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【節制】3度目の正直Note

**記事読了に7分ください!**


タロット大アルカナは22枚あり、
私のタロットエッセイ大アルカナ編は19枚目。
もうそろそろ終盤に差し掛かる勢いですね。

この後、ちょっと重い話と、突拍子もない変な話を予定しているので、
ちょっと「普通」の話をば。



自己表現欲求を満たしたい。

ニュージーランドに移住してから、私の人生体験をブログや発信媒体で発表しようと試みたのは、このNoteがはじめてではないのです。
実は、noteは三回目だし、インスタやスタエフもトライしたこともあります。YouTubeもあります。

残念ながら全部消してしまったんですけど。

でも、

無駄なのではなく、全てが材料だ、

と思えている今、その失敗歴を振り返りたいと思いました。


一回目のブログは、ニュージーランドでも割とディープなロケーションと言える、首都ウェリントンについて紹介するブログ。
首都なのにディープ?とお思いでしょう?

ニュージーランドの全人口は520万人。
その中で、ウェリントンの人口は20万人です。
一番人口の多い都市は、国際空港のあるオークランド。160万人です。

なので必然的に、お店やカジノなどの観光商材はオークランドに集結するのです。観光するならここか、季節が逆のスキーができるクイーンズタウンしかないっすね、という感じです。


ウェリントンの表示もない地図見つけた(笑)なので付け足しました。


とはいえ、国会議事堂がある都市なので、住む都市としては快適。
観光客を想定していない地元に愛されたイベント事や、自然体な自然体験ができる「ディープニュージーランド」を紹介すると、面白いんじゃないか、と思ったのです。

アイデアは良いでしょ?
ところが、モチベーションが続きませんでした。
なにせ当時持っていたデバイスはiPad mini一台。スマホも持っていませんでした。
モノづくりは道具から”を肌で実感した失敗談です。
タブレットで文字打ち、できなくもないけど、
画面の半分を支配するキーボードアイコンでは、
一文書くのも時間がかかって、
めんどくさくなって、
Noteを開ける事から逃げるようになって…。
と、下り坂を転がっていくように
挫折したのでした。


二回目は、失敗の5年後。
布絵本を作っていくプログレスを
記録していくというテーマで挑戦しました。
これも、悪くないでしょ?

一回目の失敗を基に、
PCを購入し、
スキやフォロワーなどの数字を一切見ないように、
ただ投稿だけをひたすら毎日やる。
という作戦を取りました。
これは、インスタをやったときに、他者の評価ばかり気になって投稿が作れなくなった経験をもとにしました。

そしてこれも、1か月経たずに辞めてしまいました。

布絵本作り自体をやめてしまったことにも要因はありますが、
一回目と共通する挫折の原因がいくつかありました。

  1. 伝えたいことがわからなくなった。

  2. 誰に向けてかいているのかわからなくなった。

  3. なんでNoteなのかわからなくなった。

要因はこのあたりですね。
つまり、楽しくなくなったのです。


おかげさまで三度目の正直Noteは5月から3か月続いています。
不定期だし、影響力もそれほどないですが、
以前の投稿依頼、ありがたいことに「読者」の方を肌で感じるようになり、
楽しく投稿できています。

しかし

最初っからこんな風にやればよかった

なんて思うのは情弱な考えにほかなりません。
それが、【節制】のカードから得る学び。


カードの中では一番難解とは思っています。

こちらのカード、キーワードは【応用】。
そう、失敗例、挫折経験があって初めて学びを得ることがある
と伝えるカード(だともいえると思うのですが定かではない)です。
(↑自信持て)
カードの図像を見ると、片足を水につけ、片足を地面に置いています。
「この姿勢でなければこのカップからカップに液体を移す行為ができないの。」
とでもいうように、こなれ感も醸し出す表情ですよね。

この絶妙な姿勢、一回目でできるもんじゃなさそうじゃないですか?
(天使だからなんでもありじゃね?という異論は認めません)

ということで、ことわざでもある通り、
「失敗は成功の基」
この二度の挫折を元に三度目のNoteが今のところ楽しい理由を考えます。

表現もコミュニケーション。

挫折した理由を考えてみると、私は発信を一方通行のものだと勘違いしていたみたいです。
なんとなく、創作とは、いかに人と被らない作品を作るか、という定義から、=人に影響を受けない一方的なものが作れたら創作物として讃えられる、というように考えていた気がします。
ロックミュージックだけですね。それ。

インターネットを通じて不特定多数の方が見るブログや文字発信媒体は、
どんな人に向けて発信するかって大事っぽいです。
なぜならターゲットじゃない数多くの人が通り過ぎていくからです。
家の中で、たった一人でやっている行為だけど、
ストリートパフォーマーの意気込みでやるのです。
能動的に発信するから、受信してくれる方がいて、
受信してくれる方がいるから、繋がれて楽しい。
繋がれて楽しい体験をしたから、
もう一度同じ体験をするためにまたNoteを開いて記事を書く。

この構図でできるようになって、
ポジティブスパイラルを創れた!と思いました。
そうなるともう、こっちのもんです。

あと、多数のブログ媒体がある中で、やっぱりNoteが楽しい!とおもっている理由も考えてみました。
それは、

タイムレスな創作

をするのに持ってこいかな、と思ったからです。
タイムレスとは、流行りの反意語です。
消費物じゃない、という事です。

投稿してから24時間以内が勝負!みたいな、鮮度を問われるものは
私には書けない、って最初から思ってました。

なんでNoteがそうじゃないと言えるか、というと、
私が調べものとかする時に、検索して出てくるのがNote記事だったりするからでした。あるものを調べたときに、Note の記事が検索に引っ掛かり、行ってみると、2年も3年も前の記事だったりしました。

だから、私の記事も、2年後3年後に読む人もいるだろう、って
想いを馳せながら、誤字脱字や、誤情報を伝えないように気を付けて書いています。
なんか、ロマンチックじゃないですか?
時空を超えてまだ見ぬ誰かに宛てた記事を書くなんて。

そして、私は何を目的に書いているのか。

泉を掘り当てている。

度々言っていると思うのですが、
言語化って簡単じゃないです。
そして、自分が深層心理で思っていたことを表出するって
できていると勘違いしてしまいがち。
勘違いのベールもはがして本当の感情を引き出すことって、
自分を労わる行為の一つ
と、私は感じているのです。

自分の本音、心底の感情、魂の言葉?
なんか、なんでもいいんですけど、
本当の自分に興味を抱き、丸裸の自分を見てあげる行為
というんでしょうか。
私は、タロットエッセイで、それができている気がしているのです。

私のタロットの師匠まゆちん先生は、
『魂の意図、エゴを緩めた感情』と表現されています。

そうして、本当の自分を掘って掘っていくうちに
泉を掘り当てました。
クリエイティビティの泉です。
書いても書いても、また書きたい。
創作意欲がぐんぐん湧き上がるスイートスポットです。
タロットは、自分の本当の本当に思っていることを
掘り当てるツールとして、最適なんだな、
と、つくづく感じる今日この頃です。

と、いうことで、
サクッと書くつもりだったのに長くなってしまいました…。
泉掘り当てるのも厄介な部分もありますな。
止まらないんだもの。

ところで、タロットを読むって、誰にでもできるらしいですよ、
魂の意図、エゴのベールをはがした自分の声、
なんでもいいんですけど(2回目)、「自分の本音」を見つけるために、
タロットに触れるの
、どうですか?
まゆちん先生の無料講座、やってみませんか?


サポートはなるべくあなたの見える形にして使いたいと思います。大切に熟考して使います。お気持ち頂けたら本当に舞い上がります!!!