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来たるべき断絶 『2001年宇宙の旅』に見る人類史の未来 #1 進化とは何だったのか

モノリス

この映画のなかで最も議論を呼んだのが(呼んでいるのが)「モノリス」と呼ばれる長方形の石だろう。キューブリック監督と脚本を手がけたクラークは、完全なる地球外生命体からのメッセージ装置と考えたようだが、「神」の存在を示唆する論者もいる。

たしかに、旧約聖書の「石板」を連想させなくもないが、こちらはヘブライ語で「契約の板」を意味し、図像学上でもしばしば石の板で表される。英語のmonolithとは異なる。参考までにMirriam-Websterで調べると、その定義は下記のようになる。

Definition of monolith
1: a single great stone often in the form of an obelisk or column
A granite monolith stands at the center of the park.
2: a massive structure
The 70-story monolith is one of Europe's tallest buildings.
3: an organized whole that acts as a single unified powerful or influential force
The movie company grew into a monolith of the entertainment industry.

1の「大きな一枚岩、しばしばオベリスクか円柱の形をとる」が、いわゆる映画のモノリスに当たると思われるが、興味深いのは3の「組織化された全体、統一された一つの強く影響力をもつ行使力として働く」というものだ。

モノリスの発する声なき「音声」については、今さら指摘する必要はないだろう。その「音声」の集合体は、圧倒的な多声によって、ヒトザルに聞こえないメッセージを植え付ける、のだろう。「高度なコンピューター」とも言われるオブジェクトは、それこそ「組織化された全体、統一された一つの強く影響力をもつ行使力として働く」のだ。

さて、このオブジェクトがヒトザルをして、月面にベース基地を築くまでに「進化」させたとすれば、次に待ち受けるのはさらなるステージへの「進化」を促すメッセージだ。すなわち、それは木星への「オデェッセイ」に他ならない。

スターチャイルド

ところで、このタイトルに用いられた「odyssey」、ネイティヴにはともかくとして、日本ではあまり関心を持たれていないようだ。しかし、再びMirriam-Websterに依るならば、すでに題名に映画の内容が予見されていたことに気付くだろう。「odyssey」には、「大抵は運命の多くの変化を画する長い放浪ないしは船旅」という意味と、「知的ないしは精神的な放浪ないしは探求」という意味がある。言うまでもなく、ホメロスの『オデェッセイ』に由来している。

人類史をまさに「画する」旅路の果てが、例の「スターチャイルド」である。BGMの選曲と相まってニーチェの『ツァラストラはかく語りき』との符号が指摘される存在である。(引用は”Also sprach Zaratustra” In: Projekt-gutenberg.org)

Aber sagt, meine Brüder, was vermag noch das Kind, das auch der Löwe nicht vermochte? Was muss der raubende Löwe auch noch zum Kinde werden?
だが、言え、兄弟、子どもに何ができるか、獅子もできない何ができるかのか?何故に、奪う獅子が子どもにならなければならないか?
Unschuld ist das Kind und Vergessen, ein Neubeginnen, ein Spiel, ein aus sich rollendes Rad, eine erste Bewegung, ein heiliges Ja-sagen.
無垢なのだ、子どもは。そして忘却であり、新たな始まりであり、遊戯であり、自ら回る車輪であり、最初の動きであり、聖なる「はい」と言うことなのだ。
Ja, zum Spiele des Schaffens, meine Brüder, bedarf es eines heiligen Ja-sagens: seinen Willen will nun der Geist, seine Welt gewinnt sich der Weltverlorene.
そう、創造の戯れのために、兄弟よ、聖なる肯定の言葉が必要なのだ。そうして、その意思を精神は欲し、その世界を世界喪失者は得るのだ。
Drei Verwandlungen nannte ich euch des Geistes: wie der Geist zum Kameele ward, und zum Löwen das Kameel, und der Löwe zuletzt zum Kinde. –-
精神の三つの変身を君らに述べた。いかに精神が駱駝となり、そして駱駝が獅子となり、獅子が最後に子どもとなるかを。

この有名な「精神の三つの変身」の子ども(das Kind)が映画の「スターチャイルド」に重なるのは言を待つまい。ボーマンはもはやボーマンではなくなる。自らを忘却し、無垢であり、新たな始まりである。そして、ここが大事なところなのだが、「はいを言うこと(Ja-sagen)」、すなわち「聖なる肯定」をすることで、世界を喪った精神は「世界を得る」。

映画がニーチェに近づくことで、否、義務の精神に満たされた駱駝が、奪う獅子に変わるまでが、社会的動物たる人の人たる根拠であり土台であるとすれば、ボーマンが子どもに変じるのは、もはや「人間」である必要性も必然性もない。忘却にして新たな始まりなのだから。とすれば、「スターチャイルド」とは、いや、「スターチャイルド」の地平とは、「歴史」の時間軸と自在に繋がりつつ、ヒトともいかなる生物とも繋がりを欠いた、孤独の地平に他ならないだろう。

進化という孤独

その証左に、すでにヒトザルである時に、モノリスは「道具の使用」を発明させ、他の生物からの分離を促した。小さなカバ状の生き物と荒野で草を食んでいた祖先は、時にささやかな諍いがあろうとも、一方的な殺戮=肉食と披肉食の不均等な関係性を構築することはなかった。

否、むしろ、肉食獣の標的として、別の生き物と運命を分かち合う存在であった。然るに、獣の骨を手にした彼は、隣人(獣)たる生き物を砕き、その身体(肉)をもって草に替えたのである。加えて、ヒトザル同士の間にも、持つものと持たざる者の分離線をが引かれたことは、言を待つまい。

この分離の象徴たる骨が、軍用船とコラージュされた意味を、ここで少し想起しておくのも悪くないだろう。かつて生き物と同じ運命を負っていたヒトザルは、人同士を分離し、人の「子ども」たるAIとも袂を分かつことになる。進化の最果て、それが「スターチャイルド」というニーチェ的地平の孤独なのである。

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