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気がついたのは、地獄にいるときで。
週末は三重の伊勢へ旅行に出かけた。食べ物も美味しくて、伊勢神宮の神秘さに心が洗われてた、そんな1泊2日の旅行。その旅行がもうずっと昔のことのように思うほど、今週はドタバタしている。
わたしはサラリーマンなので、普段は営業の仕事をしているけれど、仕事というのは不思議なもので、自分自身のことを真剣に考えざるを得ない状況を運んでくる。仕事は自分自身という人間を、丸裸にするんだなぁと、そんな風に思うのです。
今週ドタバタしているわたしに”楽しい”なんて思わせる瞬間なんかなくて、大体が頭を抱えるような問題・問題・問題ばかり。そうなると一気に心のスペースがどんどん”辛い”で埋まっていく。容量が100あるとすると、うち92は埋まってしまい、8しか残っていない感覚。いわゆる一杯一杯ってやつだ。
もうそうなると、自分自身でもコントロールが難しくなるほど、心の狭い人間になっていってしまう。サボテンみたいに棘のある人間。こればっかりは仕方ないことでもあり、でも、”他の誰かなら、どうにかできることなのかもしれない”なんて、ちょっと誰かを想像してみちゃったりして、また辛くなったりする。
でも、こういう時こそ、自分自身と向き合うことができたりするもので。
結局のところ、平穏無事よりも、こんな風に心がかき乱されるようなドタバタな嫌いじゃないのだ。確実にいつもの自分よりも、生き生きしている。疲れているけれど、感情の起伏は激しくなっているけれど、良くも悪くも、心が動くことが好きで心地いい。一番怖いのは無であること。そう考える自分がいることに気がついたのだ。
そうやって自分自身の本質のような部分に気がついたのは、地獄のようなところにいられたから。平穏無事なところに居続けていたら、こんなことには気付けないのかもしれないと思い続けながら、明日もせっせと働くのです。