花金鳳花日記 2019年10月20日
今回11月のアートイベントに誘われて打ち合わせした事にイライラしていた理由を考えて何となく分かったのは、展示場所に魅力をあまり感じない以外に私に展示を頼んでおいて、うわ前だけはねているのが気に食わないのだと気づいた。
展示の華やかな所だけ、美味しい所だけ持って行こうとしている。
私は仕事でクライアントの意向にそって展示を開催する時は当然報酬を頂くわけですが、自分がやるべきと思った展示には無報酬でもやる事があります。
やるべき時には必ずここは押さえておかないとならないポイントがあり、展示と参加者の接点を見つめる事、観察が私の役割であり、その経験を積める事が私にとってのお金に換えられない旨味なのに、その装置となるワークショップにも協力的で無かった事に腹を立ているのだ。
作品に対する無理解こそが作家に対する一番の不遜だ。ダメージだ。
私だって展示もワークショップも面倒だし負担だ!しかしそこを押してやるから得るものがあるのだし。
と一回書く事によって自分の外に出してモヤモヤの原因が分かればスッキリする。思い通りにいかなくても誰かの役に立つのであれば、それはきっと素晴らしい事だろう。
朝起きて朝ごはんを作り
今まで思い出があって捨てられなかったゴミを纏めた
夫君がイライラして「邪魔だ」と言って雑誌を放り投げて、息子がご飯をこぼして汚れているテーブルと床に対して文句を言っていたので、イライラが伝染したのもある。
忙しくて夫君の布団を整えられなかった腹いせもあるのだろうが、仕事の他、子育てに食事作りや洗濯、最低限の掃除などは私がやっているのだからそれでも足りないと思う家事などは気づいた奴がやれば良いと思う。
子供の習い事の送り迎え、見学や、ママ達とのお付き合いや日々勉強を見てやるのは毎日の事だし、長時間なので考える以上に労力を使う。
寝る前の読み聞かせだって毎日やってやりたくても、仕事でヘトヘトで出来ない時もままある。
というかそう言った事象があると言う事さえ考えが及ばないのであろう。
及ばないどころか妻君は気楽で良いとすら思っているだろう。
何でもそうだが、育てなければ解らない、やってみなければ解らないのだ。