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私的人生ストレッチ

ぼくは今年47歳を迎える。これから脂がのる(魚ではないけれど)年齢なのか、折り返し(マラソンではないけれど)の年齢なのか、ぼくは知らない。ただ、振り返ってみて、ぼくなりの「出会い」で学んだ、大切にしたいことが実感できる年齢にはなったと思う。

その、ぼくなりの「処世術」、いや、「処世術」ではないか。これまで生きながら、ようやく見つけた方向の取り方。だから、羅針盤であり、かつトラベル・ログみたいなものかもしれない。それらについて、少しつらつらと書いてみたい。

別の自分を想起すること

歳をとると、それなりに知識や経験も増える。それは自然なことだろう。何かしら仕事をしていれば、その仕事に関しては一家言を持つようになるだろうし、日々の生活で得る情報も、独自の「ライフハック」みたいなものも蓄積してゆくはずだ。

だが、それらの積み重なりは、それら以外の積み重なりを、時に排除してゆく。まるで平行世界を語るみたいな口ぶりだけれど、ある経験なり知識なりを長年得て行くと、それが「常識」になったり、物事の判断基準になったりする。職人「気質」の「気質」というものが、身に染みつく類の話だ。

長年教師をしている人は、知らずに「教える」立場から物を申したりするし、営業で頑張ってきた人は、生き方そのものが営業でつちかった「哲学」になったりする。周りにいる「名士」と呼ばれる人たちを、思い浮かべてみれば、この例えも分かりやすくなるかもしれない。ぼくだってその例外ではなかった、と思う。40歳をすぎてから、まったく別の職業について、その事実を知らされた。

それでも、と思う。生き方やその来歴をそれしかなかった、それしか歩めなかったと考える必要も必然性もない。「それしか」の先には、きっと経年劣化という名の思考停止しか待ち受けていないから。大事なのは、そうではない過去を、そうではなかった過去を考えることだ。ドイツの思想家ベンヤミンを勝手に持ち出すなら、「考える」ではなく「想起する(思い出す)」と言うべきだろう。

そう、「そうではない過去」や「そうではなかった過去」は、この思考法にならうなら、もはや自分の過去なのだから、「思い出して」しかるべきなのだ。この別の過去の可能性は、今ある自分の硬さや頑なさをもみほぐす効果がある。そうだろう、だって別の自分だったら「ああしたかもしれない」「こうしたかもしれない」と想像できる(想起できる)柔軟さこそ、経年劣化を避ける思考回路だからだ。

あなたの地位やキャリア、スペックを書き出してみよう。それらが自動的に紡ぐ考え方のスタイルは、そうでない「あなた」、そうでなかった「あなた」の考え方を排除している。もちろん、あなた自身を否定する必要はない。ただ、あなたの「つくられ方」「つくり方」は一つではなかったはずだ。人生全てが宿命に見えるのは、後づけの正当化にすぎない。

そのうえで、かつて現代思想家スピヴァクが案出した「unlearn」という方法論も提案してみたい。あなたをつくり上げた要素は、果たして無色透明で中性、中立なものであっただろうか。家や生まれ、身分、地位、はては文化や国、社会によって、規定されたり与えられたりしたのではなかっただろうか。それらを呪いだと唾をはいたり、僥倖とおそれ敬う前に、まずは意識してほしい。そして、それらを「学び忘れ(unlearn)」てほしい。

いま述べているのは、決して洗脳の話ではないし、スピリチュアルな話でもない。ただ、先に書いた「そうではない自分、そうでなかった自分を想起する」ためのヒントにすぎない。誰しも、半世紀近く生きればそれなりに、あちこち「偏り」を生じるものだ。誰かが長年愛用してきた万年筆は、それ以外の誰かには癖たっぷり、違和感たっぷりの万年筆としか感じられない。

「そうではない自分、そうでなかった自分を想起する」ことは、言うなれば頭の整体みたいなものだと思ってもらえたら良い。体と同じように頭も凝る。もみほぐすことができれば、見えなかった地平も見えるようになる。偏見からフリーになれる、とは言い切れないが、自分のなかに潜んでいた偏見に気づくきっかけにはなる。

「知らない」という名のキャパシティ

歳をとれば知識や経験も蓄積される、と書いたが、その分だけ新しいことを知る機会も減る。機会が減っただけなら良いが(機会を増やしたり、少ない機会を有効活用すればよい話だから)、機会そのものを無かったことにするのはいかがなものか、と思う。

かつてソクラテスは「無知の知」を説いた。そのひそみにならう必要はないが、知らないことは知るチャンスだとぼくは思っている。いままで知らなかったと後悔する前に、これから知ることができると喜べばよい。英語の「chance」の語源は「起きたこと」なのだという。以前には「起きず」に、いま「起きた」のだから、その「チャンス」を活かさない選択はないはずだ。

「いやいやそんなに時間もないし、それに興味もないよ」と。なるほどむべなるかな。人間、興味のないものは、覚えるのも難しく、また、興味のないものに楽しみは持てない。しかし、である、まるっきり反対の事例を想像してみよう。何にでも興味がある人間と何にも興味が持てない人間。果たしてどちらが「より幸せ」だろうか。極論を承知で書くなら、何にでも興味がある人間の方が、「より幸せ」ではないだろうか。

ぼく個人としては、何かに興味が持てることは、一つのスペックだと思う。天命などと大げさには言いたくないし、じっさい「天命」などではない。何かのきっかけが幸いして「興味ない」が「興味ある」に変じることはままある。かく言うぼくも、語学など興味なかったし、高校では何より英語のグラマーが嫌で仕方なかった。だから、大学合格を伝えに行った際に、かつての担任の教員から、「くれぐれも英語の単位を落とさないように」と予言(呪い?)めいた手向けをいただいた。

別の記事に書いたけれど、残念ながら担任の予言は的中し、英語の単位は一つ落としてしまった(それは興味とは関係ない理由であると、ここでは断っておきたい)。だけど、ぼくは半年しか通わなかった予備校での「出会い」がきっかけで、英語の、しかも文法が大好きに変わってしまっていた。その出会いをざっくり記そう。

当時の担当の先生は、ある程度の長さの文章(それは構文が潜められた少し長い文章レベル)を選び、それにとにかくSVOCをふらせた。でも、ぼくはそのSVOCが大の大の大の苦手だった。というか、よく知らなかった。それは何もぼくだけではなかったようで、だからか、先生は日本語を用いて教えてくれた。しばらくして、ぼくはこのスタイルがとても心地よいと気づいた。

おそらく潜在的に分析したがるタイプだったのだろう。文にSVOCを繰り返しふる、そうして「分析」を繰り返すのは、きわめて快感だった。そうなれば、Sの構成がどうだとか、Vの種類はどうだとか、Oになれるのは名詞的要素だとか、などなどの興味が沸くのに時間は必要なかった。「それ以外」としてきた要素がMになる、と知るのもまた心地よかった。

何もこれは「英語が好きになったんだ、合格おめでとう」で終わる話ではない。この分析癖は、やがて大学で学ぶドイツ語に適用され、さらには文学テクストにも適用される。そして、他の語学にも適用されてゆき、10代のぼくには思いもよらなかった研究者の道へとつながってゆく、かなり壮大なきっかけとなる。それはそれとして、研究者になったぼくが知ったのは、一流の研究者は興味関心の幅も一流だ、ということだ。

ぼくにチェコ語を学ぶきっかけをくれた先生は、オーストリア=ハンガリー帝国で用いられた言語(ドイツ語、ハンガリー語、ポーランド語、チェコ語、イタリア語、スロヴァキア語、イディッシュ語などなど)すべてに興味を持っていたし(でも専門は西洋史学)、研究会で一緒だった別の先生は、還暦を前にして、まったく専門外のブラジル移民の日本文学に関心を惹かれていた。

加えて何より、興味の幅が広いからか、内と他所との境界線が曖昧で、ゆえに懐が深く、寛容だった(もちろん、研究にはとてつもなく厳しかったけれど)。研究会には、常に外部の人が混じっていたし、研究室だけにいたら、何大学なのか分からないくらいだった。おそらく、いや、絶対的確信をもって言いたい。彼らは「知らない」ことをストレスに感じるタイプではない。「知らない」を「知る」喜びだと考えるタイプだ。

なぜそう断言できるかと言えば、やはりぼくも「知らない」を「知る」喜びだと感じるタイプだからだ。ぼくらはアダムのように長寿を授かっている訳ではない。だからおのずと命の長さから言って「知る」限界はある。その前に、世界の情報量はアダム時代よりずっと増えてるはずだから、アダムほど長生きしても「知る」ことはできない。それでも、「知らない」ことを知った時の喜びは、きっとアダムも知らないと思う。知らないことは、知る喜びの潜在的因子なのだ。

口耳の間は何寸?

コロナ禍の渦中でぼくが深く嘆息したのは、人間はそうそう変わらないという事実だった。関東大震災の際、広島原爆投下後、そしてオイルショック、これだけ時間が隔たっていても、流言飛語の類を信じる人たちの多さに驚き呆れた。あるいは、エビデンスなどと言うカタカナ語がやたらと出回るのにも辟易した。

大上段に構えるつもりはないけれど、知識にはいくつか種類がある。簡単に分けるなら、他者から得た知識と自ら得た知識がある。当たり前に聞こえるかもしれないが、実はそれも少し違う。「自ら得た知識」は、別ソースを自分で読んで知った知識と、別ソースではなく自ら発見した知識に分けられる。この内、本当に「自ら得た知識」とは、最後の「自ら発見した知識」を指す。

言い換えよう。きちんと分けるならば、知識のほとんどは他者から得たものにすぎず、自ら得た知識など、まずほとんどの人が持てない。これを証明するのは容易い。自分しか知らない知識を数え上げてみればいい。誰にも知られていない自分だけの秘密基地のような知識を数えてみてほしい(もちろん、ホクロが体に何個あるなどというのは知識ではない)。

研究者でさえ、自分だけ知る知識にたどり着くまで、恐ろしい苦労をしている。細分化された研究分野の、該当する論文や著作はしらみつぶしに読み、その上で自分だけ知るオリジナルな知識を論文で披瀝して証明する、それが研究者の本分だから(そうでない研究者にも出会ってきたけれど)。ゆえに、職業ではない限り、なかなかオリジナルの知識などは所有できない。

ふり返って、いま(というか古今東西)飛び交っている知識など、そのほとんどが自分ではエビデンスを取れない(裏を取れない)知識だ。だから、流言飛語と、ほぼほぼ背中合わせになる危険性を、つねにはらんでいる。先ほど、知らないことは知る喜びの潜在的因子だと書いたが、その一方で覚えておきたいのは、知らないことは知らないという責任を伴うし、知ることは喜びを与える反面、それが確かかどうかを見極める義務を伴う。

少なくとも、知ったことが自分に心地よいからといって、それが確かだと判定しては、絶対にいけない。知ることの中には、知らなければ良かったと思うことだって混じっている。真実とは、光でもなんでもない。自然と同じく、残酷でもないが慈悲深くもない。ただ、そうである、だけだ。色があったり、味があったりするならば、それは真実の、「知ること」の核ではない。誰かが色付けし、誰かがシーズニングをほどこしたのだ。

ふたたびスピヴァクを引き合いにだすなら、彼女は以前よく「戦略的」という言葉を用いていた。批評家にして研究者である彼女は、真理の探求者でもあるが、フェミニストとして権利運動を展開する運動家でもある。学問的真理と運動は、もちろん相容れないこともある。だから、彼女は権利を勝ち取るために「戦略的」に学問を動員する。なぜなら、それはあくまで目的のための手段であって、学問的営為の核ではないからだ。

ぼくも知識が誰かを救うために利用されるならば、その利用は正当化されると思う。ただし、ただし、だ、とても大事な要件を満たす限りにおいて、と言いそえたい。その要件とは、その利用を責任持って承知し、その利用が誰のためになるか、深く理解しているかどうかだ。なぜか、誰のためか、その理由さえ分からずに知識を振りまくのは、マスクをせずに咳をげほげほする行為に等しい。

いま、このような時代だからこそ、いや、いつでもどんな時代でもそうだが、自分の硬さに気づき、自己を作ってきたものを意識し、知る喜びを持ち、知った責任を背負う、そんな処世術でもない、小さな羅針盤で、ぼくは生きていきたい。最後に、「何様の分際で偉そうに何を言うか」と、当然ながらありうる文句について、哲学者カントの言葉を引いて反論としておきたい。

引用は「公的機関に属する者でも」から始まるけれど、ここの文脈では「公的機関に属する者は公衆に語りかけてはいけないけれども」という意味であり、それにもかかわらず引用にある条件を満たす場合は、と続いている。

みずからを全公共体の一員とみなす場合、あるいはむしろ世界の市民社会の一人の市民とみなす場合、すなわち学者としての資格において文章を発表し、そしてほんらいの意味で公衆に語りかける場合には、議論することが許される。(カント『啓蒙とは何か』より)

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