「ちゃんとしなきゃ」からわかること
こんばんは!
今日は、また朝の瞑想の時に自分からメッセージをもらい、「あ〜これって結構色んな人が陥りそうなところだなぁ」と思ったので、そこについて書いていこうと思います。
最後までお付き合いくださいね。
何度も受け取ったメッセージ
自分と繋がる瞑想法では、毎回さまざまなメッセージを受け取ることができます。
同じことを受け取ったとしても、その時々で自分自身の中での解釈が変わることもありますが、それはその時の真実でしかありません。
今日私が受け取ったメッセージは
「もっともっと不真面目でいい。自分に素直に、愛を表現して」
というようなこと。
ちょっとハッとしましたね。
以前にも、別の機会に瞑想法をやった時に、似たようなメッセージを受け取っていたので。
その時に受け取ったものは
「遊べ!」というシンプルなもの。
私の中では、これが今日のメッセージとリンクして思い出されました。
小さい頃からの自分の性質
思い返すと昔から、比較的真面目ないい子であることを自分に強いてきたように思います。
成績は良くなくちゃいけない、先生の言うことは聞かなきゃいけない、礼儀正しくいなくちゃいけない、目上の人は敬わなきゃいけない…
そういう、〜しなくちゃばかりで成長してきました。
この「〜しなくちゃいけない」というのは、ものすごく自分に制限をかける言葉なんですよね。
今でこそわかりますが、この言葉の裏には、「ホントはやりたくないけど、常識だから、誰かが言ったから、やる」という想いが隠されています。
これは、他の人/事に責任を押し付けて、自分で選択するのを避けているということを表しています。
いわゆる主体性がない状態なのですね。
現在はだいぶそういった性質も変わってきたと自認していますが、ちょっとした時に出る口癖でハッとすることがあるのです。
朝ライブを続けて気づいたこと
それが「ちゃんと〜」という口癖。
これは、以前から朝にインスタライブを続けていたのですが、それを続ける中で気づいたことです。
すぐ言うんですよね〜😅
皆さんの中にも、結構言っちゃう人、いませんか〜?
気づくようになってからは、都度すごく考えるようになりましたし、言いそうになったら自分の中で別の言葉に置き換えるようにしています。
だってね、よくよく考えてみて。
「ちゃんと」ってなんやねん?正しく、っていうこと?間違いなく、とか?
正しく、だとすると、誰にとっての正しさか?
考えれば考えるほど、これって自分の中での何かしらの正しさを他の人に向かって押し付けてるだけにしか思えないですよね。
そうじゃないですか?
あなたにとって必要でもみんなそうとは限らない
で、今朝の瞑想の話に戻りますが、私の場合は「ちゃんと〜して」とかって言う時は、意味としてはもっと真面目に向かえみたいな意味で言ってたな〜と、思ったんですね。
私の昔からの性質は、まだまだ残ってるんだなぁと思いました。
私自身がずっとそうしなきゃで生きてきたから、あなたもそうすべき!と言ってるのと同じですよね🤣
医療職をやっていたこともあり、ヨガの講師としては身体のことについてシビアに捉えていると思います。
めちゃくちゃ真面目に、臨床視点から向き合っています。
他のことについても同じです。
基本的に、とても真面目でシビアでシリアス。
それが、今まだ、私の本質なのだと。
今はそれを自分で選んでいるつもりですが、それすらちょっと怪しく思えてきますね🤔
これは、もちろん長所でもあります!
だけど、今朝の瞑想からは、もっとそこを緩めてもいいじゃん、と言うことを伝えてくれました。
不真面目になる、だとちょっと抽象的かもしれませんが、「ちゃんと〜」思考がある人は、まず自分の正しいを押し付けていると言うことに気づくこと。
その上で、相手にとっての「ちゃんと」がきっとあることを理解すること。
良いものと信じている自分の信念でも、強すぎると害になることもあること。
覚えておきましょうね〜🤍