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文字について思うこと #1 痕跡をもとめて
大学での英語の授業のときのことだ。毎回毎回ほんとうに飽きもせずに、300単語(300Words)の英作文を課してくるネイティヴの講師がいた。授業では、それをただ、指名した何人かの学生に口頭で読ませ、文法をチェックする。目に付いた(耳についた)トピックやポイントがあると、落書きのような文字で板書して解説する。
単純な文法ミスがあったりすると、悲痛な声で「Ok、モウヤメテ」と、一文目だろうが、終りの方だろうが、着席させられる。いろいろ経験を積んでから考えてみると、ずいぶんとデタラメな授業をしていたものだ(そして、それで金を儲けていたのだから、もう詐欺みたいなものだ)とため息をつきたくなる。
ともかく、そんな調子だから、授業のたびにヒリヒリとした緊張感が走る。つぎ「モウヤメテ」と言われたらさすがに単位を落とすのではないか。おっちょこちょいなぼくも、そうした怖れにとらわれていた学生の類だったと記憶している。
ある授業の時、「文字(letter)」が作文の課題に出された。当時、ぼくは勉強オタクの図書館ヘヴィーユーザーで、かつ、言語学をカジリだしたばかりだったので、ここぞとばかりに熱意を込めて書いた。確か、日本語と文字、すなわち漢字の関係性をしたためたはずだ。英語の出来はさておいても、中身には自信があった。もっとも、準備をしても授業で指名されなければ、披露をする機会はないのだけれど。
それだけに、授業で指名された時は少し宙に浮いたような心地がした。これまで課せられてきたテーマのなかで、初めて自ら発表したいと思えたテーマ。人見知りのぼくでも、さすがに興奮した。さあ、話すぞと勢い込んで話し始めた。ところが、ぼくのタイトルを聞いた講師は、怒りの形相をあらわにしてこう言い放った。「Are you crazy?」
たぶん、想像するに、ソシュールの言語学華やかなりし頃で、また、(当時の)語学関係者はデリダなど読まなかったのだろう。だから、シニフィアンとシニフィエの「恣意的」結びつきこそ「絶対」であって、聴覚記号としての日本語と視覚記号としての漢字との結びつきを云々するなど、正気の沙汰ではなかったのだろう。
たしかに「ことばは音だ、文字ではない」みたいなことを、キレ気味の英語でまくし立てられた覚えがある。人生初にして、おそらく(そうあってほしい)最後の「crazy」呼ばわりされたのだ、もう公開処刑に等しい。ぼくはその日を境に授業に出るのをやめ、大学生活で唯一単位を「落とす」科目を作ってしまった。
さて、先の授業の方法と同じく、あのネイティヴ講師の立場は、当時から言っても現代から言っても「間違い」である。彼の母語が表音文字で表記されていたとしても、それは差し引き勘定にはならない。そもそも文字というシステムに対する大いなる誤解と無知から生じた錯誤なのだから。
では何が錯誤だと言うのか。ことばは音声記号の集積である。だから文字は副次的な産物にすぎず、ことばの「本質」ではない。ソシュールをかじったり嚥下したりした人は言うだろう。そう、文字のない社会にもことばがある以上、文字はことばの「本質」ではないだろう。だがしかし、だからと言って関係性を説いたら「正気」を問われるほど瑣末な存在でもない。
それは例えば、英語の「黙字(silent letter)」の一つ、oftenの「t」が近年発音されるという例に見られるように、文字が発音に影響する、すなわち、文字が音声記号である「ことば」に影響を与える事実があることからも知られよう。これはどういうことかというと、黙字はかつて発音されたものが発音されなくなった痕跡なのだが、その痕跡を根拠に「再」発音される事態を意味する。
いわゆる英語史については、堀田隆一著『はじめての英語史』(研究社)等々にお任せするとして、文字があるからこそ分かる言語の側面もある、ということをまずは強調しておきたい。先のoftenの例をふたたび持ち出すならば、文字があるからこそ「黙字」になった過去(歴史)がたどれ、また再出する変化も起きうる。文字は何も言語外の事態の記録にばかり役立つのではない。言語そのものの記録でもあるのだ。
言語そのものの記録。そう、この文字の役割に感銘した出来事を今回は書きたかったのだ。そのひとつめとして、かつて同僚から耳学問した漢字エピソードを紹介したい。
漢和辞典を一度でも引いたことがあるならば、読み方の場所に「漢音」と「呉音」、あるいは「唐音」なる表記を見たことがあるだろう。例えば、「男」であれば、「漢音」だと「ダン」、「呉音」だと「ナン」になる。もちろんここで指す「唐」や「漢」などは、中国の王朝と関係がありそうに思われるが、通例は日本に伝わった時期の区分と説明される。
手元にある『漢語林』(改定版)では次のように表記されている。
漢音 ほぼ奈良時代から平安時代初期にかけて伝えられた音
呉音 漢音以前に伝えられた音
唐音 室町時代から江戸時代にかけて伝えられた音
これらの他にも「慣用音」という区分があるのだが、ここでは置いておく。漢字に限らず、かつて日本が中国に深く影響を受けてきた証でもあり、それこそ痕跡のひとつが、この波状に漢字の音を吸収してきた過去であると言えよう。
個人的には、脱中国化のはしりは、賀茂真淵からはじまる国学の隆盛にあると思うのだが、少なくともそれまで「日本」は隣国をお手本にしてせっせと文化を洗練してきた訳である。その痕跡が音の記録(それは平仮名という本家の漢字から分家した「副次的な文字」なのだが)ただし、ぼくが注目したい文字の役割とは、そうした過去のことではない。いや、そうした過去が必然的に背負った役割とでも言うべきか。
勝手に想像するに、記紀が編まれたのは「国家」ないしは「王朝」というステイタスをシンボルだけでも整えたかったからだろう。大文字の「歴史」は往往にしてそうした作り物の「正統性」に動員されるものだ。しかし、「日本」が統一されるにはまだまだ時間が必要だった。隣の巨大な王朝は、それまでずっと次元の高い存在だった。まあ、真似もしたくなるのは無理もない。
ところが、である。その巨大な隣国は前の王朝の歴史を上書きするのが、いな、削除するのが常であった。焚書は何も始皇帝の発案ではない。高久由美さんの「漢字の来た道」を読んでいると、すでに甲骨文字の時代さえ「漢字」の原型について、王朝間で「揺れ」の生じていたことが分かる。ましてや王朝により支配民族が異なれば、音が異なるのは自然の理である。
では、ここに一人の中国語学史研究者がいるとしよう。彼(女)は中国の音の変遷をたどろうとしている。しかし、表語文字(logogram)である「漢字」は、天安門事件以降に簡略化されているとはいえ、字そのものは同じである。これでは変化は分からない。英語などの表音文字ならば「黙字」などのヒントがある。しかし漢字には。一体どのようにたどれば良いのか。
彼(女)は隣の国が自分たちの王朝をかつて手本にしていたことを知っている。そして、その痕跡を残していたことも。そう、漢字の発音の変遷、すなわち中国語ということばの変遷の痕跡は、日本語の漢字の読み方に残っている。完全に正確ではないだろうが、資料にはなり得る。ぼくが彼(女)の立場なら、痕跡を残してくれた歴史の不思議さに感謝しこそすれ、嘆くことは決してない。これもことばの不思議の、いや不思議な巡り合わせのひとつかもしれない。