本に籠りたくなるんだと思う。比較的海外に馴染みのある自分でもこう思うのだから、いきなりアメリカに行ったりしたら、カルチャーショックは大きそうだ。
そんなことをつらつら考えていたら、ちょっと日本に帰りたくなってきてしまったりもした。街の話とかはまた書こうと思う。
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