「病気になったからこそ学んだことがある」は本人しか言っちゃいけない
ちょっとダイレクト過ぎることをタイトルで既に書いてしまった。
さっき、こんなツイートを発見して、思うところがあったのでそのままPCに向かってこれを書いている。
この方はツイッターのプロフィールを見るに、車椅子ユーザーの方らしい。詳しくは存じ上げていないし、かつ私は車椅子ユーザーでもなく障害を持っているわけでもないのだけれど、近しい感情を抱いたことはある。
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パニック障害の治療をはじめて約1年が経過し、大学院受験も乗り越え、症状が落ち着いてだいぶ時間が経ったこともあり、少し前から減薬をスタートさせた。
同じ病気の人が皆同じ治療法をとっているとは思わないので一概には言えないけれど、パニック障害で処方されるような薬は、すぐに飲んだり止めたりすることができない。少しずつ量を増やし、症状が安定したタイミングを見計らって、少しずつ量を減らしていく。何ミリ、という単位で。今も、1錠を半分に砕かれた錠剤を飲んでいる。そんな風に繊細に、調整していくのだ。
この薬ってのがなかなかに厄介もので、もうめちゃくちゃ眠い。これでもかと睡魔に襲われる。もともとぐーたら怠け者というのもあるけれど、1日のうち、朝から夜までのすべての時間を有効に使えるようなことは、まずない。
気分のアップダウンは特にないのでそれはありがたいのだけれど、とにかく眠い。寒い外出先から暖かい家に戻っただけで睡魔に襲われて、スマホを握りしめて何かを打ちながらそのままソファで寝落ちし、家族が帰ってきた音にも気付かずに、2、3時間は平気で眠りこけてしまう。
そんな風に思い通りにならない日常を過ごすのにも慣れてきた部分もあり、やる気が出ない時もあるさ、何も出来なかったなぁと思ったって仕方ないさ、と自分を許す余裕も出てきた。
そんなこんなで、薬やら症状やらの様子を見ながら、毎日を過ごしているのである。
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タイトルに戻る。
「病気になって学んだこと」は、山ほどある。
一番は、自分のこと、だ。
自分はこんな風に弱いんだ、自分はこんな風に強いんだ。なんでこうなったのだろうか、何が自分にとってストレスなんだろうか。自分の本来の性格ってどんなのだったっけ、以前の生活は何が問題だったのだろうか。
あらゆることを洗いざらい棚卸しし、自分を理解し見つめ直す作業をした。これは、人生の財産だと思う。不必要に自信をなくすことも、自分を過信することもなくなった。
そして、今の世の中で生きていく上で、生きづらさを感じてしまう人の多さも知った。
「普通」の生活ができなくなって、はじめて見えてくる人がいた。たくさんいた。そして、そういう人たちが守られるところってどこにあるのだろう、とも疑問に思った。誰だって弱くなる瞬間がある。思い通りに行っていた人生が頓挫することがある。そんな風に、それまで見えていなかったものが突然見えるようになり、深く考えるところもあった。
家族や友人にもたくさん支えてもらったし、深い感謝の念も抱き、他にも学んだことがたっくさんある。これらは全部、私が病気になっていなかったら気づけていなかったことかもしれない。大学院になんてきっと行っていないし、会社を辞めることもなかったと思う。それこそ、こんな風に文章を書くことにも出会ってなかったはず。
そう思うと、病気になったことが色々なきっかけになっているのは間違いないし、それによって私自身得るものがたくさんあったのも間違いない。
でも、「病気になってよかった」とは1ミリも思わない。
当たり前だ。思うはずがない。どれだけ苦しかったか。どれだけ辛かったか。どれだけ歯がゆく、しんどく、やりきれない思いに苦しんだか。どれだけ「あれも、これも、すべて諦めるのか」と悩んだか。そんなことは正直、本人にしかわからない。
「病気になったからこそ気づくことがあった」のは事実だ。ただそれも、本人にしかわからないのだ。わからないはずなんだ。
きっかけになってよかったね、と思う人もいるかもしれない。この道と出会えてよかったじゃん、と思う人もいると思う。でもそれは、決して、本人以外のひとが口に出しちゃいけない。
「病気になってよかったわ」と言える人もいると思う。でも、「本当にそうだねー」なんて返して欲しくないんじゃないだろうか。
病気を「肯定」していいのは、本人だけだ。
苦しかったこと、辛かったこと、失ったこと、失ったもの、病気をきっかけに得たもの、経験、気づいたこと、学び。どれだけ周囲が励まそうが、意味づけしようが、それらを肯定できるのは本人だけなのだ。何故かというと、その意味を本当にわかっているのは、本人だけだから。
いくらポジティブな話に持っていきたかったとしても、なんでもかんでも前向きに意味付けをされるのは好きじゃない。それをしていいのは、本人だけ。それをできるのも、本人だけ。
Sae
※幸いにも、私が何か言われたわけではないのでご心配なく!
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