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祈りと救い
久しぶりの更新になってしまった…。
完全に忘れてしまっていました。
noteの更新は自分の気持ちの整理を兼ねてやっていることだから、完全に自己満足なのだけれど。
今日は主日礼拝に行ってきて。
帰りに牧師先生と少しお話できて。
帰ってきたら少し聖書を読んで。
そんな一日でした。
先週は父の命日で、亡くなってから4年経ちました。
色々あった。辛くて辛くて死にたくなる日もたくさんあって。
あの日から、私は母を守って生きていかなければと強く感じるようになりました。
それが良い原動力になる時もあったけれど、逆に大きなプレッシャーになることもあって。
けれど、最近、教会に通うようになって。牧師先生にも話させていただいたんですけれど私ってひとりじゃないのだなと。
神様がいつも傍にいてくださるのだ、と強く感じるようになって。
このnoteにもツイッターにもよく書いてることですけどね。
でもそれが私にとっての大きな救いになりました。
もちろん、母を信頼してないってわけじゃありません。でも、母を守れるのは私だけで、私が頑張らなきゃ、と強く思いすぎていた私にとってそれは本当に希望でしかなかった。
ひとりで全てを背負って、生きなければいけないのでは。今までも、これからも。ずっと、と思っていた私には光のようなものでした。
私はまだわからないことも多いし、聖書の内容だって神様のおっしゃることも全てを理解できているわけではないけれど本当に救いだった。
明確に「救われた」と感じた瞬間だった。
キリスト教自体は、昔通っていた大学がキリスト教系の学校だったため、馴染みはあったのですがそのような感覚をおぼえたことはありませんでした。
あくまでも大学の授業で知っている、そんな話を聞いたことがあるという感じ。
今の私が大学生の時に戻れたなら、真面目に話を聞くのに! と思いましたけど、きっとそれぞれのタイミングがあるのだと思います。
そもそも、キリスト教のお話を聞いてみようと思い始めたのは父親の死がきっかけだったので大学生の時に戻ってもたぶん教会には行かない 気がする。
話がかなりそれたな。
けれど本当に救いの感覚をおぼえました。だから、まだまだわからないことばかりだけれど、これからも教会に通い、祈りを捧げていきたいなと改めて感じた一日でした。