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感じたことを言葉にする技術

こんばんは。saejiiです。

お弁当の中に入っている「おてふき」の書体がかわいくて、
思わず写真に撮ってしまった。

消毒のための気の利いたサービスなのに、
わたしは使わずにそっと自分のデスクにしまった。

使うのがもったいない。たぶんずっと使えないんだろうな。


そんな今日、いつも通り電車の移動中に
ツイッターをみていた。


わたしは恥ずかしながら、
ツイッターデビューが、多分、半年前くらいで、
かなりのツイッター初心者。

だからというわけではないが、
フォローしている方々のつぶやきを見てて、

「いい言葉だなぁ」「こんな風に思ったことないぁ」

って感心してしまうことが多い。
ほぼ毎日100回くらいある。


みんなのつぶやきを見ているだけで、
刺激を受けていたわたしだけど、

さっき急に、

わたしはちゃんと自分の言葉で、自分の気持ちを伝えられるのだろうか。

と思ってしまった。


誰かの言葉に対して、それが、会話でも文章でも、
「うん、うん」と同意したり、共感することって結構簡単で、
でもそれに対して自分自身が感じた気持ちを、
自分の言葉にしてみるって、

思っているよりも難しい。

それは語彙力の問題もあるのだけれど、
わたしが感じているのは、きっとそこではなくて、
誰かが書いた、誰かの気持ちを、自分の気持ちにすり替えてしまうことに、
慣れ過ぎてしまっているところなんだと思う。


今日、いつも通り誰かのつぶやきをリツイートしようと思った時に、
ふと、

「この人の言葉が、100%自分の言葉ではないのに、
リツイートすることに、何の意味があるのだろう」
と感じた。


このことは、決して悪いことではないけれど、
そのままパクり続けていると、

いざ、自分の言葉で伝えなきゃいけない場面で、
言葉が出てこなくなる。


誰かがよく言う「なんて言ったらいいか、言葉が見つからない」現象が、
いつか自分に降りかかってくるようで怖い。


そうならないように、自分が感じたことを言葉にする技術を
日々の訓練で身につけるといいのだと思う。


「自分の言葉で言うなら、どう言えるのだろう」って考えることが、
今、特に”わたしには”大切なんじゃないかなって、
そんな風に感じた。


それに気づいた今日は、
なんだかとても、清々しい気持ちだった。

今日もお疲れさまでした。おやすみなさい。


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