【短編】ゴーストタウン【ライトBL】
そこに足を踏み入れた理由は覚えていない。
ほんの好奇心だったのか、なにか嫌なことがあって世捨て人にでもなった気で居たのか、もしくは偶然迷い込んでしまったのか
増築に増築を重ねた建物のひしめき合うそこは、おそらくその昔、それは盛況な街だったのだろう。
だが今では新都市は上層に移動し、住んでいるのは怪しげな人々ばかりの無法地帯。
まさに文字通り「ゴーストタウン」だった。
とにかく僕はそんな所に迷い込んでしまったんだ。
取り返しのつかないことをしてしまったということには、すぐに気がついた。
無茶苦茶な増築を重ねた建物は町全体を迷路にしていた。
足元からクスクスと曇った笑い声がするかと思えば、頭上から何かが壊れるような物音が響く。
建物の隙間には、動物のように光る目が、時折僕を見ていた。
こんなところ、人間の来るところじゃない。
僕は必死に出口を探したが、探せば探すほど、出口からは遠ざかっていくようだった。
精神的にも体力的にも限界だった。
路地にへたり込んでしまった瞬間、複数の殺気を感じた。
ああ、きっと僕はここの得体の知れない連中に、身包み剥がされて殺されるに違いない。
もう恐怖にすくんで、丸くなって震えるくらいしか出来なかった。
諦めかけたその時…
「こっちだ。」
声とともに、ぐいと腕をつかまれた。
背の高い男だった。
僕は男に導かれるまま、元は雑居ビルだっただろう建物の一室に入った。
大きくもないが小さくもない部屋の中は物がひしめき合っていたが、彼なりに整理されているのだろう。
細かな器具や薬品のようなものが入ったビン、大量の本の下には魚の泳ぐ水槽もあった。
「これでも飲め。」
おそらくこのとき僕の顔色は蒼白だっただろう。
男が差し出す水を受け取る手も、自分のものじゃないみたいに震えていた。
しばらくしてどうにか正気を取り戻すと、僕は改めてその男を見た。
歳は…僕と同じくらいだろうか。
こんな場所には不釣合いなくらい、こぎれいな服を着て、長い髪をきちんと後ろで束ねている。
日の光もまともに入らないせいか色白だが、中性的でとても端正な顔立ちをしていた。
壁につけておいてある机に向かって座って、何かを書いていた。
この人は他の妖怪じみた住人とは違う。
こんな場所にもまともな人がいたんだ!
僕は自分の幸運に心から感謝した。
僕の様子に気づいたらしく、男は振り返った。
「落ち着いたか?」
「は、はい…あの、ありがとうございます。」
そういってコップを返すと、男は微笑んだ。
「礼には及ばない。俺もおもちゃが欲しかったんだ。」
「…は?」
耳を疑っているまもなく、男は混乱し呆然とする僕の手足にベルトのようなものを巻きつけた。
「さあ、何をして遊ぶ?家畜ごっこがいいか?それともお医者さんごっこか?」
そういって僕の髪の毛を鷲掴む男の目は狂喜に満ちていた。
僕は感謝を撤回すると、神を呪った。
「い、嫌だ!やめ…ちょ!それなに!!いやーーーー!」
「あははは、君はホントにいい反応をするな!」
その日から、僕はこの男のおもちゃになった。
抗おうにもとても太刀打ちできない。
スタイルのいい体は見事に鍛えられていた。
力もある上、何の武術なのか知らないが簡単にねじ伏せられてしまう。
地下都市で生き延びるにはこのくらい鍛えていないといけないのかもしれない…
どんなに暴れても組み伏せられては枷を嵌められ、動けないのをいいことに、やりたい放題だった。
といっても、それはあまりに子供じみていた。
~~ごっこは本当に、子供がするようなごっこ遊びそのものだった。
顔に落書きをしたり、かつらをかぶせて変な服を着せたり。
そうしたイタズラや遊びをしているときの男は、それはそれは楽しそうだった。
一応成人している僕は、こんな遊びの対象にされるのは、かなり屈辱的だ。
だが屈辱的なだけならまだいい。
この男のごっこ遊びは本格的な方向に大人だった。
お医者さんごっこでは、わけの分からない薬を本当に注射されるし
おうちごっこでは、どこで仕入れてきたのか、食べ物なのかすら分からないものを食べさせられるし
だが必死に抵抗する僕の様は、ますます男を喜ばせた。
そしていつも、あらかた遊び倒されぐったりしている僕を見て、男は満足そうに笑った。
男は器用で、大抵のもの以上の物を手製することが出来た。
博士ごっこだと称して、電流の流れる奇妙な機械を1日で作り上げて、そこに縛り付けられたときは、本気で殺されると思った。
よく薬も作っていた。
時折その薬を持って外に出て行き、何か他のもの(食べ物とか)を持って帰ってくることがあった。
大方ドラッグなんだろう。ここの住人には、さぞかし需要がありそうだ。
監禁されて一週間くらいで、手械は外されたが、足かせは1ヶ月たった今でもつけられている。
日に1度、生命の維持に最低限必要な量の食事を与えられるだけなので、体力が落ちているのもあるが
大体この枷、どういう仕組みになっているのか、どこをどうしてもびくともしなかった。
そうして枷を外そうとしているのを見つかると、男は僕をねじ伏せて言った。
「君は俺のものだ。決して逃れることは出来ない。君はここに居るんだ。」
男が薬を売りに行っている間だけが、僕の安息だった。
小さな窓があるので、そこから外の様子を見下ろすのが唯一の楽しみだった。
そうして過ごしていたある日
「おい!あそこに誰か居ないか?」
外で声がするのが聞こえた。
ここからは見えなかったが、声の主が見える位置まで移動してきた。
「やっぱり!」
「みろ、あそこ、ほら!」
一目見ればその3人の男たちが、ここの住人ではないことは分かった。
上の世界で警備員が来ているような防護服を着ている彼らが見上げて騒いでいるのは、どうやら僕のことらしかった。
「…あの」
思わず声が出た。
すると、3人は驚いたように窓下に駆け寄ってきた。
「おい、あんた、えっと」
「そこで何をしている」
「何…って言われても…監禁されてます。」
「!?ここの住人にか?」
「はい」
「そのかっこうも、ここの住人にやられたのか?」
「はい…(どんなかっこうなんだろう)」
「……」
「俺たちは、この『地下都市』に入る許可を得ている探偵だ。依頼を受けてある女性を探しに来たんだ。」
「ここに来たんじゃないかとおもってな。」
「…こんなとこに女性が…いえ、誰であれ一人で来たら、1日も無事でいられませんよ…」
実際何度も外から悲鳴が聞こえてきた。
同様に人のものとも思えない奇声もよく聞こえた。
暴行を加えているような音も日常茶飯事だった。
助けに行く気もないし、行けるような状況でもないので、いつのまにか生活音の一部になっていたが。
「あんた!助けてやるよ!俺たちと来い!」
「…え?む、無理です…足を縛られてて…」
「君を監禁しているやつを殺す」
「!」
「そこにはどうやって行けばいい?」
「わ、わかりません」
「…いい、どうにかしていく。待ってろ!」
そういうと3人組は視界から消えた。
自分でも心臓がバクバクいってるのが分かる。
出られる?ここから?
もう諦めていたのに。出られるかもしれない!
でも、そのためには…あの人を…
そのときドアが開いた。
3人組ではなく、家主の男だった。
男は僕の様子に異変を察し、窓の外を見ると「なるほどな」と言った。
にわかに空気が緊張していった。男からは殺気も感じられる。
「君は俺のものだ。決して逃れることは出来ない。君はここに居るんだ。」
僕はいつのまにか壁に擦り寄り、小さくなっていた。
男はしきりに何かを準備しながら、ぼそぼそとつぶやいた。
「さっき3人組の部外者が居たな…
何人か手を出して返り討ちにあったらしい
武装してることが知れて、みんな警戒していた
だが武装では…
この迷路を渡ってこの場所に来れることには繋がらない。
そうそうたどり着けるものじゃない。
ここに生まれ育ったものじゃなければな。」
生まれ育った…?
ここで…?
準備を終えたらしい男は体中に手製の器具を括り付けていた。
「俺のものだ。
取り上げようとすればどうなるか、教えてやる!」
そういって出て行く男の背を、僕はぼんやりと見送りながら、さきほどつぶやかれた言葉を反芻した。
彼は本当にここで生まれて育ったんだろうか…?
だとしたら、なんとなく、今までの常識はずれな行為がうなづける。
ここにまともな住人はほとんど居ない。
同じ年頃の子なんて居なかっただろう。
まともな母親が、ここで子供を産むとは考えにくい。
狂ったまま産み落とされたのか、さらわれたのか、捨てられたのか…
なんにしろ彼が物心着く前からこの町に居たのだと言うことだけは確かだろう。
偶然か奇跡かが重なって、ここまで生き延びることが出来てしまったんだ。
過去の繁栄の遺物に埋め尽くされた街だ。物だけは無駄にある。
この雑多な本や器具、彼の持つ技術で知的水準だけは過度に満たされたことは分かる。
でも…
彼が名乗らないのは…名前がないから…?
思考するほどぞっとした。
こんなところで、ずっと暮らさなければならなかったこと。
狼に育てられた少女が無理やり人間の世界に帰依させられて、結局すぐに死んでしまったように
ここで育ってしまったら、外の世界(ルール)では生きられないだろう。
それは僕が今つけられている物より、ずっと強固で重い枷だ。
半日ほどして男は戻ってきた。
「こっちへこい」
枷を外され、乱暴に腕を引かれるまま、迷路の中を進む。
「ここに入ってろ。」
そこは一見煙突のようだった。
男がレンガをどけてレバーを引くと扉が開いた。
中には人が一人入るには充分なスペースがあった。
男はそこに僕を押し込めると、また扉を閉めてどこかへ行ってしまった。
3人組は迷路の中を懸命に進んでいた。
時には磁石を使い、時には偶然見つけた住人に聞いたりしながら。
全ての準備を終えた男はその様子を高台から見下ろし言った。
「貴様等の探しているものは、俺のものだ。
大人しくこのまま帰れば、見逃してやる。」
「!お前か!あいつを開放しろ!この狂人が!」
「君のやっていることは犯罪だ!」
「…ここにそんな法律はない。
ここの法は、「敵には死」だ
だが、俺が特別にルールを作ってやる。
夜明けまでに、あいつを探し出すことが出来たら、つれて帰ってもいい。
だがもし探し出せなかったら…その罪償ってもらう。」
男はそう吐き捨てると、身を翻して迷路の奥へ消えた。
男の態度に嫌悪し、正義感に駆られた3人組は奮起して迷路を突き進む。
が、道を熟知している男の仕掛けた罠にことごとく阻まれる。
何度も爆音や絶叫、そして男の笑い声が廃墟の中にこだました。
どのくらいたっただろう、ふいに僕の閉じ込められている煙突の扉が開いた。
男は背後をうかがいながら中へ入って、扉を閉めた。
大の男が二人も入ったら、もう身動きもできない。立っているのがやっとだ。
「あいつら、意外とやる…
じき、ここにも来るだろう。」
数分後、怒声とともに足音が聞こえた。
「どこだ!!返事をしろ!!」
僕に言っているのだ。
息を呑んだ瞬間
「…助けなど呼ばせない。」
男が自らの唇で僕の口を塞いだ。
動かせなくて手で抑えられないから…だとは思う
だが僕は、それに驚くも抵抗する気になれなかった。
至近距離で罠の発動する音と、助けに来てくれた人の悲鳴が聞こえる。
必死にもがけば、気づいてもらえたかもしれない。
でも僕はそうしなかった。
奇妙な感覚に囚われながら、身を任せた。
足音が遠ざかってしまってからも、男は唇を離さなかった。
結局一晩中(といっても1.2時間だが)口付けされていたわけだが
夜が明けて外に出てみれば、目の当たりにする惨状。
建物のあちこちが破損し、煙が上がっている。
あの3人組は…というと、もはや姿はなかった。
死んだのか逃げたのか定かではないが、死体がなかったことだけが呵責に対する救いだった。
結局、僕は部屋に戻った。
千載一遇のチャンスを放棄したのだ。
「分かっていたようだな。」
「…何が?」
「あの時、抵抗すれば、助けを呼べたろう。」
「ああ…」
男は僕をいつものベッドに座らせると、枷を探しているのだろう。爆発の衝撃で崩れた本をどけながら言った。
「君は俺のものだ。決して逃れることは出来ない。君はここに居るんだ。」
男の口調は淡々としていた。
いつもの台詞、いつもの口調。
だが、僕が聞きたいのは、そんな言葉じゃなかった。
「あなたは…どうなんです」
「……ん?」
「どうしてそんなに…本当は僕にどうしてほしいんですか?」
男はしばらく背を向けたまま黙っていた。
「…!?」
男の足元に水滴が落ちるのが見えた。
「…君が…初めて…まともに会話ができた……人間だ……」
「…………」
「…楽しいと思った…これまで…どれだけ孤独だったか…分かった………失うのが怖い…………」
「…………」
「…………一緒に居てほしい…………」
そう言って俯く男を後ろから抱きしめると、僕は彼の持つ枷に手をかけた。
「…そう言ってくれれば…こんなものをつけなくても、僕はそばにいたのに…」
枷はガチャリと音を立てて落ち、男の手は背中から回した僕の手を握った。
僕の足に枷が嵌められることは2度となかった。
end