必要とされるには、必要な自分を作る必要がある。

昨日、とある記事を書こうと思いパソコンを開いて、記事に必要な写真の選定をしていた。昔海外に行った時の写真もたくさん出てきていて、その時に夢中になっていたものが手にとってわかるくらい偏ったカテゴリーの写真ばかりだった。

今も写真はうまくないけど、撮ることは好き。でも、昔の写真はお世辞にも素敵とは言えないものばかりだった。センスないなぁって落ち込んだりもした。


そんなクオリティなので、結局記事に使えそうな写真がなかった。厳密には、1枚2枚はあるけど、だいたいアップにし過ぎ、マクロで撮りすぎ。引きの写真がなくて全然使い物にならないという始末だった。


”もったいない”

そう思った。せっかく足を運んで海外に行ったのに、人に見せられるものがこんなにもないなんて、と。(インスタでとかだったら気軽にあげられそうな写真ではあるんだけどね)

タイトルに書いたみたいに、誰かに必要とされているには、必要とされているものを知り、必要とされている自分を作る必要があった。稀に、”自分が作りたいものが、誰かの必要なものになれた”ということもあるけれど、それは運かセンスかその人の魅力(ファン)でしかない。おおよそは、必要とされる自分になる必要があるんだよね。それはもう努力でしかない。


今、世の中で、その分野で、何が求められてて、何が足りていないのか。そういう市場感にアンテナを張ることや、調べつくすことで、少しかもしれないけど、他人との差別化ができるのかもしれないな。

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