価値観は違うもの

今日は台風が来るって言うから、楽しみにしていた飲み会が急遽中止になった。残念だけど、家で一人でビールを飲む時間に変わって、それはそれで楽しいから気にならなかった。

最近ちょこちょこ、Netflixでの視聴を再開し始めてる。前まではアニメとかドラマとかが多かったけど、最近は海外物のドキュメンタリーをよく見てるかな。

自分じゃない誰かの生き方、特に海外の人たちの暮らしは、本当に国によって異なるのだけど、目に見えてわかること以外での、”考え方”というものが本当に違うのだなと驚く。こうやって他を覗かせていただくと、自分の一番近い世界は、無意識に自分の考えや感覚に近いものや人で囲まれていることを知る。だって、メキシコあたりだと、”死ぬことは幸せ”なんだって。だから、死んだらみんなで喜ぶの。すごいと思った。だって日本は悲しむじゃない?

そういった考え方の違いを、自分なりの正しい方向に持って行きがちになるけど、でもそういう違いを受け入れていこうという意識を最近は、少しだけど持てる様になった。

だから今は、なんでそういう考えになるんだろうって、否定ではなくて、その考えに行き着いた生い立ちを知りたい。

それは、幼稚園での方向性だったり、先生の教育の仕方だったり、地域の風習だったり、親のコミュニケーションの方法だったり、起因するものは多分多岐にわたるんだよね。

よく”どんな人が好きですか?”っていうありがちな質問で、”価値観の合う人がいい”と答える人がよくいるけど、それは、多分、最終的には、何も言わなくても理解してくれる”阿吽の呼吸”ってやつで、心地いいことをお互いに分かり合えている関係がいいことなのかな〜って推測してる。いちいち言葉で説明をして、修正する必要もないし、ストレスは少ないかもしれないしね。

でも、”価値観が一緒”だったり、”自分と似ている”ことが仮にいいとしても、”価値観が違う”ことや”自分と違う考えを持っている”ことは、否定するに値しないと思う。

だから最近は、私もそういう”違う”ことに興味を引かれるようになったし、いわゆる成功法以外の方法で試してみることもいいんじゃない?って思うようになった。

この頃いろんな人のツイッターが炎上しているのをよく見るけど、ツイッターの投稿に対して、フォロアーなのかはわかならいけどアンチ意見を書いて、それに対して、本人も他の人もあーだこーだ言う。

尖っている言葉の方がキャッチーだし、面白い。だけどその分、好きか嫌いかがキッパリ分かれる。

正直私は私自身のことを、極めて平和主義者だと思っているから、そんなにみんな怒らなくていいんじゃないって思うんだけど、でも、自分の意見を言えるのは悪いことではないし、意見が違うのは、当たり前なんだと思うんだよね。

だからこそ、そんな怒らないで、違いを受け入れてあげると、自分のイライラも少なく済む気がするんだよね。

結局一番辛いのは、自分の神経を削ることだと思うだから。削られた神経はね、なかなか戻らないからね。

なんとなく、私も嫌いな人はいるけど、そういう人を受け入れていけるような器の大きな人間になりたいし、もっと知らない世界、価値観があるのだと思うと、もう今すぐ旅に出たくなっちゃうね。

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