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自分の中で答えを出すということ


今日わたしは、とあることに答えを出してきた。


生活していると、答えを出せないもの、答えを出さないものがある。

前者は、何かの制約があったり、自分以外の何かの影響で本当は答えを出したいのに出せないという状況。後者は、答えを出せる状態であるのに、敢えて自分でその状況を作り出している、答えを出していない状況の方が、自分にとっては好都合だと考えて、自ら答えを出していないものだと、そう解釈している。


仕事だと、どうしてもお客さん側のお金などの都合で”答えを出せない”というシチュエーションはあると思う。でも、多くのことは、自分で選んで答えを出さない、いや、曖昧にしておく、という答えを出していることが多いんじゃないかな?と思い始めていた。


「はい」や「いいえ」ではない「わからない」とか、「白色」や「黒色」ではない「灰色」とか、「辞める」「辞めない」ではない「流れに身を任せる」みたいな。

曖昧な状態のものにも、名前が付いているということも改めて知った。

”曖昧さ”という、それはある意味、答えは出ているんだけど、わたしにとってその状態が心地悪いということを感じ始めて、”真ん中ではない答え”を、少しづつでいいから出していくことを決めた。

何事に対してもバランス型であることが、わたしのカラーだったけど、それももう辞めて、好きと嫌いとで構成する生活を選んでみたくなってしまった。もうみんなに好かれなくていい、わたしが好きな人たちだけに愛してもらえる生き方を選びたくなった。


そして今日、自分の中で答えを出して、言葉や声にして伝えてきたことがある。心臓が掴まれるほどの苦しさを感じたけれど、今は、一部分だけど、目の前の霧が晴れた気がして、自分自身がやっと人間らしくなった、とそう感じている。


今まで曖昧にし続けてきたものに、年内でどれだけ答えを出せるだろう。それを考えるだけで、ちょっとワクワクし始めている。


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