見出し画像

万葉集を読む

万葉集にハマった。
日本最古の歌集の、あの万葉集に。
亡くなった祖父がよく一人部屋にこもって読んでいて、へえ、歳をとるとそういうの読みたくなるものかなあと思ってた、あの万葉集に。

うちには集英社ヘリテージシリーズの文庫で伊藤博『萬葉集釋注』一巻があって、『ヘリテージシリーズ』のかっこ良さにやられて買った時のものなんだけど、そのままほぼ読まずに本棚に収まっていた。子どもが寝て、やっとひと段落した夜、私は本棚の前で、何を読もうかと物色していて、『萬葉集釋注』を手に取った。
多分、一度か二度は開いているはず。

その頃、私は平野啓一郎『富士山』をオーディブルで料理をしながら聴いたばかりで、私の暮らしている日常の、社会の、その問題を切り取って、拡大して、それを目の前に逃げ場のなくなる感じに、ハラハラと苦しい体験をしたばかりだった。
そんな気持ちにさせるなんて、すごい小説なんだろう。
けど、疲れてしまった。
その晩、これまたなぜか買ってあった松尾芭蕉『奥の細道』を開いた。
「月日は百代の過客にして…」
読んでいて、なんて気持ちのいい言葉たち。
書かれてから長い時を超えて、今の私にこれが届いていることの感動もあって、沁みた。
途方もなく時間の経っているもの、古典が読みたいかも、と思った。

万葉集は、130年の間に詠まれた歌を、およそ80年あまりの時間をかけて編纂されたもの。
今の感覚からは、想像できないくらいの長い時間。
通信は一瞬でできるし、旅だって思い立てば韓国にすぐ行けてしまうような今の生活からはかけ離れてる。
いい。それがいい。
できるだけ、遠くの物語を読みたい。

伊藤博は、論文は研究者における小説だと考えていたみたいで、
全ての歌に、史実や今までの研究からわかっていること、自身の解釈も加えて書かれた『萬葉集釋注』は、その通り、万葉びとたちが繰り広げる小説を楽しむように読める。
この本は伊藤博が執筆に20年ほどかけていて、1人の研究者が人生をかけたものが文庫で読めるという、ほんとにありがたいこと。

持統天皇の有名な歌。
春過ぎて夏来にけらし白妙の衣干すてふ天の香具山
万葉びとには不人気だった夏の訪れを、さわやかに詠んだ歌。
持統天皇は、日本で初めて火葬を望んだ天皇で、からりと清潔な白骨になることを望んだことと、夏の訪れをこのように詠んだことには関連がある、と伊藤博は考える。
この頃は、天皇の遺体は一定の間、安置しておく習慣があったようで、最愛の夫である天武天皇の亡骸が、徐々に朽ちていくのを見ていて、それに心を痛めていたのではと考えられる、ともする。
堅苦しい世界に閉じ込めてしまっていた人物の心に触れられるような気がして楽しい。
内乱で争う世の中に、こころを動かしていた人たちが生きていたことを感じる。

時間の流れ、自然の捉え方、生きていくこと、死んでいくこと。
万葉びとたちが、どんなふうな心を持っていたのかをもっと知りたい。

まだ萬葉集第一巻を読み終わったところ、万葉集は全20巻、『萬葉集釋注』は全10巻ある。文庫本の巻末にあるエッセイも良くて、万葉集を愛した人が、それぞれの思いを綴っている。
それが、また熱い。
馬場あき子さんが、歌を詠む友達と恋の歌を作り合っていたのが、一番グッときた。

いいなと思ったら応援しよう!