期待するということ
私は今、ほぼ毎朝起きてすぐの瞑想を習慣にしています。
お伝えしている自分と繋がる瞑想法を中心に、ベーシックなヴィパッサナー、サマタなどをやるようにしています。
今日は、今朝の瞑想から見えた人が陥りやすい性質について書いていきます。
尊重されていない、蔑ろにされている
「人から尊重されていない」
「大事にされていない、蔑ろにされている」
そんなふうに感じることはありませんか?
自分はこれだけやっているのに、あの人は…
なんで?どうして?…
そんな不満でモヤモヤしてしまうことはないでしょうか。
私は、あります。つい最近ありました🤣
なので、その時のモヤモヤが今朝の瞑想で出てきました。
自分と繋がる瞑想法で出てくる自分は、何かしらそこに癒やしたり思い出したりして昇華する必要がある自分です。
だから、そんな自分が出てきた時は、それを受け入れる必要があるとき。
この機会にまっすぐ向き合って、深く掘り下げてみました。
自分本位な被害者意識
まず、思い返すと同じようなことが、過去にも何度かあったことを思い出しました。
「自分はこれだけやったのに、なんで?」
「大切にされてないんだな、こんなならやらなきゃよかったな」
お分かりだと思いますが、これは人への過度な期待があることが一つ考えるべきところですね。
人に対して勝手に期待をして、その勝手な期待から外れると「裏切られた」と言って勝手に傷つく。
ちょーめんどくさいやつですよね🤣
でもこれ、結構陥っちゃう人いるのではないかと思うのです。
例えば、友達と旅行の予定を組んだ時。
お互い仕事が忙しいけど、予定を前もって決めた。
そこに合わせて、たくさんの仕事をどうにか片付け、スケジューリングして根回ししたりできる限りの努力をして、その日程だけは空いているようにした。
そしたら、直前になって友達から
「ごめーん、急な仕事入って忙しくて、やっぱ無理〜」
とリスケしなくてはならなくなった…
そこは自分で変えられるところなのか?
大人なあなたは「そっか〜うんわかった〜しょうがないよね〜」と対応するでしょう。
でも、きっと内心「は?」ですよね🤣
まあ、この友達の対応は怒りをかってもしょうがないものだと思います。
忙しい人に対して、「私忙しくて無理、テヘ」と言うことほど失礼なことはありませんからね。
あなたの内心に浮かんだ言葉はどんなものだったでしょう?
「私はこんなに努力したのに、なんで!」
「私はそのために色々犠牲にしたのに、なんで!」
「なんで!」の後に続くのはどんな言葉ですか?
「なんであなたも同じようにしないのか」ということではないでしょうか。
これは、自分自身がやっただけ相手も同じようにするべきだ、ということですね。
自分自身の行動に対して、相手から見返りがあって然るべき、と思っているということです。
自分がやっただけ相手もこうしてくれるはず、むしろこうすべき、という風に相手の行動・ひいては考え方にまでも期待をしているということですね。
「こうであればいいのに」と言う期待の裏側に隠れているのはなんでしょう?
それは、自分の思うように相手をコントロールしたいという欲望に他なりません。
これは、手に入らないものを欲しがって駄々をこねている赤ん坊とさほど変わらないのですよね🤣
だって、私たちが変えることができるのは、自分自身のことだけです。
人の行動や思考は、変えることはできません。
期待するのは自分に対してだけにしよう
自分で変えられないことに心を縛られて動けなくなるほど無駄なことはありません。
かと言って、期待を全くするなとは言いません。
ただ、期待するにしても、人の行動や気持ちに対してではなく、自分に対してするのはOK。
「こうしてくれるはず」ではなく「自分はこうなるはず」
あとは、結果を求めて打算的に動くのではなく、もっと「自分はこうしたい」という想いをしっかりキャッチしてそれに従ってみること。
それであれば、自分の期待を叶えてくれるのは自分自身だけ。
期待を叶えて自己肯定感を上げるのも、期待に背いてがっかりするのも、自分自身に対してだけです。
全ては自分次第なのです。
他人の方に矢印が向いている時こそ、自分を見直してみましょう。
大概の原因は自分の捉え方にあることがほとんど。
勝手に傷ついて悲劇のヒロインになるか。
自分で道を切り開いて前に進み続けるか。
選ぶのは全てあなたです。