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【愚者】フォロワー50人以下のうちにしておきたかった事。

**記事読了に5分ください**

創作大賞出品「運命の人」前編後編読んでいただいた方、いらっしゃるでしょうか。

結論から言うと、「運命の人」はフォロワー50人以下の今のコンディションじゃないと書けなかったものなのです。

なぜなら、誰にも読まれたくなかったから。
でも、できれば評価されたかったから。


エッセイとは

私の中で
自分の隠したい恥部をいかに抉り出し、
面白おかしく読ませるか、
だと思っています。

しかし、多くの人にとって、その作業は難しいことで、
覚悟と訓練がいるように思います。

わたしは、別にエッセイストになりたくて登竜門をくぐろうとしたわけではないのですが、
恥ずかしくて誰にも言っていないエピソードを
あえて全力で書く、という事をしました。
それにより、得られるものを見込んで、です。



愚者のカード

は、何も知らない純真な心を表すカード。
ですが、私は、彼を決して馬鹿(フール)だと思えないです。

本当は頭いいくせに。この、この~(犬

元気の出るような派手な花柄の服を着て、
荷物は最小限、武器(?)の杖に結び付け、
賢い犬を従えて旅に出る決心をしているところです。
その顔は何も考えてないようでいて、聡明に見えます。

彼は今から学びの旅を始めるまっさらな人なのです。


Noteで自分の想いを言語化する、という事に
楽しさを見いだした私は、
こういった純粋な心で挑みなおしたい
と思いました。


Noteを何か月かやってみて、気づいたことがあります。

「フォロワー」と「読者」は別物だという事です。


この記事の半分以上読んでくれたあなたは「読者」ですよ。
あなたに届けたい、と思って書いています。



それと「スキ」と文章自体の評価も別物だという事です。

私は書くことと同じく、新たなNoteクリエイターとの出会いも楽しんでいます。
記事を読んだら
ほとんど「スキ」を残していきます。
見ましたハンコ的な使い方をしています。

一応最後まで読んだ記事に押してます。

なので、自分のもらう「スキ」も、
そういう、通りすがりの挨拶的に使ってる人がほとんどだろうな、
と思って受け取っています。

(追記:ストレートな『スキ』もある事を自覚してもいます。最近は、ストレートな『スキ』を受け取れてモチベーションになってます。みんなありがとう!
そして、私も、『見ました』以上のスキを押す事が多くなりました。noteでの出会いに感謝です。)

とはいえ、現代社会に生きる私も承認欲求に足を引っ張られる一人です。
全力で書いたのに、「スキ」が何個だ、
先週までフォロワー何人いたのに減ってる!!!

なんて、表面的な数字に踊らされる毎日。

そして、「文才もない私が何時間もかけて文章書いてなんになるんだ。。。」
なんて、元も子もない葛藤にさいなまれる近日だったのです。

さらに、言語化初心者の私は、
自我が邪魔して書きたいことを打ち消してしまったりして、
自由に書くこととNoteを始めた理由を忘れかけていました

そこで、思いっきり振り切ってみることにしたのです。

創作大賞出品作品を書いてみる

と。


もう、こんなの書いたらお嫁にいけないわよー!!
って、もう一人の私が何度も何度も止めに入るのを振り払い、
ちょっと気恥ずかしい描写や、
自分の認めたくない感情なんかを
素直に書きました。

仕上げてからも公開はためらいました。
自我が保てるかわからんぞ。
アカウントごと消してしまうほど後悔するかも。
外歩けなくなるかも。。。

なんて恐怖にさいなまれながらも、
書いた後一週間、電波の届かないところへ
ホリデーに行ってました。

なぜ、そこまでしたのかというと、
恐れを取り除くためです。

そこには、二つの真逆の期待もありました。
誰にも読まれることなく、この記事を無事有料記事として葬ること。(この先読まれること皆無)
なにかがまかり間違って、だれかがシェアしたりなんかしたりして、たくさんの人に読まれ、「スキ」の数過去最高記録。なんてそんな期待。こっちのほうが若干大。



一週間たって蓋を開けてみると。


なんてことはない、
変わらないアクセス数と平均的な「スキ」の数がそこにありました。



私の全力の恥部公開は、世間のなんでもない。



フォロワーは読んでない。
「スキ」の数は好かれた数じゃない。
書いても50人にも読まれない。これが今の私の現実です。
恐れとは、期待が外れることへの恐れでしかないのです。


ただ、現実を知ることはある意味で自分を解放することに繋がりました。
自分の中のバウンダリーを取っ払うことに成功したのです。

この挑戦は、私の現実を再認識させるとともに、初心に帰らせくれました。絞り出して、自我を振り払って出した、本気の言語化を経験できたから。
どうせ50人にも読まれないなのだから、恥もへったくれもないのです。しかもなんだったらお嫁にはもう行ったんです。

自分の感情を言語化するって難しくて、普段できているようでできていません。
思っていることが書けたときはなんだか、長い散歩の帰り、へとへとになってフラッと寄ったカフェが「当たり」だった時のような感覚です。

なくても生きて行けてたけど、
その存在を認めて初めて自分がふわっと軽くなれる。

そういう感じ。

ちなみに、バウンダリーは外しても、リテラシーは厳しく守ります。これは難しくないです。
わたしの書くエッセイは、あくまで自分の感情を言語表現するもの。誰かを貶めたり、批判したり、不快にさせるようなことは書かない。これだけ守ればあとは自由です。


運命の人を書いて、私は夫の事をもっと好きになったし、
夫の娘への感情を許せる自分になっていました。
これが、得るものを見込んで書いた理由。

これは、フォロワー数を獲得する作業に先に躍起になっていたら、
至れない思いでした。
だって、50人以下だと読者はいないけど、
100人以上になってしまったらさすがに読者はいるだろうから。
それに、数字にとらわれてしまっていたら、
本来私が求めているNoteの楽しみ方を忘れてしまったままになるから。


これから、バウンダリーが取っ払われた私の自由な言語表現が始まります。

どんなこと書こうな~。









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Saeh(さえ)*タロットエッセイ*
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