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わたしだけのフィルター

こんにちは、saejiiです。


わたしがnoteを書き始めて3ヶ月くらいが経った気もするが、
もともと人が書くnoteを読むことが、
好きだった。

今日読んだnoteで、
”広い世界に住んでいるように見えて、
実は『私』という小さな世界に私たちは住んでいる”

という最所さんの一文が、胸に引っかかった。



結局は、自分のフィルターでしか
物事は見えない。



相手の気持ちを考える時に、
一回自分に置き換えて考えたとしても、
今まで見てきたものや感じてきたことが違えば、
どう思ったかなんて、
結局のところはわからない。


ただ、たくさんの景色を見て、
経験を増やすことで、
”この人は、こんなことも考えそうだな”とかという
方向性が定まったり、
思想パターンを増やすことができるように思う。


よく女性は、
”共感されたい生き物だ”と言われる。

”かわいそうだ”と同調してもらったり、
”かわいい”と褒めてもらえたりすることで、
幸福感が高まると言われている。


確かに、共感されることで、
幸福度数を高めることはできるかもしれないが、
め新しさや感動は、そこにはない。


だから、同じ物事でも、
人によっては、”A”と思えるし、
他の人によっては”B”と思えるといった、
自分とは違う見え方で見えている人やことを
大切にする方が、
長い目で見た時に、幸福度数が高まるのではないかと思う。

貯金か投資か、みたいな違いなのかな。


恋愛でも同じに思う。
”あなたがわたしだったら、絶対◯◯するのに!”
”なんでそんなことするのか理解できない!”

でも、それは、わたしがあなたではないし、
あなたのフィルターでは、違う物が写っているからなんだろうね。



否定じゃなくて、
はたまた肯定でもなくて、
どういうフィルターで見ているのかってことに
興味がもてると、
これから先の起こり得るネガティブなことにも、
寛容でいられるのかもしれない。

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