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点と点が繋がる瞬間〜ちぐはぐな私を認めて<今>を生きてみようと思った話

何か一つのことに情熱を注いで、その道を極める生き方に憧れてきた。なのに、肝心の「何か一つ」を見つけられないまま大人になって、気づいた時には、すっかり理想とかけ離れた人間になっていた。

明確な夢を掲げて生きる人はとても輝いて見えて、何についても中途半端な自分と比べて劣等感を膨らませてしまう。

私の過去って無駄なことばかりじゃない?
この先、満たされる瞬間って来るのかな?
後にも先にも自信がなくて、不安だった。

だけど、最近、ある一冊の本の中で、「点と点が繋がる感覚」と出会ってから、自分の過去のさまざまな経験を肯定する気持ちが芽生えて、いま、ほんのり未来への希望を感じ始めている。

ちぐはぐな物語

幼い頃から、興味が湧いたことを何でもやってきた。

幼稚園児の頃はひたすら絵を描いて、ピアノを弾いて、小学校の途中で転校した頃から異国の文化に興味を持ち始めた。中学では吹奏楽部でクラリネットを吹き、高校では楽器をヴァイオリンに持ち替えてクラシック音楽を弾きながら、クラスメイトと映画を作った。大学ではメディア論を専攻して、独学でグラフィックデザインの制作活動をし、就活での紆余曲折を経て、新卒でIT企業に入社。エンジニアとしてWebサイトの構築・運用に従事。

…と、こうして自分史を振り返ってみると、何だか辻褄の合わないデタラメでちぐはぐな物語のあらすじを書いているような気分になる。
自分の背後に意志のない寄り道ばかりの足跡が残っているように思えて、あまりの一貫性のなさに我ながら呆れてしまう。
気を抜くと、今自分がどこに居て、どこへ向かっているのかも、よくわからなくなくなってしまう。

かといって、一つ一つの物事に対していい加減な気持ちだったわけじゃない。その時々で真剣に一生懸命だったし、それなりの結果も残してきた。

それでも、何をやってもなかなか納得感や達成感や充実感が得られず、知識や技術が蓄積されていく実感が湧かなくて、心から情熱を注ぎたいと思える「何か」も見つからなかった。
色々やって、どれもそれなりにこなせるけれど、特に何も成していない。自分の中には何も育っていない。そんな感覚が燻る。

一つの専門性を磨こうと覚悟を持って選んだ−そして間違いなく自分史上最も長くたった一つのことに全力を注いだ−エンジニアとしての日々の中でも、そういう何処か満たされない感覚は消せなかった。

点と点が繋がる瞬間

一心に働いた20代の終わり、心身を壊して、思い描いていた理想がどんどん遠のく感覚に、「必死にやったあれもこれも無駄だったんじゃないか…」と項垂れていた。そんな私に、ある人がこんな言葉をくれた。

「いつ、何が、どんな形で結びつくか分からない。目の前のことに真剣に取り組んでいたら、思いも寄らないタイミングで点と点が繋がることがあるから。無駄な過去なんてないよ。」

だけど、当時の私は極限レベルに悲観的になっていて、折角貰ったこの言葉を心の底から信じることができず、「『点と点が繋がる』なんて、もっと早くから一つのことを長く極めてきた人しか味わえないよ」と、思っていた。

ところが。そんな私が、最近、小さな点と点が繋がる感覚と巡り合った。

本当になんてことのない些細な出来事。
だけど、私にとっては過去と今が繋がった瞬間。

それは、詩人・長田弘さんによる『すべてきみに宛てた手紙』(ちくま文庫)という39通の「手紙」がおさめられたエッセイ集を読んでいたときのことだった。

幻想交響曲

長田さんが綴った39通のうちの一通『手紙18−幻想、理髪師、パガニーニ』では、ドイツ生まれのジャーナリスト、ルートヴィヒ・ベルネが遺した音楽にまつわる文章の魅力を取り上げている。その中に、ロマン派音楽の作曲家ベルリオーズの幻想交響曲が登場する。

ベルリオーズ。幻想交響曲。

その言葉に、14年前の記憶が蘇った。

2008年冬 - 出会い

私は高1の春、管弦楽部に入部して、初めて憧れの弦楽器・ヴァイオリンを手に取った。先輩や経験者の同期、私と同じく未経験の同期、優秀な後輩、皆に支えられながら、十数人の小さな部活で和気あいあいと室内楽を楽しむ日々が始まった。

その約1年半後、17歳の冬。近隣の学校と合同で100人規模のオーケストラを組んで弾くことになったのが、幻想交響曲だった。

大きなオケに参加できるのは嬉しい反面、難解な大曲を前に正直気後れしていた。さらに、他校のヴァイオリニストは経験豊富な人ばかりで、私は大きな焦りを抱えながら日々曲と向き合った。「自分なりにできることをやればいい」…そう頭ではわかっていても、どんなに練習を重ねても思い描く形とはほど遠く、焦りは膨らむばかり。

今思えば、それまで弾けなかった速さの速弾きや、初めてのコル・レーニョ(弦楽器の弓の毛ではなく棒の部分で弦を叩く奏法)も練習して、ベストを尽くしていたのだけれど。

本番後も、できたことより自分の演奏の拙さに意識がいって、「努力の意味あったのかな…?」とモヤモヤが残った…それが私にとっての「幻想交響曲」だった。

2023年春 - 再会

あれから14年が過ぎた2023年3月。
偶然手に取った本の中で思い出の曲と再会した。

長田さんが取り上げたベルネの文章は、簡潔ながら一つ一つのことばが豊かで、読んでいると、管楽器の軽快なメロディ、弦楽隊の流れるような掛け合い、ドラマチックに展開する曲の細かい部分に至るまで、私の頭の中で驚くほど鮮明に幻想交響曲が鳴り響いた。

特に「すべてが手で掴めるほど鮮やか」という表現はこの曲にぴったりで、私は19世紀のパリの音楽会に思いを馳せ、そして、ハッとした。

この読書体験は、14年前、必死に曲と向き合った時間があってこそのものだ、と。
きっと、17歳の冬の経験がなかったら、同じ本を読んでも、ベルネの文章の味わい深さも幻想交響曲の持つ表情の豊かさも分からなかった。こんなに想像力を働かせることもなく、私はこの節を簡単に読み飛ばしていたかもしれない。

そんな、とても些細なこと。
でも、私にとっては、心の片隅で否定的に捉えていた自分の過去と今が繋がって、新しい意味を持った歓びの瞬間だった

<今>に真摯に

そして、私は、以前自分とは無縁だと遠ざけてしまった言葉を思い出した。

「目の前のことに真剣に取り組んでいたら、思いも寄らないタイミングで点と点が繋がることがある。」

私は、今回の小さな点と点が繋がる瞬間の歓びを知って初めて、「どんな過去も今と繋がる可能性を秘めてる…のかもしれない」と思えるようなった。

「何か一つ」の夢と出会えたわけではないけれど、「ちぐはぐに思える過去も一度認めてみようかな」と自分の生を少し前向きに捉える気持ちが芽生えた。

そして、点と点の繋がりというのは、本当に、思いも寄らない瞬間、注意深く見ていなければ通り過ぎてしまうような些細な経験の積み重ねの中で生まれるものなのだ、と思う。

そういう繋がりを見逃さないために、歓びの瞬間に気づけるように、私なりに<今>に真摯に、一つ一つの点を丁寧に集めることを続けてみたい。

2023.04.07

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