私ときどきレッサーパンダとアネット、救われる親娘と報われぬ親娘。
気付いて欲しいと声を殺しながらもがく、もしくは当の本人がその問題に気付けていない思春期の子どもたちへの救済になれば良いと思う。そう願いながら涙した。
何より、自分の子供を自己の投影ではなく、”一人の人間”として育てられる親が増えますように。
時代に寄り添い過ぎず、今を生きるわたしたちに光を見出させてくれる最近のディズニー。(特にピクサー。)
主人公メイの母親も例に漏れず、自身の親との関係や育った環境に問題があったのだが...。
そのトラウマを乗り越え、母親もメイも、本当の意味で解放される姿を見届けることが出来たのはとてもスッキリした。
過去や現在のしがらみは一つひとつ、周囲だけではなく自分自身とも向き合いながら、丁寧にほどいていかなければならない。
甘えん坊や構ってちゃんではなくて、我慢して我慢して限界が来てキャパを超えてしまった人の悲鳴にも近い言葉を蔑ろにするなんて最低。
環境のせいにするな、
こんな言葉に共感出来てしまえるなんて羨ましい。環境のせいにするのって、甘えてるからなの?そうじゃないと思う。
環境のせいにするなって、
めっちゃ例えばの話なんだけど、金持ちでも貧乏でもなく平々凡々な家庭に育って、過保護されるでもネグレクトされるでもなく一般的な教育を受けてきた人たちの、部活が厳しくて〜だの受験がしんどくて〜だの(自分の稼ぎ以外の金で行った)留学先で何度も挫けそうになって〜だのそういうのでしょ。例えばの話。笑(皮肉屋でごめんなさいね。かく言うわたしだって部活も受験も楽しんで経験させていただきましたが。)
じゃなくて、”向こうからやってくる”環境。
金持ちでも貧乏でも同じようにやべぇ環境に育つことってあるじゃないですか。身近にいる大人が絶対的な存在である幼少〜思春期に、受けるべき適切な保護や教育がない、あるいは受けなくてもいい肉体的、精神的な暴力があったら残るトラウマって一生モノ。
その子供は大人になっても当たり前のように上手く人間関係を築けない。潜在的なモノがあるから、周りと上手く折り合いつけようとしても、完全には人を信用、信頼出来ない。もちろん、その中でも上手に世の中渡っていける人も少なからずいるとは思うけど。
だから親が、保護者が、責任を持って一人の人間を育てるという覚悟を持つこと。それが無理なら子供なんか欲しいと思わないほうがいいです。
運良く不遇な環境で育たなかった人たちには、相対する人の気持ちは絶対に分からない。常々言ってることですが。親ガチャや毒親という言葉は、それを身を持って知っている人だけの救いの言葉であるべきだと誰かが言っていたけど、本当にその通りだと思う。
どんなに映画観てたって、本読んでたって、それは単なる疑似体験でしかない。だから、知った気になって偉そうにとやかく言うなっつってんだ。
苦労を知らなくていいねって言いたいんじゃない。誰だっていつか待ち受ける不幸な境遇にぶち当たる日が来るかもしれないし。
知らないなりにもどれだけ想像し気付けるかってこと。自分の価値観でその人の人生を決めつけないこと。
子供は親の操り人形じゃない。
一人の人間です。
「永遠に変わらないものなんてない
野獣は誰の中にもいる
ぐちゃぐちゃ、めちゃくちゃ...みんなは隠してる
でもわたしは出した、みんなはどう?」
とても虚しく響く、しかし極上のダークファンタジー・ロック・オペラでした。