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私は人が好きなのか?

昔から、「私は人が好きです」と言っていました。小学生とか中学生とかで自己紹介をするときも「私は人と話すのが好きなので、たくさんおしゃべりしてください」と言ってみたり、就活の自己PRでは「私は人が好きなので、物ではなく人としての価値が試される仕事がしたいです」と薄っぺらいドヤ顔で言ってきました。ただ、そう言いながらもどこかで違和感を感じていたのも事実でした。

人が好き、と言いながらも、人の失敗や弱いところには厳しかったし、嫌いな人や苦手な人もたくさんいました。人が好き、って、何なんだ?と思います。私はただ、とても俯瞰的に、外野的な目線で人間を観察し、「この人はこういうときこういうことを言うんだぁ」とか「こういう顔をしながらしゃべるんだ」とか、そういうことを見ているのが興味深く、飽きなかったんだと思います。とても感じ悪いですね。笑

このnoteや、自分のことを発信し始めたことをきっかけに、大きく人間関係のスタンスは大きく変わりました。スタンス、という言葉はなんだか薄くて違うのだけど、うまい言葉が見つからない。

病気のことや、自分の中での葛藤、変化をこの場で書いてから、驚くほどたくさんの人から連絡が来ました。それはどれも、とても個人的な方法で、個人的な内容でした。自分も似たような経験をしたことがある、とか、同じような想いを抱いていた、とか。共通していたのは、どれも私のことを心配するような内容ではなく、自分のことを話してくれる内容だったことです。みんな口を揃えて「気が楽になった」というようなことを言ってくれて、何ものにも代えがたい喜びでした。心配されるより100倍嬉しい。

10年以上会っていない幼いころの友人や、大学時代の知人・友人など、それは多岐にわたっていて、私はただただ驚くばかりでした。連絡が来る度に、個人的なことだから絶対言えないけれど、「●●さんも同じように悩んでいるんだよ」と毎回言いたくなりました。あなたの隣にいるひとも、同じように悩んでいるんだよ、と。それが本質的に言いたいことだったから。

それからは、人とのコミュニケーションがどんどん変わっていきました。もしかしたら表面的にやっていることは変わっていないのかもしれない。けれど、LINE一通に込める気持ち、メッセージ一つのやりとりの深さ、一緒に食事をするときの会話の内容、全てが丁寧に感じ取れるようになり、真摯になり、孤独感が少なくなりました。向き合うことを、恐れなくなりました。一番向き合うのが怖い相手って自分で、それを踏まえたとしたら、他人との向き合いはただただ新鮮で楽しいことでした。

自分のことを話すことがとにかく苦手で、いまでも人見知りは変わらないし、大人数だと縮こまってしまうけれど、自分の言葉で自分のことを正直に話すようになってから、人との関係性はどんどんと変わりました。自分のことを話すと、驚くほど、相手も自分自身のことを話してくれるのです。29年生きてきて初めて気付いたことでした。そうやって人と深く関わることで、どんどんと幸せになっていった。人と関わることは、間違いなく楽しいです。俯瞰的に見ていることより、1歩踏み込んで関わる方が、ずっと楽しい。きっと、「人が好き」なんじゃなくて「人と関わることが好き」なんだと思います。

自分のことを話すことで、私のことを嫌いだとか距離をおきたいと思う人もいるのかもしれません。でもそれはもう、仕方ない。笑 これだけさらけ出しているから、当然だと思います。人には好き嫌いがあって当然だし、私も、どんな人とでも丁寧に関われるほど器用でもない。ただ少なくとも、引き寄せあった人とは、大切に誠実に、そして一歩も二歩も深く関わっていきたいなぁと思います。その関係に、損得はないです。

日々の生活の中で、いろんな人に「助けられている」「生かされている」と感じます。でも、それと同じくらい「人のことを生かしている」とも思います。誤解されそうな言葉だけど、調子に乗っているわけでもなんでもなくて、人と関わるというのはそういうことだなぁと思ったからです。支えあって初めて、自分の存在意義を確認したり自分を認める作業につながると思うから。一方通行の行為では、それは成り立たないと思ったから。関わってさえいれば、生かされようが、生かそうが、幸せなことには変わりないなぁと思います。それが「共生」なのでは?と思ったり。

「共生」というのは私にとって本当に大きなテーマで、ずっとずっと考えています。価値観の問題だけでは片付かないのだと思うけど、最後は価値観に落ち着くような気もしたり。むずかしいねぇ~。ぼんやり。

Sae

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