魔法の杖はない
こんにちは、sadyです!
私は身体の様々な方向からイントラさんと学んでいくためのオンラインサロンを運営しています。
ちょうど先ほど、定期配信のクラスが終わったのですが、そこでお話しした「学ぶ」ということと意識無意識の関係について、今日は書いていきたいと思います。
私がヨガのアーサナをやる上で大事にしていること
「あなたはなんのためにヨガをやっていますか?」
この問いには人の数だけ答えがあると思っています。
正解不正解はありません。
みんなそれぞれ目的が違う、ゴールが違う。
ただそれだけのことです。
なので、ここからは私個人の考えなので、そこご了承ください。
私がこの問いに答えるとするなら
「自分自身を可能な限りコントロールしたいから」と答えます。
マインドも、ボディも、さらにそこに繋がるスピリットも。
そのためにまず、フィジカルであるボディ身体をコントロールすることをアーサナでは目指しています。
コントロールするための学習をアーサナでしているのです。
コントロールすることは、様々な言い方ができると思いますが、
「意識と無意識の統合」
要は全てにおいて無意識を無くし、意識に上げていくこと。
さらに言うのであれば、無意識と意識の誤差を限りなくゼロに近づけること。
だと理解しています。
ほとんどの人は無意識99%くらいで生きている
行動、動作も然り、そして思考に至るまで、人は日々無意識の選択を毎日数え切れないほど行っています。
例えば、出勤前のある朝のルーティン。
顔を洗って、歯を磨いて、お化粧をして、いつものスーツを着て、いつもの靴を履いて、出発。
そのどこからどこまでが無意識でどこまでが意識的な行動か、あなたははっきり答えられますか?
その無意識の行動は、どうやって形作られて来たでしょうか?
赤ちゃんの頃はもちろんできませんよね。
少しずつ日常の中で学習して、自然と無意識でできるようになってきたものですよね。
この、「自然と無意識で」できるようになる、というのが学習の最終目標になっていくわけです。
なので、ヨガのアーサナで身体をコントロールする最終目標は、「意識と無意識の統合」をした上で、その領域に無意識で居続けるということになってきます。
Don’t think, feel??
アーサナでの全ての動きをいきなり無意識でやれ、というのはまあ大体の人にとって不可能でしょう。
学んだことをすぐに無意識でできるレベルで身につけることができるのは、ごくごく一部の「天才」と呼ばれる人たちだけです。
だからこそアーサナの練習をするわけです。
その時の第一ステップは、「全ての動きを意識に上げていく」という作業になります。
ここで
「考えるな、意識するな!感じろ、感覚を信じろ!」
と言われてしまったりすることがあります。
いや、ハッキリ言ってムリゲーやろ🤣🤣🤣
普通の一般人がそれをするから怪我するんやないかい。
その域に達してる人にとっては、それは真実でしかないでしょう。
でも、そこで「意識する」というステップを抜かして先の領域に行こうとしても、無理があるわけです。
んで、挫折するか怪我する。
それか、そのやってもやっても辿り着けないことを繰り返していくのがタパスだとでもいうのでしょうかねぇ?
そりゃあ苦しいでしょうけど、マゾかな⁇
全ての物事には段階がある
どんな学習にも段階があります。
簡単にまとめると、
①それについて知らない
②知ってるけどできない
③意識すればできる
④無意識でできる
⑤無意識にできてることを自分で意識している
この④とか⑤とかいう段階が、達人とかマスターとかいうわけですね。
さっきも言いましたが、これをステップ飛ばしてできたりするのは極々一部の天才だけです。
でも、皆さんが現在「天才」として認識している過去の偉人たちですら、ほとんどこの過程を経た上で天才と呼ばれるようになった人たちばかりですよ。
天才とは1%のひらめきと99%の努力である(byトーマス・エジソン)
それを考えると、この極々一部の天才というのがどれだけ少ないかお分かりになるかと。
努力、というのはこのステップを一段飛ばしにせずに、地道にコツコツ進んでいくことを言うと思います。
人は面倒くさい、地道な作業や努力はやりたくないもの。
でも、地盤がしっかりしていないところに高層ビルは立ちません。
土台部分が不安定なジェンガはすぐ倒れてしまいます。
楽で手軽、気持ちいいばかりを選んで出来上がったものはとても脆いものです。
アーサナも同じ。
派手で見た目が良いポーズにばかり目を囚われたり、「なんとなく」有酸素的に動き続けるだけでなく、基本の身体の使い方を意識的にコツコツ積み上げる。
それを積み上げた先に、「Don’t think, feel」の世界があります。
魔法の杖はない。
肝に銘じておきましょう🤍