自責と他責
社会に出るとよく、
人のせいにしてはいけない。とか
自責で考えるんだよ。
というようなことを言われることがある。
そんな時、
人のせいにしてないのになぁとか、
なんでも自分で背負い込んでたら
潰れちゃうとか、思う人はダメなんだろうか。
じゃあ、自責と他責をどう見分けたらいいんだろう。
見分けられたら、今は自責で考える余裕があるなとか判断ができるようになると思う。
私が思うに自責とは
自分の行動による対処法を見つけられる原因を見つけることだと思う。
私が思うに他責とは
他人の行動が問題の原因と捉え、
相手の行動が変わることを只管待ち続けることだと思う。
他責の場合、
多くの他者は自分の想定するように
変わってはくれない。
そうやってフラストレーションがたまり、
鬱になったり、人に当たり散らしたりする。
(そうして。問題が肥大していく。)
では、問題に直面した時、
人には、どういうような選択があるのだろう。
わたしはまず、
無理をしないことだと思う。
自分の状況を見つめて、しんどいとか
気持ちが昂っているとか、アドレナリンが出てるとか、いろんな状態があるだろう。
だが、自分のコントローラーを手放したとき、
誰も自分の操縦をしてはくれない。
自分のハンドルは自分で、
そのために余裕のない時に、無理は禁物だ。
自分の状態を認識したら、現状を見つめる。
なぜこんなふうになったのか、時系列で見直し、登場人物を見直し、自分の行動をふりかえる。
ここが自責と他責の分岐点だ。
自分はこう言ったのに、相手はああだった。
こんな風なことだけが浮かぶ時は、
他責コースまっしぐらだ。
自分のコントローラーを手放し、
二度と戻ってこない恐れすらある。
ポイントは自分と他者で分けることだと思う。
自分はこうした。こう言った。
そうする時、相手はこうした。こう言った。
大切なのは、自分の行動を振り返ること。
伝え方はまずくなかったか、
話すタイミングが悪かったんじゃないか。
いろんな要因があるだろう。
自分は前にこう言ってたのに、
誰々が意見を押し通したんだ。
自分はこうだと思ったのに。
では、もう一度提案してみてはどうだろう。
現状に対する反省もそっと添えて。
人は一生懸命やることでしか、
その熱意を伝えることはできないと思う。
懸命に取り組めば、周囲は自分の行動を認めてくれるし、周りの雑念は耳に入らない。
責任というと、重たくて鬱陶しいもので、
できれば誰も取りたくない。
そんな印象を持つ人もいると思う。
でも、人は15-20歳の頃早く大人になりたいと願う時期もあったと思う。
自分の人生をどういきたいか
考えることか、大人になるっていうことじゃないでしょうか。